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中村哲とSDGs――水路が65万人の命を支え、貧困と戦乱の連鎖を断つまで #放送大学講義録(持続可能な社会と生活第4回その3)

ーーーー講義録始めーーーー

 

中村哲と水の力:一本の水路が変えた65万人の命

■ 医師が井戸を掘るまで

「水は平和をもたらす」。この言葉は、中村哲氏の活動を考えるとき、とても重みをもって響いてきます。『医者 井戸を掘る――アフガン旱魃との闘い』は、アフガニスタンで自ら陣頭指揮をとって井戸を掘り、やがて灌漑施設を整備し、人々の暮らしを根本から変えていった医師、中村哲氏の著書のタイトルです。

中村医師は、日本のNGOであるペシャワール会の現地活動を担うPMS、すなわち Peace (Japan) Medical Services の総院長・現地代表として、パキスタンとアフガニスタンで長年にわたり医療支援に従事してきました。もともとは医師として、ハンセン病患者やアフガン難民、山岳無医地区の人々の診療に取り組んでいました。しかし、現地で向き合ったのは、病気だけではありませんでした。干ばつ、飢え、安全な飲料水の不足、農地の荒廃、そして戦乱によって、人々の暮らしそのものが崩れていく現実でした。

2000年頃、アフガニスタンは深刻な干ばつに襲われました。水がなくなると、まず飲み水が足りなくなります。衛生状態が悪化し、赤痢などの感染症が広がります。作物が育たなくなり、家畜も弱り、人々は栄養不足に陥ります。医師として目の前の患者を治療しても、きれいな水と食料がなければ、また同じ病気と飢えが繰り返されてしまう。中村医師は、その現実を前にして、医療だけでは命を守りきれないことを痛感します。

そこで中村医師は、飲料水を確保するために井戸を掘ることを決断しました。これは、医師が本来の専門を離れて土木に手を出した、という単純な話ではありません。むしろ、人の命を守るために何が本当に必要なのかを突き詰めた結果でした。薬が必要な人には薬を届ける。しかし、飢えと渇きの前では、薬だけでは足りない。水がなければ命は続かない。水がなければ衛生も保てない。水がなければ農業もできない。水がなければ村そのものが消えてしまう。中村医師の井戸掘りは、医療の外側に出た活動であると同時に、命を守るという医療の根本に深くつながる活動でした。

■ 水路が変えた65万人の暮らし

中村医師は、まず飲料水の確保のために井戸を掘り、利用可能な水源を増やしていきました。しかし、井戸だけでは限界もありました。干ばつが続けば地下水位は下がります。飲み水を確保できても、農地に水が届かなければ、人々は食べていくことができません。そこで中村医師とPMSは、やがて大河川から水を引き、農地をよみがえらせる大規模な灌漑事業へと進んでいきます。

その中心となったのが、アフガニスタン東部ナンガルハール州で進められた用水路建設と灌漑事業です。中村医師たちは、日本の伝統的な治水技術にも学びながら、現地の人々が自分たちで維持管理できるような工法を重視しました。高度な機械や外部の専門家に頼りきるのではなく、現地にある石や土、柳などを使い、地域の人々が修復し続けられる形を選んだのです。これは、単に水路を造るという技術の問題ではなく、地域が自分たちの力で暮らしを支え続けるための仕組みづくりでもありました。

灌漑事業の成果を整理すると、次のようになります。

灌漑事業の成果
・安定灌漑を目指した農地面積:約16,500ヘクタール
・主な対象地域:アフガニスタン東部ナンガルハール州のシェイワ、カマ、ベスード三郡など
・生活を支える規模:推定約65万人
・中心的な事業:マルワリード用水路および関連する取水堰・用水路・既存水路の改修

それは、まさに命の水でした。水が来ると、乾いた大地に緑が戻ります。作物が育ちます。人々は難民化せず、村にとどまることができます。食料を自分たちでつくることができます。子どもたちは飢えや水汲みだけに追われる生活から少しずつ解放され、学校に通う可能性を取り戻します。水路は、単なる土木施設ではありませんでした。生活、農業、健康、教育、地域社会の安定をつなぎ直す一本の線だったのです。

ここで大切なのは、「65万人」という数字を、単に救われた人数として大きく見せることではありません。ペシャワール会の資料では、16,500ヘクタールの安定灌漑によって、推定65万人が安心して暮らせる土地になる、という文脈で説明されています。つまり、この数字は、用水路が直接・間接に支えた生活圏の規模を示すものです。水路の効果は、農地だけで測れるものではありません。農地が戻れば、雇用が生まれ、食料が確保され、商いが戻り、村が維持され、治安の悪化を抑える力にもなります。水が届くことは、人々がそこに住み続けられる条件を取り戻すことでもありました。

■ 「温暖化と干ばつと戦乱の関係はもはや推論ではない」

2019年12月4日、中村医師はアフガニスタン東部ナンガルハール県で銃撃を受け、志半ばで亡くなりました。中村医師はアフガニスタンの人々から深く敬愛されていた存在であり、その死は日本だけでなく、アフガニスタンにも大きな悲しみをもたらしました。2021年には、アフガニスタンで中村医師の人道支援活動をたたえる記念切手も発行されています。

中村医師の死後、西日本新聞に掲載された寄稿などをまとめた『希望の一滴――中村哲、アフガン最期の言葉』が出版されました。その中に収められた文章にも通じる中村医師の問題意識として、次の言葉があります。

「温暖化と干ばつと戦乱の関係は、もはや推論ではない。」

この言葉は、気候変動を単なる環境問題としてではなく、貧困、飢餓、移住、治安、戦乱と結びついた現実として捉える視点を示しています。中村医師は、治安が悪化している地域と干ばつの影響が深刻な地域が重なっていることを、現地での経験から繰り返し指摘していました。もちろん、戦乱の原因を干ばつだけに単純化することはできません。アフガニスタンの紛争には、歴史、国際政治、民族、宗教、軍事介入、国家統治の脆弱性など、さまざまな要因が絡んでいます。しかし、水と食料を失い、暮らしの土台を奪われた人々が、犯罪や武装勢力に巻き込まれやすくなるという構造は、現地で活動してきた中村医師にとって、抽象論ではなく日々目の前で起きている現実でした。

かつて食い詰めて兵士になったことがあるアフガン人の男性が、畑を前にして、もう銃を持たなくてもよいという趣旨の言葉を語った、という話も伝えられています。このエピソードが示しているのは、平和とは単に戦闘が止むことだけではない、ということです。人々が食べていけること。家族を養えること。村にとどまれること。農地を耕せること。子どもを育てられること。そうした暮らしの基盤があって初めて、人は銃ではなく鍬を持つことができるのです。

「武器によっては平和は訪れない」という考えは、中村医師の活動全体を貫く信念でした。中村医師が築こうとした平和は、軍事力による秩序ではありません。水を引き、農地を戻し、人々が自分たちの手で食べていける条件を整えることによって、戦乱に向かわざるを得ない社会的圧力を弱めていく平和でした。これは、SDGsの視点から見ると、目標2「飢餓をゼロに」、目標3「すべての人に健康と福祉を」、目標6「安全な水とトイレを世界中に」、目標13「気候変動に具体的な対策を」、目標16「平和と公正をすべての人に」が、現実の一つの地域で深く結びついていることを示しています。

中村医師の活動は、欠乏の連鎖を断ち切ることで、貧困から人々を解き放つとともに、平和の礎を築こうとした実践でした。水がなければ、健康は守れません。食料もつくれません。教育も続きません。地域社会も維持できません。逆に、水が届けば、命がつながり、農地が戻り、仕事が生まれ、人々が住み続けることができます。一本の水路は、一本のインフラであると同時に、貧困、飢餓、病気、移住、戦乱へと向かう連鎖を断ち切るための社会的な装置でもあったのです。

■ ソリューションを届けるために何が必要か

こうした貧困の罠や連鎖から人々を解き放つことに、企業もまた、自らの強みを生かして貢献できます。ここでいう貢献とは、単なる寄付や慈善活動だけを意味しません。もちろん寄付や緊急支援も重要です。しかし、それだけでなく、企業は事業を通じて、技術、製品、サービス、雇用、物流、金融、情報、教育機会などを届けることができます。安全な水を供給する技術、再生可能エネルギー、小規模農家を支える灌漑機器、衛生設備、低価格の医療機器、モバイル決済、通信インフラ、教育コンテンツ、物流網。これらは、欠乏状態を改善する具体的なソリューションになり得ます。

ただし、ここで注意しなければならないのは、技術や製品を「届ければよい」という単純な発想では不十分だということです。中村医師の実践が示しているように、重要なのは、現地の自然条件、文化、生活様式、維持管理能力、費用負担、地域社会の合意に合った形で、解決策を根づかせることです。どれほど優れた技術でも、現地の人々が修理できず、費用を負担できず、使い続けられなければ、持続可能な解決にはなりません。ソリューションは、外から一方的に持ち込むものではなく、現地の人々とともに育てるものです。

欠乏状態を改善するためには、政府、自治体、国際機関、NGO、企業、研究機関、地域住民など、様々なステークホルダーによる協働が必要です。水路一つをとっても、資金、技術、土地利用、住民合意、維持管理、環境影響、農業支援、治安、教育など、多くの要素が関わります。だからこそ、ソリューションの提供は、人々を貧困から救い、社会を発展させるために、そしてひいては平和構築のためにも、とても重要なのです。

そして、これらの優れた個々の技術やソリューションを最も効果的に、必要なスケールで生かすためには、よく計画された経済政策、国際協力、資本投下、制度設計、人材育成、地域参加が必要です。市場の力だけに任せれば、支払い能力のある地域にはサービスが届いても、本当に支援を必要とする地域には届かないことがあります。逆に、善意だけで始めた支援も、維持管理の仕組みがなければ長続きしません。持続可能な社会をつくるには、技術、資金、制度、地域の知恵、人々の信頼を結びつけなければなりません。

中村哲医師の活動から学べることは、貧困の解決とは、単に物資を届けることではないということです。人々が自分たちの土地で生き、自分たちの手で暮らしを支え、次の世代に希望をつなぐ条件を整えることです。水は、そのための出発点でした。一本の水路が農地を変え、農地が暮らしを変え、暮らしが地域の安定を支え、地域の安定が平和の土台になる。そこに、持続可能な社会と生活を考えるうえでの、非常に大切な教訓があります。