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企業は貧困をどう解決できるか――住友化学の蚊帳とLIXILのトイレに学ぶSDGs実践 #放送大学講義録(持続可能な社会と生活第4回その4)

ーーーー講義録始めーーーー

 

企業が拓く貧困解決への道:住友化学とLIXILの事例

■ 事例①:住友化学の防虫蚊帳でマラリア対策に貢献

一つ目は、マラリア対策に役立つ防虫蚊帳の開発と普及の話です。マラリアは、ハマダラカに刺されることによって感染する寄生虫症であり、現在もアフリカを中心に大きな健康課題となっています。WHOの最新資料でも、マラリアは依然として深刻な感染症であり、特にアフリカ地域の子どもたちに大きな被害を与えています。例えば、一家の大黒柱がマラリアにかかってしまうと、働くことができなくなります。治療費もかかります。看病のために家族の誰かが仕事や学校を休まなければならないこともあります。そうなると、病気そのものが命を脅かすだけでなく、家計を圧迫し、子どもの教育や食事にも影響し、家族全体を貧困の罠へ押し戻してしまうことがあります。

そこで住友化学は、Olyset Net という防虫蚊帳を開発しました。これは、防虫効果をもつ成分を繊維に練り込んだ長期残効型防虫蚊帳、Long-Lasting Insecticidal Net: LLIN です。通常の蚊帳が「蚊に刺されにくくする」道具であるのに対して、Olyset Net は蚊帳そのものに防虫効果を持たせることで、より長くマラリア予防に役立つように設計されました。住友化学の資料によれば、Olyset Net は2001年にWHOから長期残効型防虫蚊帳として初めて推奨を受け、UNICEFなどの国際機関を通じて、約100カ国に供給されるようになりました。

ここで注意したいのは、「マラリアを撲滅した」と言い切ってはいけないということです。マラリアは現在も世界で多くの感染者と死亡者を出しており、撲滅には至っていません。したがって、住友化学の防虫蚊帳は「マラリア撲滅」そのものを達成したのではなく、マラリアの予防、感染リスクの低減、国際的なマラリア対策に大きく貢献した事例として理解するのが正確です。とはいえ、その意義が小さくなるわけではありません。感染を防ぐことは、医療費を減らし、働く時間を守り、子どもが学校に通う機会を守ることにつながります。つまり、防虫蚊帳は保健衛生の道具であると同時に、貧困の連鎖を弱める道具でもあるのです。

さらに住友化学は、タンザニアの企業にOlyset Net の製造技術を無償供与し、現地生産を促しました。これは、単に日本で作った製品を途上国に送るという支援とは少し違います。現地で生産できるようになれば、製品の供給体制が強くなります。輸送コストや供給の遅れを減らすことにもつながります。そして何より、工場で働く人々の雇用が生まれ、地域経済にも波及効果が生まれます。感染症予防という保健衛生上の課題解決が、現地の雇用創出や所得機会の拡大にもつながったのです。

住友化学・防虫蚊帳の展開
開発:防虫成分を繊維に練り込んだ Olyset Net
位置づけ:Long-Lasting Insecticidal Net: LLIN
国際評価:2001年にWHOが長期残効型防虫蚊帳として推奨
普及:UNICEF等を通じて約100カ国に供給
技術移転:タンザニア企業へ製造技術を無償供与し、現地生産へ
効果:マラリア予防への貢献、医療費負担の軽減、労働・通学機会の維持、現地雇用創出

この事例から見えてくるのは、企業の技術が、単なる商品としてだけでなく、社会課題を解く手段になり得るということです。防虫蚊帳は、一見すると単純な製品に見えます。しかし、それが感染症のリスクを下げ、家族の生活を守り、子どもの教育機会を守り、地域の雇用を生むならば、それはSDGsの複数の目標に関わる取り組みになります。具体的には、目標1「貧困をなくそう」、目標3「すべての人に健康と福祉を」、目標8「働きがいも経済成長も」、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」と深く関係します。

■ 事例②:LIXILの簡易トイレシステムで衛生環境を変える

もう一つの例は、衛生的なトイレの普及に向けた企業の取り組みです。トイレ問題は、世界の重要な課題です。安全で衛生的なトイレがないことは、単に不便であるというだけではありません。排泄物が適切に処理されなければ、水源が汚染され、下痢性疾患などの感染症が広がりやすくなります。小さな子どもにとって、下痢性疾患は命に関わる問題です。また、家や学校に安全なトイレがないことは、女性や女の子の安全、尊厳、教育機会にも影響します。夜間に屋外で用を足さなければならない場合、暴力や犯罪の危険も高まります。学校に清潔で安全なトイレがなければ、特に思春期の女の子が通学を続けにくくなることもあります。

LIXILは、こうした課題に対して、途上国向けの簡易トイレ関連製品 SATO を開発・提供してきました。SATO は、上下水道が十分に整備されていない地域でも使いやすいように設計された衛生製品です。少量の水で流せること、虫や悪臭を抑える仕組みを備えていること、設置や導入のしやすさ、低価格であることが特徴です。講義録では「1台数ドル」と表現されていますが、製品の種類、国、流通経路、設置条件によって価格は変わるため、ここでは「低価格」と表現するのがより正確です。

LIXILは、上下水道の整備が進んでいない国や地域において、安全で衛生的なトイレや手洗い関連製品の普及を進めてきました。その際、企業単独で進めるのではなく、UNICEFなどの国際機関、各国政府、NGO、現地企業、販売店、地域住民などと連携しながら、市場づくりと衛生改善の両方を進めている点が重要です。トイレは、ただ設置すれば終わりではありません。使い続けられる価格であること、現地で入手しやすいこと、修理や交換ができること、住民が衛生の意味を理解していること、排泄物の処理が安全であることが必要です。

LIXILトイレ事業の成果
2022年時点:SATOなどの衛生関連製品が約45カ国に展開され、約3500万人の衛生環境改善に貢献
2026年時点:SATOのトイレ・手洗い関連製品が59カ国・地域以上に1000万ユニット超出荷され、1億300万人の衛生改善に貢献
主な内容:少量の水で使える簡易トイレ関連製品、手洗い関連製品、国際機関や現地パートナーとの連携
事業上の意義:衛生改善、下痢性疾患などのリスク低減、女性や女の子の安全と尊厳の確保、現地での販売・流通・雇用機会の創出

もとの講義録には、バングラデシュの難民キャンプに関する具体的な設置台数が記されています。ロヒンギャ難民キャンプが大規模な人道支援の現場であり、衛生環境の確保がきわめて重要であることは確かです。ただし、「国連と協力し5万台設置」という数値については、今回確認した主要資料からは十分に裏取りできませんでした。そのため、この講義録では、具体的な台数を断定せず、人道支援の現場でも衛生製品が重要な役割を果たしている、という表現にとどめます。授業で具体的な台数を使う場合には、LIXIL、UNICEF、UNHCRなどの該当年次資料を個別に確認する必要があります。

同社は、現地での生産・販売体制の構築にも取り組んできました。ここにも、企業による社会課題解決の重要なポイントがあります。衛生製品を寄付だけで広げる場合、支援が途切れると普及も止まってしまうことがあります。しかし、現地で生産し、販売し、修理し、流通させる仕組みができれば、衛生改善はより自律的で継続的なものになります。もちろん、貧困地域では購買力が限られるため、すべてを市場に任せればよいわけではありません。国際機関や政府による補助、学校や公共施設への導入、衛生教育、マイクロファイナンスなどと組み合わせることが重要です。

トイレの普及は、下痢性疾患で命を落とす人を減らすなど、衛生向上の面で大きな意味を持ちます。それだけではありません。学校に安全で清潔なトイレがないために女の子が教育の機会を失う、家や近所に安全なトイレがないために夜間の外出を強いられ犯罪や暴力のリスクにさらされる、排泄を我慢することで健康を損なう、といった問題の解決にもつながります。トイレは、単なる設備ではありません。健康、尊厳、ジェンダー平等、教育、地域の安全を支える基礎的なインフラなのです。

■ 事業を通じた社会課題解決の意義

紹介した二つの事例は、日本企業がその技術力と事業展開の力を生かして、貧困問題に関わる社会課題の解決に貢献した事例です。住友化学のOlyset Net は、感染症予防を通じて、医療費負担、労働機会、教育機会、現地雇用に関わっています。LIXILのSATOは、衛生環境の改善を通じて、健康、尊厳、女性と女の子の安全、教育機会、地域の衛生市場づくりに関わっています。どちらも、単一の製品が単一の課題を解決するというより、複数の課題が絡み合った貧困の連鎖に対して、一つの入口をつくった事例と見ることができます。

このように考えていくと、その社会が抱える課題の何を解決するのが貧困削減に効果的なのか、そしてそれを誰が提供できるのかが見えてきます。マラリアが人々の労働と学習を妨げている地域では、防虫蚊帳や診断・治療へのアクセスが重要になります。安全なトイレがない地域では、衛生設備、手洗い、排泄物処理、衛生教育が重要になります。水がない地域では、水源、配水、灌漑、維持管理が重要になります。どの課題に取り組むべきかは、地域ごとの実情によって異なります。

貧困・格差を世界からなくすというのは、大変大きな目標です。しかし見方を変えれば、そこには大きな opportunity、すなわち機会があります。この opportunity とは、単に企業が利益を得る市場機会という意味だけではありません。人々の命を守り、尊厳を支え、教育や仕事の機会を広げ、地域社会を安定させるために、企業、政府、国際機関、NGO、地域住民がそれぞれの強みを持ち寄る機会でもあります。

ただし、社会課題をビジネスで解決するという言葉には、慎重さも必要です。貧困地域の人々を単なる市場として見るだけでは、かえって不平等を広げることがあります。必要なのは、支払い能力の低い人々にも届く価格設定、現地で維持できる仕組み、文化や生活に合った設計、女性や子どもなど脆弱な立場の人々への配慮、国際機関や政府との連携、そして効果をきちんと検証する姿勢です。よい技術を持っているだけでは十分ではありません。その技術が、本当に必要な人に、使い続けられる形で届くことが大切なのです。

SDGsの視点から見ると、企業は単なる経済主体ではありません。社会の中で資源を使い、人を雇い、製品やサービスを届け、暮らしのあり方に影響を与える存在です。だからこそ、企業には社会課題の一部を生み出してしまう責任もあれば、社会課題の解決に参加できる力もあります。住友化学とLIXILの事例は、企業の技術と事業が、貧困の罠をほどく一つの手段になり得ることを示しています。保健、衛生、雇用、教育、ジェンダー平等、地域経済。それらを別々のものとしてではなく、つながった課題として捉えることが、持続可能な社会と生活を考えるうえで重要なのです。