ーーーー講義録始めーーーー
社会の持続可能性と人権:国際規範の基礎
■ 持続可能な社会の姿とは何か
次に、社会の持続可能性を達成するとはどういうことかを考えていきます。ここでは、現在の問題を一つずつ積み上げるのではなく、少し視点を変えて、将来それが達成された状況をイメージしてみたいと思います。持続可能な社会とは、単に環境負荷が小さい社会のことではありません。気候変動への対応や自然環境の保全はもちろん重要ですが、それだけでは十分ではありません。そこに暮らす人々の命、尊厳、自由、健康、教育、仕事、参加の機会が守られていなければ、その社会は本当の意味で持続可能とはいえないからです。
リオ宣言の第1原則には、Human beings are at the centre of concerns for sustainable development. They are entitled to a healthy and productive life in harmony with nature. とあります。日本語にすれば、「人類は持続可能な発展への関心の中心にある。人類は、自然と調和しつつ、健康で生産的な生活を送る資格を有する」という意味です。ここで大切なのは、人間が自然を好き勝手に利用してよいという意味ではなく、人間の生活と自然環境の健全性を切り離して考えてはならない、ということです。人間は持続可能な発展の中心にありますが、その人間の生活もまた、自然との調和の中でしか成り立たないのです。
また、WBCSD、すなわち World Business Council for Sustainable Development(持続可能な発展のための世界経済人会議)の Vision 2050: Time to Transform では、2050年までに90億人を超える人々が、地球の限界内でよく生きることができる世界を目指すとされています。このビジョンは、私たちが直面している大きな課題として、気候危機、自然喪失、不平等の拡大を挙げています。これらは別々の問題に見えますが、実際には深くつながっています。気候変動は食料や水、健康、住まいに影響します。自然の劣化は、生態系サービスや地域の暮らしを揺るがします。不平等が広がれば、危機の影響は弱い立場にある人々に集中し、社会の信頼や安定も損なわれます。
Vision 2050 では、人々が「よく生きる」、すなわち living well ということの意味を、すべての人の尊厳と権利が尊重され、基本的なニーズが満たされ、すべての人に平等な機会が存在すること、と表現しています。この表現は、社会の持続可能性を考えるうえで非常に重要です。なぜなら、持続可能な社会とは、平均値として豊かであればよい社会ではないからです。一部の人だけが快適に暮らし、他の人々が危険な労働、差別、貧困、暴力、教育や医療からの排除にさらされているなら、その社会は持続可能とはいえません。
このように人を中心に置いて、実現すべき持続可能な社会が何であるかを考えてみると、それは次のような社会であるといえます。
持続可能な社会の姿
・生命の安全、思想・良心の自由、表現の自由、尊厳が保障されている
・安全な水、衛生、食料、医療、教育、住まい、エネルギーなどの基本的ニーズが誰にも確保されている
・差別されず、機会の平等と自己決定権が保障されている
・働きがいのある人間らしい仕事、すなわち decent work が得られる
・生み出される富や社会的資源が著しく偏らず、公正に分配されている
・政治や地域社会の意思決定に参加でき、声を上げる権利が守られている
・将来世代の生活条件を壊さない形で、現在世代の暮らしが成り立っている
これは、とりもなおさず人権の保障に他なりません。持続可能な発展と人権とは、切っても切り離せない関係にあります。人権が守られていない社会では、貧困や差別が固定化し、暴力や不信が広がり、社会の土台が弱くなります。逆に、人権が尊重される社会では、人々が自分の力を発揮し、互いを信頼し、危機に対して協力する力が高まります。持続可能な社会をつくるということは、環境を守ることと同時に、人間の尊厳を守ることでもあるのです。
■ 人権と労働の国際規範:世界人権宣言と国際人権章典
人権に関して最も基本となる文書の一つが、第二次世界大戦後の1948年に国連総会で採択された Universal Declaration of Human Rights、すなわち世界人権宣言です。第二次世界大戦では、国家による迫害、戦争犯罪、ジェノサイド、大規模な人権侵害が起こりました。その反省の上に、国際社会は、人権を各国の国内問題として放置するのではなく、人類全体に関わる普遍的な価値として確認する必要があると考えました。
世界人権宣言の前文の冒頭では、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と、平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」とされています。ここで、人権は国家が特別に与える恩恵ではなく、人間であることに基づいてすべての人が持つものとして位置づけられています。だからこそ、人権は国籍、人種、性別、言語、宗教、政治的意見、社会的出身、財産、出生その他の地位によって左右されてはならないのです。
世界人権宣言の本文では、生命、自由、身体の安全、奴隷の禁止、拷問の禁止、法の下の平等、公正な裁判、思想・良心・宗教の自由、表現の自由、集会・結社の自由、参政権、労働の権利、休息と余暇の権利、教育を受ける権利、社会保障、文化的生活に参加する権利などが示されています。つまり、自由権や参政権だけでなく、社会権に関わる内容も含まれています。人間が尊厳をもって生きるためには、国家から不当に干渉されない自由だけでなく、教育、医療、労働、社会保障といった生活の基盤も必要だからです。
その後、1966年に国連総会で2つの国際人権規約が採択され、1976年に発効しました。一つは International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights、すなわち経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約です。日本では社会権規約、またはA規約と呼ばれます。もう一つは International Covenant on Civil and Political Rights、すなわち市民的及び政治的権利に関する国際規約です。日本では自由権規約、またはB規約と呼ばれます。
国際人権章典、International Bill of Human Rights は、一般に、世界人権宣言、社会権規約、自由権規約、そして自由権規約の2つの選択議定書を合わせたものとして説明されます。自由権規約の第1選択議定書は、個人通報制度に関するものです。第2選択議定書は、死刑廃止を目指すものです。なお、社会権規約にも2008年に採択された選択議定書がありますが、伝統的に国際人権章典を説明する場合には、世界人権宣言、2つの国際人権規約、自由権規約の2つの選択議定書を中心に説明するのが一般的です。
この国際人権章典は、人権に関してよりどころとすべき、最も基本となる国際規範です。ただし、国際人権の規範はここで終わるわけではありません。国際人権章典を基礎にしながら、その後、各分野に関する核となる国際人権条約が発展してきました。OHCHR、すなわち Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights は、主要な国際人権条約を9本の core international human rights instruments として整理しています。
その9本には、自由権規約、社会権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、拷問等禁止条約、子どもの権利条約、移住労働者権利条約、障害者権利条約、強制失踪者保護条約が含まれます。これらの条約は、それぞれの分野で起こりやすい差別、暴力、排除、権利侵害に焦点を当て、人権保障をより具体化する役割を果たしています。
例えば、この中で2008年に発効した Convention on the Rights of Persons with Disabilities、すなわち障害者権利条約は、障害のある人々を保護や福祉の対象としてだけ見るのではなく、権利の主体として位置づける点に大きな意義があります。この条約は、策定過程において障害者団体をはじめとする当事者の参加が非常に重視された条約として知られています。その背景には、Nothing About Us Without Us、すなわち「私たち抜きに私たちのことを決めるな」という考え方があります。これは、障害のある人々に関わる政策や制度を、専門家や行政だけで決めるのではなく、当事者自身の声を中心に置くべきだという考え方です。
また、障害者権利条約の重要な特徴は、障害を個人の心身の機能だけに閉じ込めて考えないことです。障害は、個人の impairment だけでなく、社会の側の障壁、すなわち barrier によって生じるという視点が重視されています。例えば、車いすを使う人が駅を利用できないとき、問題はその人の身体だけにあるのではありません。エレベーターがない、段差がある、案内が不十分である、周囲の理解がないという社会の側の障壁が、その人の参加を妨げています。したがって、社会がその障壁を取り除く必要があります。この考え方は、持続可能な社会の議論にも深く関わります。誰かを排除したまま便利で効率的な社会をつくっても、それは持続可能な社会とはいえないからです。
■ ILOの中核的労働基準
また、労働に関する基本的な国際規範として、ILO、すなわち International Labour Organization の中核的労働基準があります。これは、ILOの数多くの労働基準の中でも、すべての加盟国が尊重し、促進し、実現すべき基本的原則と権利に関わるものです。1998年のILO第86回総会で採択された ILO Declaration on Fundamental Principles and Rights at Work and its Follow-up によって定式化されました。その後、2022年に「安全で健康的な労働環境」が5つ目の分野として追加され、現在では5分野10条約として説明されます。
ILO中核的労働基準(5分野10条約)
① 結社の自由及び団体交渉権の実効的承認
② 強制労働の廃止
③ 児童労働の実効的な廃止
④ 雇用及び職業における差別の排除
⑤ 安全で健康的な労働環境
この5分野は、働く人の尊厳を守るための土台です。労働は、人が生活の糧を得るための手段であると同時に、社会参加の場でもあります。しかし、労働の場で暴力や差別があり、強制労働や児童労働が行われ、労働者が団結して声を上げる権利を持たず、危険な環境で働かされるなら、その労働は人間らしい仕事とはいえません。SDGsでいう decent work、すなわち働きがいのある人間らしい仕事は、このような基本的労働権の上に成り立ちます。
例えば、5分野の一つである児童労働に関しては、ILOとUNICEFの2024年推計で、世界中で約1億3800万人の子どもが児童労働に従事しているとされています。そのうち約5400万人は、健康、安全、発達を損なうおそれのある危険有害労働に従事しています。割合でいえば、世界の子どもの約8%です。以前の推計では約1億6000万人、子どもの10人に1人という数値が用いられていましたが、最新推計では減少が見られます。ただし、これは問題が解決したという意味ではありません。1億人をはるかに超える子どもが、今なお学ぶ時間、遊ぶ時間、安全に成長する時間を奪われているという事実は、非常に重いものです。
児童労働は、農業、鉱山、製造業、家事労働、路上での仕事、インフォーマルな労働など、さまざまな場面で起こります。カカオやタバコの農園、コットン、すなわち綿花の生産地での収穫作業、鉱山での採掘など、危険な、あるいは劣悪な環境で働いている子どももいます。重い物を運ぶ、農薬にさらされる、長時間働く、学校に通えない、暴力や搾取を受ける。こうした状況は、子どもの健康を損ない、教育を奪い、将来の選択肢を狭めます。そして、教育を受けられなかった子どもが将来不安定な仕事に就かざるを得なくなり、その子どもにもまた貧困が引き継がれるという、貧困の連鎖を生み出します。
これらの国際人権章典とILOの中核的労働基準は、人権や労働について考える際の最も重要な国際規範です。社会の持続可能性を語るとき、私たちは環境や経済成長だけを見ていては足りません。その社会で暮らす人々が、自由に考え、学び、働き、参加し、安全に暮らし、差別されず、尊厳をもって扱われているかを見なければなりません。人権と労働の国際規範は、そのための基準を与えてくれます。持続可能な社会とは、人権が例外的に守られる社会ではなく、人権を土台として制度や経済や地域の暮らしが組み立てられている社会なのです。
