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人間の安全保障委員会とは何か——2003年報告書と日本外交が果たした役割をわかりやすく解説 #放送大学講義録(持続可能な社会と生活第5回その4)

ーーーー講義録始めーーーー

 

人間の安全保障委員会報告書(2003年)と日本の役割
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その後、この概念の理解を広め、各国の政策立案や実施に活かし、具体的な行動計画を示すことを目指して、人間の安全保障委員会が設立されました。ただし、ここで注意しておきたいのは、この委員会が国連の通常の常設機関として設置されたというより、日本政府のイニシアティブと国連事務総長の支持を受けて設立された独立委員会であったという点です。2000年の国連ミレニアム・サミットでは、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を実現することの重要性が強調されました。その流れを受け、2001年に人間の安全保障委員会が設立され、2003年に最終報告書『Human Security Now』を発表しました。

この委員会の共同議長は、国連難民高等弁務官を務め、後にJICA、すなわち国際協力機構の理事長も務めた緒方貞子氏と、1998年に The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel を受賞したインドの経済学者アマルティア・セン氏の2人でした。緒方氏は難民保護や人道支援の現場に深く関わり、セン氏は福祉経済学、貧困、飢饉、自由、ケイパビリティなどの研究を通じて、人間の生活と尊厳を経済学の中心に置いた研究者です。この2人が共同議長を務めたこと自体が、人間の安全保障という概念の特徴をよく示しています。つまり、現場で人を守る視点と、人間の自由や能力を広げる視点が、ここで結びついているのです。

日本政府は、この人間の安全保障の概念を早くから支持し、2000年の国連ミレニアム・サミットにおいて委員会の設置を呼びかけるとともに、その後の概念の普及と実践に一貫して積極的に取り組んできました。日本は、冷戦後の国際社会において、紛争、貧困、難民、感染症、環境問題、自然災害といった課題に向き合うためには、国家だけではなく一人ひとりの人間に焦点を当てる必要があると考えました。そして、こうした人間中心のアプローチを、開発協力や平和構築を含む外交政策の重要な柱の一つとして位置づけてきたのです。

この分野での日本政府のリーダーシップをよく物語っているのが、人間の安全保障をテーマに、1998年12月に東京で開催された「アジアの明日を創る知的対話」における小渕恵三首相の演説です。小渕首相は、当時のアジア経済危機、いわゆるアジア通貨危機によって社会的ひずみが顕在化し、人間の生活が脅かされていると述べました。そして、「ヒューマン・セキュリティ(Human Security)」、すなわち「人間の安全保障」の観点に立ち、社会的弱者に配慮しながら危機に対処することが必要であると強調しました。また、アジアの長期的発展のためには、人間の安全保障を重視した新しい経済発展の戦略を考えていかなければならないとも述べています。これは、経済成長だけを追求するのではなく、その成長の中で取り残される人々、危機の影響を最も強く受ける人々に目を向けるべきだという問題提起でした。

さらに小渕首相は、人間の安全保障の問題は一国だけでは解決できず、国際社会の一致した対応が必要であること、そしてNGOなど市民社会との連携や協力が重要であることも示しました。ここには、政府だけが安全保障の担い手であるという発想を超え、国際機関、NGO、市民社会、地域社会、そして人々自身が協力して安全をつくっていくという考え方が表れています。アジアの長期的発展のために、人間の安全保障を重視した新しい経済発展にアジア諸国が協力して取り組むことを呼びかけた点に、この演説の大きな意義があります。

さて、2003年に発表された人間の安全保障委員会報告書『Human Security Now』では、世界各地で「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」が脅かされ、人間を取り巻く脅威が複雑化する中で、人間の安全保障の考え方を理解し、各国や国際社会が関連政策を強化するべきであると強調しています。報告書は、紛争と開発を切り離して考えるのではなく、紛争に関連した不安定と貧困に関連した不安定を統合的に捉える必要があるとしました。つまり、戦争や暴力だけを見るのでもなく、貧困や欠乏だけを見るのでもなく、それらがどのように人々の生活の中で結びついているのかを見ることが重要だとしたのです。

この報告書では、人間の安全保障を「人間の自由と自己実現を高めるような方法で、すべての人の生にとってかけがえのない中枢部分を守ること」と定義しています。ここでいう「中枢部分」とは、人間が人間らしく生きるために欠かすことのできない基盤のことです。生命が守られること、食べるものがあること、暴力から自由であること、病気になったときに支援を受けられること、移動や避難を強いられたときにも尊厳が守られること、そして自分の人生を選び取る力を持てること。こうしたものが、人間の安全保障の核心にあります。

もちろん、人間の安全保障という概念については、スコープが広く、何でも含まれてしまうのではないか、理論としては未成熟で、緻密さを欠くのではないかという批判がなされることもあります。この批判には一定の意味があります。概念が広すぎると、政策の優先順位がぼやけてしまうおそれがあるからです。しかし同時に、時代とともに脅威の内容は変わっていきますし、一人ひとりの人間が置かれた状況も地域や社会によって異なります。紛争、貧困、感染症、災害、気候変動、人身取引、社会的排除、難民・国内避難民の問題などは、単独で起きるのではなく、しばしば重なり合って人々の生活を脅かします。したがって、さまざまな地域や時代に適応できる柔軟性を備えていることは、この定義の弱点であると同時に、強みでもあるといえます。

また報告書では、多様な主体の役割にも言及しています。人間の安全保障を実現するためには、政府だけでなく、国際機関、地方自治体、公的部門、民間部門、市民社会、NGO、地域コミュニティ、そして当事者である人々自身が、それぞれの立場から関わる必要があります。報告書は、人間の安全保障を、人々を守る「保護」と、人々自身が自らの生活を立て直し、社会に参加し、将来を選び取る力を高める「エンパワーメント」、つまり能力強化の組み合わせとして捉えました。上から制度や支援を整えるだけでは不十分であり、人々自身が主体として関わることが不可欠だという考え方です。

この点は極めて重要な指摘です。人間の安全保障は、単に「困っている人を助ける」という一方向の援助ではありません。保護を必要とする人々を放置してはならない一方で、その人々をずっと受け身の存在として扱うのでもありません。人々が自分の声を持ち、地域社会の再建に参加し、自分たちの生活をより安全にしていく力を持てるようにする。そのために、政府、国際機関、NGO、市民社会、民間部門が共通の理解のもとで協力する。人間の安全保障というコンセプトには、こうした多様な主体の取り組みを結びつける触媒としての役割が期待されているのです。

その後、国連では人間の安全保障をめぐる議論が続けられ、2012年9月10日、第66会期国連総会において、人間の安全保障に関する決議 A/RES/66/290 が採択されました。この決議では、日本を含む25カ国が共同提案国となり、加盟国は人間の安全保障に関する共通理解に合意しました。これは、人間の安全保障が国連の場で一定の共通理解を得たという点で、大きな節目でした。

この決議の内容は、これまでお話ししてきた人間の安全保障の考え方を、国連加盟国の共通理解として整理したものです。すなわち、人々が自由と尊厳のうちに生き、貧困と絶望から免れ、恐怖からの自由と欠乏からの自由を享受し、人権を享受しながら自らの可能性を十分に発展させることができるようにする、という考え方です。また、人間の安全保障は、人間中心で、包括的で、文脈に応じ、予防を重視する対応を求めるものとされています。

ただし、この決議で特に重要なのは、途上国を含む多くの国々の懸念に配慮している点です。人間の安全保障論に対しては、保護の名のもとに先進国による内政干渉や武力行使を正当化するのではないかという警戒感が示されることがありました。特に、国家主権や国内管轄事項への干渉に敏感な国々にとって、人間の安全保障という概念が外部からの介入の口実になるのではないかという不安は小さくありませんでした。

そうした懸念に配慮して、2012年の国連総会決議は、人間の安全保障が武力による威嚇や武力行使、あるいは強制措置を伴うものではないこと、国家安全保障を置き換えるものではないことを明記しました。また、国連憲章の目的と原則を十分に尊重し、国家主権、領土保全、内政不干渉を尊重して実施されるべきものであることも示しています。これは、人間の安全保障を国際社会で受け入れられる概念にする上で、非常に重要な確認でした。

いずれにせよ、国連総会の決議という形で、人間の安全保障の有効性を認め、その内容について共通理解を示し、今後も継続して議論していくことを国際合意として明確にしたことには大きな意義があります。ここで人間の安全保障は、国連において正式に共通理解が確認された概念となりました。もちろん、それで議論が終わったわけではありません。むしろ、感染症、気候変動、災害、紛争、難民、格差、デジタル技術のリスクなど、新しい課題に向き合う中で、人間の安全保障をどう実践していくのかが、いまも問われ続けています。