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人間の安全保障とSDGsの関係——脆弱な人々を守る視点と多様な担い手をわかりやすく解説 #放送大学講義録(持続可能な社会と生活第5回その6)

ーーーー講義録始めーーーー

 

人間の安全保障の特徴と意義(その2)——脆弱なグループへの着目・多様な担い手
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【ポイント⑤】脆弱なグループへの特別な配慮

人間の安全保障を考えるとき、特に危機的な状況に陥っている人々、あるいは危機に陥りやすい脆弱なグループに特別な関心を向ける必要があります。ここでいう脆弱性とは、その人自身に能力がないという意味ではありません。むしろ、貧困、差別、制度からの排除、情報へのアクセス不足、地理的条件、住環境、健康状態、年齢、ジェンダー、障害、法的地位などによって、危機の影響をより強く受けやすい状態に置かれているという意味です。したがって、脆弱なグループへの配慮とは、特定の人々を一方的に「弱い人」と決めつけることではなく、社会の仕組みが誰を危険にさらしているのかを見極めることでもあります。

脆弱なグループに含まれる人々としては、貧困層、女性、子ども、障害者、高齢者、先住民族、少数者、難民、国内避難民、帰還民、移民、遠隔地に住む人々、都市の非正規居住地に暮らす人々などが挙げられます。もちろん、これらは固定的な分類ではありません。たとえば、貧困状態にある高齢女性、障害のある難民の子ども、災害リスクの高い地域に住む移民労働者のように、複数の条件が重なって脆弱性が高まることがあります。人間の安全保障では、このような重なり合う不利、つまり複合的な脆弱性に目を向けることが重要です。

新型コロナ感染症では、高所得国と低所得国・低中所得国との間で大きなワクチン格差が見られました。ワクチンへのアクセスは、単に医療の問題にとどまりません。命を守る機会、経済活動の再開、学校教育の継続、医療体制への負担、社会的信頼にまで関わる問題でした。ワクチンを早く確保できる国と、供給を待たざるをえない国との間で、感染症そのものの被害だけでなく、社会経済的な回復の速度にも差が生じました。この点は、人間の安全保障が国境を越える課題であることをよく示しています。

また、気候災害では、低地、沿岸部、河川沿い、斜面地、都市周縁部、非正規居住地、いわゆるスラム街などに住まざるを得ない人々が、より大きな被害を受けやすくなります。これは、自然災害が「自然」だけで決まるものではないことを示しています。同じ豪雨や熱波であっても、堤防や排水設備が整っている地域とそうでない地域、断熱性のある住宅に住める人と簡易な住居に住む人、保険や貯蓄がある人とない人、避難情報を受け取れる人と受け取れない人では、被害の大きさが変わります。気候災害は、社会の不平等を映し出し、ときにはそれをさらに拡大してしまうのです。

人身取引や物理的・社会的暴力についても、脆弱な立場に置かれた人々が被害を受けやすいことが知られています。人身取引では、女性や女児、子どもが大きな割合を占めていますが、男性や男児も強制労働、犯罪強要、性的搾取などの被害者になりえます。重要なのは、被害者を単純な属性だけで見るのではなく、貧困、紛争、移動、孤立、差別、教育機会の不足、雇用の不安定さ、法的保護の弱さなどがどのように重なって、人々を搾取や暴力にさらしているのかを見ることです。人間の安全保障は、こうした見えにくい危険に光を当てる視点でもあります。

【ポイント⑥】多種多様な担い手

人間の安全保障を担う主体について、国家安全保障と明らかに異なるのは、主体が多種多様であることです。国家安全保障では、中心的な担い手は国家です。外交、防衛、警察、危機管理、国境管理など、国家機関が大きな役割を果たします。もちろん、人間の安全保障においても国家の役割は重要です。国民の生存、生活、尊厳を守る一義的な責任は、まず政府にあります。法制度、社会保障、保健医療、教育、防災、治安、雇用政策、環境政策などは、国家が責任を持って整えるべき重要な基盤です。

しかし、人間の安全保障は国家だけで実現できるものではありません。人間を取り巻く脅威は、貧困、感染症、災害、気候変動、暴力、差別、失業、孤立、教育機会の喪失など、非常に多岐にわたります。これらに対応するには、政府や国際機関だけでなく、地方自治体、学校、医療機関、福祉機関、NGO、NPO、地域コミュニティ、民間企業、労働組合、財団、研究機関、メディア、そして当事者である住民自身の参加が欠かせません。

ただし、ここで注意したいのは、「多様な担い手がいる」ということは、国家の責任が薄まるという意味ではないという点です。人間の安全保障では、政府が一義的な責任を担いながら、国際社会や地域社会、市民社会、民間部門がそれを補完し、協力していくことが重要です。たとえば災害対応では、政府が制度や予算、避難計画、復旧政策を担う一方で、自治体、消防、医療機関、学校、地域団体、ボランティア、企業、メディアがそれぞれの役割を果たします。感染症対策でも、政府の政策だけでなく、医療現場、研究機関、企業、市民の行動、メディアの情報発信、国際協力が相互に関わります。

民間企業や機関投資家、財団、メディアも、場合によっては人間の安全保障の重要な担い手になります。企業は雇用、労働安全、サプライチェーン、人権尊重、環境負荷の低減を通じて人々の安全に関わります。機関投資家は、投資先企業の環境・社会・ガバナンスへの取り組みに影響を与えることができます。財団は、政府の支援が届きにくい分野で資金や専門性を提供できます。メディアは、危機の実態を伝え、見過ごされがちな人々の声を社会に届ける役割を持ちます。ただし、それぞれの主体には責任の範囲や影響力の違いがあります。だからこそ、誰が何を担い、どのように連携するのかを具体的に考える必要があります。

人間の安全保障の概念は、人間を取り巻く脅威を減らし、人権を促進し、人々が尊厳を持って生きるために役立つ制度や組織を結びつける考え方です。安全保障を国家機関だけの仕事に閉じ込めず、社会全体でつくっていくものとして捉えるところに、その大きな特徴があります。

【持続可能な発展・SDGsとの関係】

このような理解を前提に、持続可能な発展やSDGsと人間の安全保障との関係を考えてみましょう。

2002年に南アフリカのヨハネスブルクで開催された持続可能な開発に関する世界首脳会議、WSSD、すなわち World Summit on Sustainable Development は、1992年のリオ地球サミットの10年後に開かれた会議です。1992年のリオ地球サミットが環境と開発を結びつける大きな転換点であったのに対し、2002年のヨハネスブルク会議では、貧困、開発、実施、パートナーシップといった側面がより強調されました。環境保護だけを語るのではなく、人々の生活、経済、社会、国際協力を含めて、持続可能な開発をどう実行していくのかが問われたのです。

そのヨハネスブルク宣言では、世界の人々の持続可能な開発に対して深刻な脅威となる状況との闘いに、特別な焦点を当て、優先的な注意を払うとしています。宣言が挙げている例には、慢性的飢餓、栄養不良、外国による占領、武力紛争、違法薬物問題、組織犯罪、腐敗、自然災害、違法な武器取引、人身取引、テロリズム、不寛容や人種的・民族的・宗教的その他の憎悪の扇動、外国人嫌悪、そしてHIV/AIDS、マラリア、結核を含む風土病、感染症、慢性疾患があります。ここで注目すべきなのは、宣言が持続可能な開発を、単に環境保全や経済成長だけの問題として見ていないことです。飢餓、病気、紛争、犯罪、差別、災害、人身取引、テロリズムのような、人々の生存、生活、尊厳を脅かす問題が、持続可能な開発にとって重大な障害だと捉えられているのです。

この点で、持続可能な発展と人間の安全保障とは、非常に深く関わっています。持続可能な発展は、現在世代の必要を満たしながら、将来世代の可能性を損なわない発展を目指します。一方、人間の安全保障は、一人ひとりの人間が恐怖や欠乏から自由であり、尊厳を持って生きることができるようにすることを目指します。両者は出発点こそ異なりますが、人々の生活の安定、脆弱な人々への配慮、将来への備え、社会の包摂性という点で重なり合っています。

SDGsの理念である「誰一人取り残さない」という考え方も、人間の安全保障と非常に相性がよいものです。貧困をなくすこと、飢餓をなくすこと、健康と福祉を守ること、質の高い教育を保障すること、ジェンダー平等を実現すること、安全な水と衛生を確保すること、気候変動に対応すること、平和で包摂的な社会をつくること。これらはすべて、人間の安全保障と密接に結びついています。逆に言えば、脆弱なグループが危機のたびに取り残され、暴力や欠乏にさらされ続けるなら、SDGsの達成も持続可能な発展も実現できません。

持続可能な発展と人間の安全保障は、互いに補い合う関係にあります。持続可能な発展は、長期的な社会のあり方を示します。人間の安全保障は、その過程で誰が危険にさらされ、誰が取り残されているのかを問い続けます。つまり、人間の安全保障は、持続可能な発展をより人間中心で、より包摂的で、より危機に強いものにするための重要な視点なのです。2002年のヨハネスブルク宣言は、この関係を考える上で重要な手がかりを与えてくれます。