【要約】
Huberらは、健康を「適応しself-manageする能力」と捉え、physical、mental、socialの3領域から具体化した。Physical healthではallostasis、すなわち変化を通じて生理的安定を維持する能力が重要となる。持久的trainingによる身体の適応はその理解に役立つが、選手の低い心拍数そのものがallostasisなのではない。またstress responseが長期化するとallostatic loadとなり、健康を損なうこともある。Mental healthではAntonovskyのSOCが重視され、困難をcomprehensible、manageable、meaningfulと感じることがstressへの適応に関係する。高いSOCは低いPTSD症状と関連するが、PTSDを必ず防ぐとは証明されていない。Social healthでは、自立した生活管理、役割遂行、仕事を含む社会参加が重視されるが、それらは本人の能力だけでなく社会環境にも左右される。こうした考え方では、疾病があっても適応し、社会参加し、自分をhealthyだと感じることがあり得るため、健康と病気を単純な二分法だけで捉えない視点が重要になる。
ーーーー講義録始めーーーー
身体的・精神的・社会的健康――allostasisとSOC
(身体的健康を「適応する力」から考える)
まず1つ目のphysical health、身体的な健康では、Huberらはallostasis(アロスタシス)という考え方を挙げています。Allostasisとは、環境や身体に求められる条件が変化したときにも、生体が自律神経系、内分泌系、免疫系などを調整しながら生理的な安定を維持するadaptive processのことで、“stability through change”、つまり「変化を通じて安定を保つこと」と表現されます。ですから、単純に「homeostasisを一定に保つこと」と同じではありません。Homeostasisが体温や血糖値など身体内部の状態を一定の範囲に保つことを強調するのに対し、allostasisでは、外部や内部のchallengeに応じて身体の働きそのものを変化させながら、必要な安定を実現するという点が強調されます。Huberらもphysical healthについて、健康なorganismは変化する状況のなかでphysiological homeostasisを維持するallostasisの能力を持ち、physiological stressに直面した際にはprotective responseを起こしてharm(障害)の可能性を減らし、equilibrium(均衡)を回復すると説明しています。
(持久系選手の低い心拍数をどう考えるか)
例を挙げると、長期間trainingを続けているendurance athlete(長距離競技者)の安静時心拍数を考えると分かりやすいでしょう。一般成人の安静時心拍数はしばしば1分間に60~100回程度が一つの目安として使われますが、高度にtrainingされた持久系選手では40~60 beats/min程度のresting bradycardia(徐脈)が珍しくありません。Elite runnersを調べた研究では、夜間に一時的に30 beats/min未満となった選手も報告されています。ただし、「Olympic marathon runnerなら通常30回程度である」と一般化することはできません。Trainingによって心臓の一回拍出量や自律神経調節などが変化し、安静時にはより少ない心拍数でも必要な循環を維持できるようになる場合があります。このようなtraining adaptationは、身体が繰り返される身体的負荷に応じて機能を調整する例として、allostasisを理解する手がかりになります。ただし、低い心拍数そのものがallostasisなのではなく、変化する要求に応じて身体が調節されていく過程全体をallostaticな適応として考えることが大切です。
(階段で息切れしにくくなることも「適応」の例である)
一般の人でも、運動習慣のなかった人が無理のない範囲で階段を使ったり有酸素運動を続けたりすると、cardiorespiratory fitness(心肺持久力)が改善し、以前と同じ程度の運動をした時に以前ほど強い負担を感じなくなることがあります。これもtrainingに対する生理的adaptationの一例です。ただし、これをそのまま「allostasisそのもの」と呼ぶよりも、環境や身体的要求の変化に応じて身体が機能を調節するというallostasisの考え方を理解する一つの具体例として考えた方がよいでしょう。そしてallostasisは、単に「stressに強くなればすぐbalanceを取り戻せる」という意味だけではありません。Stressに対して必要な生理的responseを起こし、必要がなくなればそのresponseを適切に終了させ、身体の安定を回復することが重要です。逆に、stress responseが強すぎたり、何度も繰り返されたり、長期間終了しなかったりすると、身体に負担が蓄積します。これがallostatic loadという考え方です。つまりallostasisには、人をchallengeから守る適応的な働きがある一方、それが長期間過剰に働けば、かえって健康上の負担になることもあるわけです。
(精神的健康とsense of coherence)
2つ目のmental health、精神的な健康では、強いpsychological stressに直面した時に、それを理解し、対処し、回復していくためのresourceの一つとして、Aaron Antonovskyによって提唱されたsense of coherenceが挙げられています。日本語では「首尾一貫感覚」と訳され、略してSOCと呼ばれています。Antonovskyがsalutogenesis、すなわち「人はなぜ病気になるのか」だけでなく「なぜ健康を保てるのか」を考える理論の中心に置いた概念です。SOCは、困難に直面した時に、状況をある程度理解できるというcomprehensibility(わかりやすさ)、その状況に対処するためのresourcesを利用できると感じるmanageability、そして、その状況に取り組むことには意味や価値があると感じるmeaningfulnessという3つの側面から構成されています。簡単に言えば、「これは何が起きているのか理解できる」「自分には何とか対処するための手段がある」「この問題に取り組む意味がある」と感じられる力だと考えると分かりやすいでしょう。
(SOCはPTSDを「防ぐ」と断定できるのか)
SOCについては、traumaや強いstressとの関係も研究されています。高いSOCを持つ人ではPTSD(post-traumatic stress disorder:心的外傷後ストレス症)の症状が低い傾向があることが、meta-analysisでも示されています。しかし、「SOCが高ければPTSDを防ぐことができる」と因果関係まで断定することはできません。現在確認されているのは、SOCの高さとPTSD symptom severityの低さの間に関連があるということです。研究者自身も、この関係がどの程度causalなのかについては、さらに研究する必要があるとしています。ですから、SOCは「PTSDを確実に防ぐ力」というよりも、stressやtraumatic experienceへのadaptationと関連する心理的resourceの一つと捉える方が正確でしょう。
(SOCとsubjective well-being)
Huberらもmental healthについてSOCを取り上げ、困難な状況についてcomprehensibility、manageability、meaningfulnessを高めることがadaptationやself-managementに関係すると説明しています。また、adaptしself-manageする能力が高まることによってsubjective well-beingが改善し、mindとbodyの間にpositiveなinteractionが生じる可能性があるとしています。ここでいうsubjective well-beingは、単純に一時的な「幸福感」だけを意味するわけではなく、本人が自分の生活や健康状態をどのように経験し、どの程度良好だと感じているかという主観的なwell-beingを含むものとして理解するとよいでしょう。SOCについてのsystematic reviewでも、SOCが強いほどperceived health、とりわけmental healthが良好であるという関連が繰り返し報告されています。ただし、SOCだけですべての健康が決まるわけではありませんし、SOCが高ければどのような困難でも必ず克服できるという意味でもありません。
(社会的健康――自分の力だけでは決まらない健康)
3つ目のsocial health、社会的健康では、人々が自身のpotentialを発揮し、社会的なobligationsや役割を可能な範囲で果たす能力、medical conditionがあったとしてもある程度のindependenceを保ちながら自分の生活をmanageする能力、そして仕事を含むsocial activitiesに参加する能力などが挙げられています。Huberらは、この領域の健康をopportunitiesとlimitationsの間のdynamic balanceとして捉えています。そのbalanceは生涯を通じて変化し、本人の身体状態や能力だけではなく、social and environmental challengesなどのexternal conditionsからも影響を受けます。
(社会参加には「能力」と「機会」の両方が必要である)
すなわち、自立したり社会に参加したりできるかどうかは、本人がどれだけ努力できるかだけで決まるものではありません。例えば、疾病や障害があっても働く能力がある人であっても、職場に合理的な配慮がなかったり、交通手段が利用できなかったり、必要なsocial supportがなかったりすれば、社会参加は難しくなります。反対に、適切な医療、福祉、家族やcommunityのsupport、働きやすい環境などが整えば、同じmedical conditionを抱えていても活動できる範囲が広がることがあります。その意味でsocial healthは、本人のadaptationやself-managementの能力と、本人を取り巻く環境が提供するopportunitiesやlimitationsとの相互作用として考える必要があります。Huberらが社会的健康をdynamic balanceと表現する意味も、ここにあります。
(3つの健康に共通する「challengeへの適応」)
Physical、mental、socialという3つのhealth domainsを見ると、いずれにもstressや疾病、生活環境の変化などのchallengeに対して、人がどのようにadaptしself-manageしていくかという共通した視点があります。ただし、すべてを単純にcopingという一つの言葉だけで説明することはできません。Physical healthではallostasisという生理的なadaptation、mental healthではSOCなどに表れる心理的な理解・対処・意味づけ、social healthではindependenceやsocial participationと、それを可能にする社会的条件が問題になります。形は違いますが、健康を「何の問題もない完成されたstate」だけでなく、変化するchallengeのなかでbalanceを調整しながら生活していくabilityとして見る点が共通しているわけです。
(病気があっても「健康」と感じられるという考え方)
そのようなadaptationやself-managementが可能であれば、疾病や障害があったとしても、仕事をしたり、social activitiesに参加したり、自分の生活をある程度自分でmanageしたりすることができます。そしてHuberらは、illnessにうまくadaptすることで、身体的なlimitationsがありながらも社会活動に参加し、自分自身をhealthyだと感じることもあり得ると述べています。ここが、この健康観のとても重要なところです。「diseaseがある=healthがない」「diseaseがない=healthである」という単純な二分法ではなく、diseaseを抱えながらどのように生き、機能し、社会と関わり、自分の生活をmanageしているかというところまで健康の視野に入れるわけです。
(健康と病気を単純な二分法で考えない)
こうして現在では、健康と病気を常に明確な二つの箱に分けるだけでは人間の健康を十分に説明できないという考え方が、Huberらのdynamic health conceptやAntonovskyのsalutogenesis(健康生成論)をはじめ、さまざまな健康科学・health promotionの研究で議論されています。もちろん、医学的なdiagnosisとして病気の有無を区別する必要がなくなったという意味ではありません。病気を正確に診断し治療することは依然として重要です。しかし、「病気がある人は健康ではない」と一律に決める必要もありません。疾病があっても、生活に適応し、利用できるresourcesを活用し、本人が意味のある生活を営んでいることがあります。反対に、diagnosed diseaseがなくても、本人が強い苦痛を抱え、生活や社会参加が著しく損なわれていることもあります。健康と病気を単なるyes/noだけではなく、変化し続ける生活のなかで捉えることが、「健康への力」を考えるうえで重要になってくるのです。
