【要約】
健康生成論(salutogenesis)は、医療社会学者Aaron Antonovsky(アーロン・アントノフスキー)が長年の研究を通して形成した、健康についての問いの立て方を転換する考え方です。従来の pathogenesis(疾病生成)が「なぜ病気になるのか」を中心に考えるのに対し、健康生成論は「人はどのように健康な方向へ動くのか」を問います。アントノフスキーは米国で社会学を学び、イスラエルで健康・社会・ストレスの研究を進めました。特に、中欧生まれの45~54歳のイスラエル在住女性287人を対象とした研究では、77人のナチス強制収容所経験者の多くが比較群より適応状態が悪かった一方、極めて過酷な経験にもかかわらず良好な適応を示す人々が存在することに注目しました。この問いが後の健康生成的発想につながり、1978年頃に salutogenesis という語を明確に用い、1979年の Health, Stress, and Coping で健康生成モデルを体系的に提示しました。
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健康生成論とは何か──発想の転換とアントノフスキーの経歴
(健康生成論を学ぶ) 今回と次回の2回にわたって、健康生成論という考え方について学んでいきます。この健康生成論は、英語では salutogenesis(サルートジェネシス、健康生成)と言います。海外ではもちろん、日本でも1990年代末頃から翻訳や研究が本格化し、その後、保健・医療・看護などを含む様々な領域で研究が積み重ねられてきました。また、World Health Organization(WHO:世界保健機関)の Health Promotion Glossary of Terms 2021(『ヘルスプロモーション用語集2021』)にも取り上げられている考え方です。詳しい話は後で申し上げますが、簡単に言えば、健康についての「問いの立て方そのものを変える発想の転換」と考えると分かりやすいでしょう。
(健康を見る発想を変える) 発想の転換は様々なところで行われてきていますが、健康の研究では長い間、「なぜ人は病気になるのか」「病気の原因や危険因子は何か」という pathogenesis(パソジェネシス、疾病生成)の問いが中心でした。それに対して健康生成論は、「人はなぜ、あるいはどのようにして、より健康な方向へ向かうことができるのか」という問いに重点を移します。少子高齢化や長寿化が進む現在、病気を予防・治療するだけでなく、人が持つ資源や健康を支える条件にも目を向けることには大きな意味がある、と考えることができるでしょう。ただし、少子高齢化やいわゆる「人生100年時代」が健康生成論そのものを生み出したわけではありません。健康生成論はそれより以前、1960年代から70年代にかけてアントノフスキーが進めた研究の中から形成されていった考え方です。
(アーロン・アントノフスキー) この健康生成論という考え方を理解するうえで、何より重要な人物が1人います。それがAaron Antonovsky(アーロン・アントノフスキー、1923–1994)という、米国生まれでイスラエルを主要な研究拠点とした medical sociologist(医療社会学者)です。アントノフスキーは、ある日突然健康生成論を「発見」したわけではありません。1960年代から70年代にかけてストレス、社会的条件、健康、そして人が利用できる様々な資源について研究を重ねる中で、徐々に考え方を形成していきました。本人の後年の回顧によれば、1978年に salutogenesis(健康生成)という言葉を明確に用いるようになり、1979年に刊行した Health, Stress, and Coping(『健康・ストレス・対処』)で salutogenic model(健康生成モデル)を体系的に提示しました。ですから、1979年は健康生成論が突然発見された年というより、それまで積み重ねられてきた考えが一つのモデルとしてまとまって提示された重要な年、と理解するのがよいでしょう。
(健康生成論が生まれるまで) まず、アントノフスキーが健康生成論という考え方にたどり着き、それを理論として形づくっていった経緯について見ていきましょう。健康生成論の意味を理解するためには、この研究の歩みそのものを知ることがかなり重要です。
(アントノフスキーの研究経歴) アントノフスキーは米国で育ち、第二次世界大戦中には米軍に従軍しました。その後、1950年代初めにYale University(イェール大学)で社会学の博士号を取得し、社会階層、差別、不平等、移民、民族集団などに関する研究に携わりました。その後イスラエルに生活と研究の拠点を移し、Israel Institute of Applied Social Research(イスラエル応用社会調査研究所)やHebrew University-Hadassah Medical School(ヘブライ大学ハダサ医学校)などで研究を行いました。さらに1973年にはエルサレムからベエルシェバへ移り、地域医療やプライマリケアを重視する新しい医学部の設立に関わっています。University of California, Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)との関係は1977年のサバティカル、つまり研究休暇による滞在で、この期間に後の1979年の著書 Health, Stress, and Coping の執筆を進めています。こうして1960年代から70年代にかけて、アントノフスキーは健康と社会、ストレスと健康、そして人々が持つ様々な資源について研究を深めていきました。
(逆境の中で健康を保つ人への問い) 研究をする中で、アントノフスキーは、次のような現実について考えさせられるようになりました。極めて過酷な、いわば逆境の中で生活すれば、多くの人は心身に大きな影響を受けます。ところが、同じように非常に厳しい経験をしていても、その後比較的良好な健康状態や適応状態を保っている人がいる。なぜなのだろうか、という問題です。つまり、「なぜ病気になる人がいるのか」だけを見るのではなく、「なぜ大変な状況を経験しても、比較的よく適応している人がいるのか」に目を向けたわけです。この問いが、後の健康生成的な発想を考えるうえで非常に重要になっていきます。
(更年期女性を対象とした研究) アントノフスキーがイスラエルで行った更年期の女性を対象とした研究を例に見てみましょう。印刷教材をお持ちの方は、コラム2-1をご覧ください。この研究をもとに1971年に公表された論文では、イスラエルのある中規模都市に住む、中欧生まれの45歳から54歳の女性287人が分析対象となりました。この研究そのものは、もともと更年期への適応を調べる研究でした。
(強制収容所経験者を含む調査対象) 調査対象となった287人の女性のうち、77人には、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収容された経験がありました。残る210人が比較群とされました。彼女たちは中欧で生まれ、調査時にはイスラエルで暮らしていた女性たちです。アントノフスキーらは、強制収容所経験のある女性たちと比較群について、更年期症状、主観的な well-being(ウェルビーイング、良好な状態・幸福感)、身体的・情緒的健康状態、社会的役割に対する満足度など、複数の側面から適応状態を比較しました。
