【要約】
アントノフスキーの健康生成論は、病気の原因だけでなく「何が人を健康の方向へ動かすのか」を問う考え方です。中核概念は Sense of Coherence(SOC:首尾一貫感覚)であり、それを支える Generalized Resistance Resources(GRRs:汎抵抗資源)などの資源が重視されます。後年には、健康を積極的に促進するものを salutary factors(健康を促進する要因)とも表現しました。重いトラウマを経験した人々へのインタビューからSOCの考え方が形成され、後に29項目の質問票へ発展しました。健康生成論では、健康と病気を単純に二分せず、すべての人が health ease/dis-ease continuum(健康―不健康の連続体)のどこかに位置し、ストレスや資源との関係によってその上を動くと考えます。危険因子も、存在すれば必ず病気になるというものではなく、発症可能性を変化させる要因として理解する必要があります。
ーーーー講義録始めーーーー
健康要因(サルタリーファクター)とサルートジェネシスの命名
(健康を支えるものは何か) それでは、健康を維持したり、回復したり、より良い方向へ進ませたりするものには、具体的にどのような要因があるのでしょうか。この授業のタイトルである「健康への力」という言葉とも深く関係してきます。アントノフスキーの健康生成モデルで特に中核的な役割を与えられたのが、Sense of Coherence(SOC:首尾一貫感覚)です。また、それを支えるものとして、Generalized Resistance Resources(GRRs:汎抵抗資源)や Specific Resistance Resources(SRRs:特定抵抗資源)と呼ばれる様々な資源も考えられています。このSOCこそ何なのか、そしてそれがなぜ「健康への力」と深く関係するのかについては、後で詳しく説明していきましょう。
(病気の原因だけでなく健康の源にも目を向ける) その一方で、疾患そのものや疾患を生じやすくする危険因子だけではなく、人をより健康な方向へ動かしていく要因や資源に光を当て、それらを発見し、利用できるようにしたり、育んだりする研究や実践も必要なのではないか。そうした方向から健康について考えてもよいのではないかと、アントノフスキーは考えました。これは、それまでの疾病生成的な医学を否定するという意味ではありません。病気の原因や危険因子を明らかにする研究に加えて、「人を健康の側へ動かすものは何か」というもう一つの問いを立てたところに、健康生成論の特徴があります。
(サルタリーファクターという考え方) このように健康を積極的に促進する要因について、アントノフスキーは後年、salutary factors(サルタリー・ファクター、健康を促進する要因)という表現を用いています。これは、単に risk factors(リスクファクター、危険因子)が少ないというだけではなく、それ自体が人をより健康な方向へ動かす働きを持つ要因という意味です。ただし、ここは少し注意が必要です。アントノフスキーが1979年に健康生成モデルを提示した当初から「サルタリーファクター」という言葉だけを中心概念として体系化していたわけではありません。初期の健康生成モデルでは、Generalized Resistance Resources(GRRs:汎抵抗資源)、ストレッサー、そして Sense of Coherence(SOC:首尾一貫感覚)などが主要概念として位置づけられていました。salutary factors that actively promote health(健康を積極的に促進する要因)という表現が明確に示されたのは、アントノフスキーの最後の論文として死後に発表された1996年の論文です。したがって、「サルタリーファクター」は健康生成的な発想を理解するうえで有用な言葉ですが、1979年から一貫して唯一の中心概念だったわけではありません。
(サルートジェネシスという名前) そして、この「何が人を健康の方向へ動かすのか」「健康の源はどこにあるのか」という問いを中心に据える学問的な志向を、アントノフスキーは salutogenesis(サルートジェネシス、健康生成)と呼びました。語源的には、健康を意味するラテン語系の salus と、生成・起源を意味する genesis を組み合わせた言葉として説明されます。アントノフスキー自身は1979年の Health, Stress, and Coping(『健康・ストレス・対処』)で、健康の起源を問う考え方として健康生成モデルを体系的に提示しました。その後も、疾病生成的な問いを捨てるのではなく、健康生成的な問いを研究と実践に加える必要性を訴え続けました。
(インタビューからSOCへ) 当時、アントノフスキーは、重いストレスや逆境、トラウマを経験した人々に詳細なインタビューを行いました。ただし、この調査の目的を単純に「健康要因をたくさん発見するため」と考えるのは正確ではありません。彼が特に注目したのは、非常に厳しい経験をしていながら比較的高い水準で生活している人と、そうではない人との間に、人生の受け止め方にどのような違いがあるのか、という問題でした。インタビュー対象者は重いトラウマを経験した人々で、高い機能水準を示す人々に共通し、低い機能水準の人々には乏しい人生への志向が探索されました。そこから、後に comprehensibility(把握可能感)、manageability(処理可能感)、meaningfulness(有意味感)という3つの要素を持つ Sense of Coherence(SOC:首尾一貫感覚)の考え方が形づくられました。また、インタビューから得られた表現は、後に29項目からなる Orientation to Life Questionnaire(人生への志向質問票)の作成にもつながりました。
(健康生成モデルへの整理) またアントノフスキーは、社会学や心理学だけではなく、ストレス研究、社会的支援、健康研究など幅広い領域の知見を検討し、人がストレッサーに対処する際に利用できる様々な資源を Generalized Resistance Resources(GRRs:汎抵抗資源)として整理していきました。社会的支援などの資源がなぜ健康と関係するのかを考える中で、それらに共通して働く重要な要素としてSOCの考え方を発展させました。そして、ストレッサー、抵抗資源、SOC、そして健康状態の変化がどのように関係するかを、Salutogenic Model of Health(健康生成モデル)として模式的に整理しました。この健康生成モデルについては後で説明します。
(健康そのものをどう考えるか) 健康を促進する要因について見ていく前に、そもそも健康とは何かについて考えてみましょう。アントノフスキーは、疾病生成的な考え方と健康生成的な考え方とでは、健康を捉える枠組みそのものが異なると考えました。特に健康生成論では、健康な人と病気の人を単純に二つに分けるのではなく、すべての人を連続体の上に位置づけて考えるという点が重要です。印刷教材をお持ちの方は、図2-1をご覧ください。
(疾病生成的な二分法と健康生成的な連続体) 疾病生成的な典型的発想では、disease(疾病)と health(健康)を比較的明確に区分し、「病気であるか、病気でないか」という分類から健康状態を捉える傾向があります。アントノフスキーは、このような二分法だけでは人間の健康の実態を十分に捉えられないと考えました。これに対して健康生成論では、health ease/dis-ease continuum(健康―不健康の連続体)という考え方を採ります。人間は完全に健康か完全に病気かのどちらかではなく、生きている限り健康な側面と不健康な側面の両方を持ちながら、その連続体のどこかに位置し、状況によって健康側にも不健康側にも動くと考えるわけです。また、risk factors(リスクファクター、危険因子)が存在すると疾病になる可能性は高まりますが、危険因子が一つ存在するだけで必ず疾病になるわけではありません。同様に、一つの危険因子を取り除いたからといって、疾病になる可能性が完全になくなるわけでもありません。健康や疾病は、遺伝、環境、生活習慣、社会的条件、ストレス、利用できる資源など、複数の要因が関係しながら変化していくものと考える必要があります。
