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ストレスはどう病気につながる?「3つの経路」とアントノフスキーの“人生という川”を健康生成論から解説 #放送大学講義録(健康への力の探究第2回その9)

【要約】

 

慢性ストレスの健康影響は、①メンタルヘルス、②自律神経・内分泌・免疫などの生理学的経路、③喫煙・飲酒・食事・運動などの行動変化、という3つの側面から整理できます。ただし、ストレスが個々の病気を直接引き起こすと単純に考えることはできません。うつ病、心血管疾患、IBSなどではストレスとの関連がありますが、胃・十二指腸潰瘍の主因はピロリ菌とNSAIDsであり、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎、関節リウマチ、片頭痛などではストレスは主に増悪・誘発因子として位置づけられます。がんについては、慢性ストレスとの直接的な発症因果関係は現在も明確ではありません。アントノフスキーは健康生成論を「人生という川」に例え、私たちは誰も岸辺ではなく、すでに川の中にいると考えました。重要なのはストレッサーのない人生を求めることではなく、急流や渦のある人生の中で、GRRsやSOCなどの資源を使いながら、いかにうまく泳ぎ健康側へ向かえるかという問いです。

 

ーーーー講義録始めーーーー

 

ストレスによる疾病への3つの経路/川の流れの比喩

(ストレスが健康へ影響する3つの側面) ストレス状態が長引くと、心身の健康に様々な影響が現れることがあります。その経路は厳密に「3つだけ」と決められているわけではありませんが、講義上は大きく、①メンタルヘルスへの影響、②自律神経系・内分泌系・免疫系などを介した生理学的な影響、③健康行動を介した影響、という3つの側面から整理すると理解しやすいでしょう。1つ目はメンタルヘルスへの影響です。強いストレスや慢性的な負担が続くと、活気が失われたり、いらだち、不安、睡眠障害、集中困難、気分の落ち込みなどがみられることがあります。ただし、こうした症状が現れたからといって、そのまま直線的にうつ病になるわけではありません。major depressive disorder(メジャー・デプレッシブ・ディスオーダー、大うつ病性障害・うつ病)は、遺伝的、生物学的、心理的、環境的要因が複雑に関係して生じる精神疾患です。また、強い抑うつ状態では、重症化すると「消えてしまいたい」と感じる suicidal ideation(スーサイダル・アイディエーション、希死念慮・自殺念慮)がみられる場合もありますが、これはすべてのストレス反応やうつ状態で生じるわけではありません。ストレッサーとの関係が明確な精神疾患としては adjustment disorder(アジャストメント・ディスオーダー、適応障害)があります。一方、panic disorder(パニック・ディスオーダー、パニック障害)は予期しないパニック発作を繰り返す疾患であり、ストレスや環境因子は関係し得ますが、慢性ストレスだけで説明できるものではありません。また、post-traumatic stress disorder(PTSD:心的外傷後ストレス障害)は、戦争、災害、暴力、重大事故など、死や重傷などに関わる潜在的外傷体験の後に生じることのある精神疾患で、一般的な日常ストレスとは区別する必要があります。

(生理学的な経路と病気) 2つ目は、先ほど説明した交感神経系、HPA軸、糖質コルチコイド、免疫・炎症系などを介する生理学的な経路です。慢性的なストレス反応は、血圧、心拍、代謝、睡眠、消化機能、炎症・免疫反応などに影響し、様々な疾患の発症リスクや症状、再燃と関連する可能性があります。しかし、ここで注意しなければならないのは、「ストレスがその病気を直接作る」と一括してはいけないということです。例えば、高血圧や心血管疾患では、慢性ストレスが血圧上昇や生活習慣の変化などを通じてリスクと関連することがあります。Irritable bowel syndrome(IBS:過敏性腸症候群)は、現在では disorder of gut-brain interaction(腸―脳相関の障害)として理解されており、ストレスや心理的要因が症状に関係することがあります。Ulcerative colitis(潰瘍性大腸炎)では、ストレスが病気そのものの原因だとは言えませんが、炎症や症状の再燃・増悪に関係する可能性があります。Atopic dermatitis(アトピー性皮膚炎)でも、ストレスは発症原因そのものではありませんが、かゆみや皮膚症状のフレアを悪化させる誘因となる場合があります。Rheumatoid arthritis(リウマトイド・アースライティス、関節リウマチ)についても、ストレスは自己免疫疾患そのものの単独原因ではありませんが、フレアや疼痛の増悪に関係することがあります。Temporomandibular disorders(TMDs:顎関節症)では、遺伝的要因、心理・生活上のストレッサー、疼痛知覚など複数の要因が関係すると考えられています。Migraine(マイグレイン、片頭痛)では、ストレスは多くの患者にとって代表的な発作誘因の一つです。一方、胃・十二指腸潰瘍については、現在では主要原因は Helicobacter pylori(ヘリコバクター・ピロリ)感染と nonsteroidal anti-inflammatory drugs(NSAIDs:非ステロイド性抗炎症薬)であり、日常的な心理ストレスが一般的な消化性潰瘍の主要原因であるとは考えられていません。また、がんについても、慢性ストレスが発症そのものを直接増加させるかどうかについては研究結果が一致しておらず、現時点では明確な因果関係が確立しているとは言えません。したがって、ストレスと病気の関係は、病気ごとに異なる強さと経路を持つものとして理解する必要があります。

(健康行動を介する経路) 3つ目は、ストレスによって引き起こされる行動の変化を介する経路です。慢性的なストレスが続くと、一部の人では喫煙量や飲酒量が増えたり、過食や欠食など食行動が乱れたり、運動量が減ったり、睡眠習慣が悪化したりすることがあります。また、状況によってはリスクの高い性行動など、健康上望ましくない行動が増える場合もあります。このような行動は、それ自体が高血圧、糖尿病、心血管疾患、一部のがんなどの危険因子となることがあります。つまり、ストレスが直接病気を作るだけではなく、ストレスによって生活行動が変化し、その結果として疾病リスクが高まるという間接的な経路も考える必要があります。例えば、慢性ストレスとがんとの関連についても、National Cancer Institute(NCI:米国国立がん研究所)は、ストレスそのものによる直接的な発がんだけでなく、喫煙、過食、運動不足、飲酒などの行動変化を介する可能性を指摘しています。

(健康生成論へ戻る) ここまで、ストレスの原因となる stressors(ストレッサー)や、ストレスによって生じ得る心理的、生理的、行動的な様々な問題について見てきました。ただし、健康生成論の立場では、「ストレスがあるから病気になる」という一本道だけを見るわけではありません。同じストレッサーにさらされても、健康への影響には大きな個人差があります。人はどのような資源を持ち、それをどのように活用し、緊張をどの程度うまく処理できるのか。これこそが健康生成論にとって重要な問いです。これらの基本的な知識を踏まえながら、ここから再び健康生成論に戻り、健康を支える要因と健康生成モデルについて見ていきましょう。

(アントノフスキーの「人生という川」) アントノフスキーは、健康生成論を説明する際に「川」の比喩を用いました。ただし、そのイメージは「人生の初めに川へ産み落とされ、流れに逆らって泳ぐ」というよりも、「私たちは誰も岸辺の安全な場所にいるのではなく、生きている限り、すでに人生という川の中にいる」というものです。川には穏やかな流れもあれば、危険な急流や渦もあります。アントノフスキーは、この比喩を通じて、「川がどれほど危険なのか」という問いだけではなく、「その川の中で、どれほど上手に泳ぐことができるのか」という問いを重視しました。この「泳ぐ力」を考えることが、健康生成論の核心に近づいていくことになります。

(川そのものはストレッサーだけではない) この川を人生に例えるとき、「川の流れそのものがストレッサーである」と完全に同一視するのは少し単純化しすぎです。川そのものは、私たちが置かれている人生や社会環境、生活条件全体を象徴していると考える方がよいでしょう。その中に現れる急流、渦、岩、障害物などが、stressors(ストレッサー)に対応するイメージです。また、人がこれまでの人生で身につけてきた様々な Generalized Resistance Resources(GRRs:汎抵抗資源)は、川を泳ぐ際に使える力や装備に例えることができます。そして、必要な資源を見つけ、うまく使いながら困難に対処していくうえで重要なのが Sense of Coherence(SOC:首尾一貫感覚)です。したがって、アントノフスキーが本当に問おうとしたのは、「どうすれば川から逃げられるか」ではなく、「危険や困難のある川の中でも、どうすればよりうまく泳ぎ続けることができるのか」ということだったと言えるでしょう。川を人生に例えることは文学の世界でもよくありますが、健康生成論ではこの比喩に、健康を病気の有無ではなく、人生の中で健康側へ向かう力として考えるという明確な理論的意味が与えられています。