【要約】
アントノフスキーは人生を「川」に例え、すべての人がストレッサーや困難のある川の中で生きていると考えました。ただし、川全体がストレッサーなのではなく、川は人生や社会環境全体を表し、急流や渦などがストレッサーに相当します。健康生成論が問うのは、危険のない川を作ることだけではなく、その中でいかにうまく泳ぐかということです。その際に重要なのが Sense of Coherence(SOC:首尾一貫感覚)です。SOCは健康生成モデルの中核概念で、人生の刺激を理解可能と感じる comprehensibility、利用できる資源があると感じる manageability、取り組む意味があると感じる meaningfulness の3要素から構成されます。ただし、SOCだけで健康が決まるわけではなく、GRRsやSRRsなどの資源との相互作用が重要です。SOCは「ストレス対処力」「健康生成力」と説明されることもありますが、これらは説明的表現であり、学術的な標準訳は「首尾一貫感覚」です。
ーーーー講義録始めーーーー
川の流れの比喩とSOC(首尾一貫感覚)の導入
(人生という川の中で生きる) 人間は、様々なストレッサーや困難が存在する「人生という川」の中で生きている、と考えることができます。ただし、川の流れそのものを、そのままストレッサーと考えるよりも、川全体を私たちの人生や生活環境、その中にある急流や渦、岩や障害物などを stressors(ストレッサー)と考える方が、アントノフスキーの比喩に近いでしょう。川がどのような状態にあるかは、歴史的、文化的、社会的、経済的、物的な環境条件によって大きく異なります。例えば戦争中に生まれた場合、日常生活の中で暴力、生命の危険、避難、物資不足、家族との離別など、非常に大きな困難にさらされる可能性があります。こうした状況は、その人が泳がなければならない川そのものが非常に危険で、急流や障害物が多い状態にある、と考えることができます。健康生成論では、こうした社会的・歴史的な条件も、個人の健康を考えるうえで重要な要素になります。
(どれだけ上手に泳げるかという問い) そうした、人それぞれが置かれた「人生という川」の中で、人は何とか泳ぎながら生活しています。川の状態も違えば、使える資源も人によって違います。そこでアントノフスキーが重視したのは、「なぜ川に危険があるのか」という問いだけではなく、「そのような川の中で、なぜある人は比較的うまく泳ぎ続けることができるのか」という問いでした。これは、初めに説明した「何が健康を作るのか」「何が人を健康の方向へ動かすのか」という健康生成論の問いにつながります。ただし、その泳ぐ能力が一つの要因だけで決まるわけではありません。健康生成モデルでは、Generalized Resistance Resources(GRRs:汎抵抗資源)や Specific Resistance Resources(SRRs:特定抵抗資源)と、それらを認識し活用するうえで重要な Sense of Coherence(SOC:首尾一貫感覚)との関係が重視されます。言い換えれば、「泳ぐ力」はSOC単独ではなく、使える資源とSOCが組み合わさって発揮されるものと考える方が正確です。
(SOCという中核概念) 初めに述べましたように、アントノフスキーは、こうした問いのもとで、重いストレスや逆境を経験した人々へのインタビュー結果を検討するとともに、社会学、心理学、ストレス研究、医学、文化研究など広範な研究領域の知見を検討しました。また、様々な Generalized Resistance Resources(GRRs:汎抵抗資源)がなぜ健康と関係するのかを考える中で、それらの資源を認識し、利用し、ストレッサーに対処するうえで重要な共通の志向として Sense of Coherence(センス・オブ・コヒアランス)という概念を発展させました。SOCは健康生成論の中で非常に重要な中核概念ですが、「究極の健康要因」というより、健康生成モデルを構成する中心的な概念の一つと考える方が正確です。日本語では一般に「首尾一貫感覚」と訳され、英語の頭文字を取ってSOCと略されます。この授業でも、以後はSOCと呼ぶことにしましょう。
(SOCとはどのような感覚か) SOCとは何かについての詳細は、次回の授業で詳しく説明しますが、ここでは大まかなイメージだけ持っておきましょう。アントノフスキーはSOCを、人生で出会う出来事や刺激について、「ある程度理解できる」「自分や周囲に利用できる資源がある」「取り組む意味のある課題だ」と感じられる程度を表す、人生全体に対する global orientation(グローバル・オリエンテーション、全般的志向)として定義しました。このSOCは、comprehensibility(コンプリヘンシビリティ、把握可能感)、manageability(マネージャビリティ、処理可能感)、meaningfulness(ミーニングフルネス、有意味感)という3つの要素から構成されます。
(「泳ぐ力」とSOCの関係) 先ほどの川の比喩でいえば、SOCは「泳ぐ力」そのものと完全に同じというより、川の状況を理解し、自分が持っている道具や助けを見つけ、それらを使いながら泳ぎ続けるための基本的な姿勢や方向づけに相当すると考えるとよいでしょう。例えば、自分が今どのような川にいるのかを理解できることは comprehensibility(把握可能感)に、使える浮き輪や仲間、技術などがあると感じられることは manageability(処理可能感)に、そして「この状況でも泳ぎ続ける意味がある」と感じられることは meaningfulness(有意味感)に対応するイメージです。また、SOCは一般向けには「ストレス対処力」や「健康生成力」と説明されることもあります。ただし、これらはSOCの意味をわかりやすく伝えるための説明的な表現であり、学術的な標準訳は「首尾一貫感覚」です。SOCは単なるストレス対処技能ではなく、人生や世界をどのように捉え、利用可能な資源をどう使うかに関わる、より広い全般的志向だという点を覚えておいてください。
