F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

梅田へ。

今日は梅田に進出する。例によって阪急で梅田駅(10月から大阪梅田駅に改称する)に降りると、駅の2階(駅ビルでは4階に相当)にタリーズが出来ていた。

f:id:F-name:20190922131338j:image

最近は阪急梅田界隈に根を下ろしている。もしかしたら阪急がフランチャイズにより展開しているのかもしれない。

神戸線サイドには、もはやカフェcafeではなく、よく分からない業態になっている。差し当たり喫茶店では無さそう。

f:id:F-name:20190922131540j:image

友人と会う前に時間潰しで蔦屋書店に。珍しくスタバのアイスコーヒーを。

f:id:F-name:20190922131643j:image

グランフロントで会食。北館の6階まで上がったら、やたらと吹き抜けが近未来の2015年の感覚に近い。そもそも今からすると近未来ではないけれど。ううみゅ。

 

美の本質(美学・芸術学研究第2回)

講義は暑苦しい(笑)が、趣旨はよく理解できた。哲学なんて畑違いだと思っていたけれど、意外と自分には適性があるのかもしれない。

 

プラトン。奇跡的に唯一全ての著作が残っている。「饗宴」。美は生じることも滅びることもない。それ自身だけで単一の相を持つもの。少しも増えたり減ったりしない。この世のもろもろの美しいもの。美の階梯。美であるものそのものを語る。美学。プラトンこそ創始者。美のイデア。常に在るもの。美のイデアを分有。永遠に存在。存在論的自立性。美の自立性。実在性。アリストテレス。殆ど失われている。「形而上学」。美について少しだけ。秩序と非決定性。世界に存在している物の持つ性質。人間は付け加えるものはない。イデア哲学ではない。徹底的に批判。あくまで実在しているものの性質。美の確固たる実在性を証明。18世紀。バウムガルテン。プラトン以来の歴史の方向性を変える。美学という言葉を発明。美学は認識の学問。美学の中に奇妙な言い換え。自由学芸の理論。美を考えるというのではなく、美しく、という副詞。美しく考える学問。どういうこと?ライプニッツの形而上学を。芸術作品の出来不出来は腑分けすることができない。自らの美学について、混乱させる?当惑させる?芸術はあやふやなものである。それを対象とするのが美学。間違い。意味が。一緒に注ぐ。2つ以上の飲み物を1つに混ぜる。2つのものが合体する、という意味。キールロワイヤルというカクテル。決してあやふやな味ではない。1つの美味しいカクテル。融合して1つに。雑然としているのではない。渾然一体。芸術作品は渾然一体、分離できなくて明晰なもの。あやふやなものでは全く無い。素晴らしいもの。ライプニッツは認識の完全性を語っていない。それが人間に訴えるものである。自立した芸術作品の中に美が存在している。認識が相手としている実在の客観的な美について語っている。実在論美学。バウムガルテンも「形而上学」で、完全性が美である。ライプニッツと同じ。実在の中に完全性があってそれが美。「美学」認識の完全性が美学と考えが変わっている。認識の側に美の判断基準を移している。非常に重要な意味を持つ転回。1人の学者の中で根本的に立場が変わっている。考える側の、主観の側に移してしまった。バウムガルテン美学。転向。根源的な立場の違い。後のドイツの近代美学を準備。ドイツ観念論美学を。カント美学。「判断力批判」。美しいかどうかは在るものを人間が見て心地よいのなら美しい。判断の基準を主観の側、人間の側に。観念論美学。後期バウムガルテン。美の根源が認識主観にひっくり返る。ヘーゲルに至って完成する。主観への転向が切り開く。プラトン以来の古典的立場に立つ。古典美学の立場からは嘆かわしい。客観性が美ではないのか。傲慢な人間中心主義。人間が世界を裁くことが出来るという近代世界。ドイツ観念論美学に。間違った道。近代の道を切り開くいい道?重要な転向。バウムガルテンにおいて。バウムガルテンは美学の創始者ではない。転向した点で重要。判断基準の根拠を。予めデカルトが、客観から主観への移動を。デカルト哲学。近代の自然観。人間中心主義。それを如何にデカルトが用意したか。人間中心主義があったが為に環境問題で危険な事態に。近代人間中心主義。ドイツ観念論美学。思い上がった考え。近代の主観主義。美学だけではない。ハイデッガー。哲学的に分析。近代的自然観。住みにくい地球。人間の文化文明の歴史。単線的ではない。プラトン以来の実在的美学。しっかりと存在し続けている。ライプニッツ。実在の側に。大変素晴らしい美学を。力を見れば、一が己の内で他を支配する。よりよく調和するところに美学が。非常に古典的で伝統的。美学思想を統一させている。古典的美学。モナド論哲学に基礎づけている。統一の美学。モナド。単一な実体。一と他の関係。単一な実体は至るところに存在する。自然全体は生命に満ちている。生命的宇宙観。モナドは力を持っている。一があってこそ他はある。一が他を再現している。表象。一は他を包み込み再現している。モナド論を哲学に受け継いでいる者も。モナド哲学。力の哲学。ダイナミックな力動的な世界像を。ライプニッツの美学。近代主観主義を遥かに超えている。プラトン以来の古典的な豊かな伝統を受け継いでいる。実在論美学者。大物たちの美学。私自身の美学の考えを。如何に小さな存在といえども、自分の思想を持つのが哲学者の端くれ。美学を徹底的に勉強して、自分の美学を考えている。実在論の哲学。美を実在のものとして。認識主観にではない。実在の内に存在している本質。美は。実在に固着しているものではない。ダイナミックなもの。次の時点においては増大していることもあれば減少していることもある。世界の中における実在が変化している。世界と連動して複雑に絡み合って維持存在している。変化し消滅。世界は多様であって、ダイナミックに生成変化する。世界は複合的な総体。存在の連鎖。華厳経。宇宙の中の全ては、一切の中に一が含まれている。モナド哲学と根源的に同じもの。華厳の哲学と同じ。複雑な総体。一が全である。美の根拠。世界の実相。実在の本質は全一的。美というものは実在の本質の集積。美は強い強度を持つ。世界本質の全一強度である。ライプニッツ。プラトン以来の哲学。美は力。美は固定的なものではない。流動的な変化。全一的に。学問する人間の端くれとして、自らの学問を考えなければならない。美の様々な在り方を。日本の学者にはあまり無いけれど。集積や表現。強さ。如何に芸術が素晴らしいか。美の様々な側面を。

 

美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)

美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)

 

 

受動性。

最初に人生の進路を決めるのは、大半の人間にとっては中学受験か高校受験の時だろう。私の場合は金が無くて中学受験をしなかったので、高校受験が最初の選択だった。当時の高槻市の中学校では、管理職含め教員全員が地元の公立高を受験するよう強要する。受身的だったら言われた通りにしたのだろうけど、私を虐めた人間と同じ高校に進学するのは耐え難い。強硬に拒否して隣の市にある公立高に合格することが出来た。ただ模試の結果を勘案して受かりそうなところを受験したので、ある意味では受身的に進路を決めたと言える。適応出来ないことを考えなかったのは迂闊だったかも。まあその心配は無かったけれど。

iOSのバージョンアップversion up。

iPhoneの新機種が発表されて久しい。最新の製品にはカメラcameraが3個つくという。多分買わないと思う。恐らく古い機種を実質無料で使うことになるかと。ただ今のiPhoneSEには不満はないが。

iOSも13になったとのことでバージョンアップversion upする。Wi-Fi環境で結構時間がかかったけれど。メジャーmajorなので幾つか設定をする。今のところ格段に変わったようには見えない。日本語の入力は少し楽になったかな。まあセキュリティsecurity面の機能が充実するのならversion upした甲斐はあるのだろう。

クライアントと「語る」こと  -「表現する」こと(心理カウンセリング序説第2回)

どうも自分の表現は、書くことに偏りがちである模様。話すことや、非言語的な手段で表現することが不足しているのかもしれない。

 

語ることが持つ意味。フロイトにより精神分析が。ボイヤーがOアンナという患者の治療に。多彩なヒステリー症状。白昼夢の話をして落ち着く。おしゃべり療法。コップから水を飲むことができない症状を。大きな犬がコップで水を飲む。症状が無くなった。必ずこのEpisodeが。心理的代償。カタルシスという概念。人間は非常に深いことを無意識の領域に閉じ込める。扱いの難しい事情。小さな子どもだと、都合が悪いとウトウトと眠ってしまう。大人でも聞こえないかのように振る舞う、または全く別のことを話す。必ずしも意識している訳ではない。在る種の感覚遮断、防衛機能。戦争であることもあれば、大きな犬であるのかもしれない。自然災害や犯罪などで、学校に心理臨床師が。扱いの難しい事情。そのまま意識に収めることは難しい。大きな不安を。聞かなかったことにする。遠い倉庫に仮置きしてしまう。防衛機制。心の傷。フロイトは心理的外傷という概念を。トラウマ。アンナの例。水を飲むことが心理的外傷になる。カタルシス。トラウマ。今度はボイヤーに嫌悪感を込めて話す。感情を込めて話したことで心理的エネルギーが発散される。昇華。自然災害や事件に遭遇した人が、忘れるのではなく、言葉や絵といった表現で再体験をするのも必要。慎重でなければならないが。45年3月10日の東京大空襲の経験。当時の経験はあまりに辛い酷いもの。橋に近づくこともできなかった。炎の中の橋の情景を絵に描くことで再体験する。その経験あればこそ、当時の橋に近づくことができた。精神分析の発達。心理的外傷、トラウマの発見は一般に認知されている。誤解もされているが。心理的外傷は大きな問題。感情を伴って見つめていく。カタルシス。クライアントの語ることの大切さ。談話療法。1つの本質を表現している。神経症との治療の関連。人間については昔から沢山の形でテーマとして取り上げられている。扱いの難しい事情。有名な話にも表現されている。王様の耳はロバの耳。古代ギリシア。音楽の技を競う。床屋はミダス王の耳の話を秘密にされるよう言われた。地面に穴を掘って叫ぶ。街中の井戸から声が響く。何人も戯曲を買いたりしている。ロバも問題だが。王様の秘密を抱えるのは大変。ロバの耳であることを見てしまう。扱いの難しい事情を知ってしまう。話すと死刑にされてしまう。告白をする。土をかぶせて埋めようとする。水の中に鎮めるなど。無意識の中に埋めてしまう。昔話や神話。大切な物を取り返す。意識の中に引き戻す。人に話すのでなく、地面の中に叫んで封印しようとした。おしゃべり療法。極端に聞こえるだろうが、日常にもある事情の筈。友人や恋人などに様々なことを語る。日々の生活は大変。糧を得ることや人と折り合いをつけること。家族こそが苦悩の源泉であることも珍しくない。何が起こるか分からないのが人生。パートナーに話を聞いてもらうことでどんなに救われるか。ペットに話を聞いてもらう人もいる。葛藤や扱いの難しい事情は避けられないが、一人では抱えられない。神経症や心の病気に。ボイヤーやフロイトが解明。澱。よどむ。滞る。日々生きていると出会いは避けられない。様々な否定的な感情が。一人で抱えていると澱んでしまう。人生には澱がつきもの。人生の深み。ヘドロのように増大し、流れが止まってしまうことも。血管の壁に付着するコレステロール。流れの底に溜まる澱。扱いの難しい事情。はけ口にされるペットも大変。子供が聞き手の役回りになってしまうこともある。やがて心身の調子を崩すことに。子どもたちは親のセラピスト役を引き受けさせられる。自分は親のゴミ箱にさせられていた。おしゃべり療法。セラピストがカウンセリングの器の中でならまだしも。
クライエントが語るとどのようなことが起こるのか。語り手は聞き手に受け止めてもらう。緊張がほぐれ、コレステロール状の澱が消えて水が流れる。長い時間が必要。10年以上かかることも。語ることを通して、意識化というプロセスが進行する。語ることを通しての意識化。幾つかの例。語る、言葉にするということは、未分化であった事象を整理する。部屋の中が混沌と、何が何処にあるかわからなくなる。未知のエネルギー。まだ人間化していない。混沌としているので風通しも悪い。あまりに難しい事象に直面していると。語ることで混沌を整理する。言葉にすることを通して自分の感情が発見できる。本人にしてみたら嫌だと感じていることすらわからないことがある。混沌から語ることの意識化。語ることで、全然許していなかったことが分かってくる。どんなに激しいものであったとしても、自分の感情がわかれば落ち着きも出てくる。自分ではやることにしていることがわかったと語るクライエントもいる。逡巡を重ねていたけど言葉にすることで、決断していたことを改めて意識する。言葉にしていく中で、不思議な現象。語ることは抱えていることと向き合うことでもある。向き合うことが大変だからこそ、無意識に押し込めている。何十年にもなっていることも。語るとは、扱いの難しい事情と向き合う、見つめること。ユングの「人間と象徴」。10年経過して、ずっと待っていてくれたから今話すことが出来る。扱いの難しい事情を見つめる、言葉にする、には慎重にするべき時間が必要。信頼関係の構築が必要。語ることはそもそも自分自身と向き合う。見つめる。対話することでもある。自分のことを見つめるのには自分だけでは難しい。自分のことには盲点もあるし、どうしても甘くなる部分もある。主観については他者が居ないと向き合えない。フロイトでさえ友人を必要とした。自分自身が他者の分析を受ける必要がある。自分が自ら他者に語ることが。言葉にすることで自分を見つめる、向き合う。日本人にとってカウンセリングというのは相当に新しい経験。日本では長い間、以心伝心が。言葉に依らないコミュニケーション。言葉だけでは伝えられないこともあるが、言葉による伝達への努力なくしては誤解が生じることもしばしば。学校教育において自分の気持ちを言葉にするという意識は薄い。家庭において、日常的に食事をしながら家族のそれぞれが経験を語り、耳を傾けるということが薄いように感じられる。言葉にしてみて初めて気がつく、ということは、自分で語ることがなかった、ということであり、問題。クライアントと語ること。表現すること。語ることは整理することであると同時に、表現することでもある。表現することは多くの日本人にとり簡単なことではない。語ることが文化的に継承されてきた訳ではない。書き言葉なら話し言葉に比べて表現力はあるが。議論することは控えめだが、書いてもらうと遥かに豊かな表現が。書くことによる表現にはかなりの重きが置かれていた。他者の目を意識しなくても良いから?フロイトは話し言葉で自らを語ったのではない。ウィーンからベルリンで手紙の形で自らを語り続けた。書き言葉を通して。言葉にするのは書き言葉によっても。カウンセリングを考えるにあたって様々なヒントに。詩を持って来られるクライアントもいる。文字通りに語る場合も多いけれど、自分を表現するのであるなら語り言葉である必要はない。手紙などは非常に大切な言葉。フロイトは曼荼羅imageを描いていた。チューリヒ湖畔に家を立てた。石の割り方から教わり、一から作る。変容を重ね32年を費やした。自らの表現として家を作った。自分を表現するには言語的な形式でなくても可能。カウンセリングにおいて言葉にして意識化することは非常に大切だが、場合によってはクライアントが絵を描いたり写真を撮ったりすることも、表現として大切に受け止めなければならない。箱庭療法。河合隼雄。木々やミニチュアなど。自ら世界を表現する。日本のカウンセリングの現場に大きく受け入れられる。

 

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

 

 

不公平。

以前にも書いたことがあるが、阪急電鉄の経営陣に小林公平という人間が居た。いわゆる実質的な創業者の小林一三の親族に連なる。80年代の企業によくあることだが、無限に価格が上昇すると彼も思い込み不動産投資に巨額を突っ込む。バブル崩壊で阪急電鉄は巨額の債務を抱えることになる。小林不公平とも陰では言われるように。キャッシュcashが流出しないよう外注していた業務も内部の子会社で済ませることにした。商業施設などの警備業務も。私の会社員のキャリアcareerはここから始まった。小林公平氏には感謝をするべきなのかも。

西武高槻。

西武高槻が9月30日で無くなる。45年の歴史がある。幼い頃は西武ライオンズLionsが日本シリーズで讀賣ジャイアンツGiantsと戦った時は勝手に応援に行っていた。そもそも買う物が無かったので迷惑以外の何者でもないと今では思うが。シリーズに勝利したら、翌日の朝は入口でセレモニーceremonyがあり、日本酒が振舞われていた記憶がある。当時はlionsの応援歌は高槻の小学生の間では誰でもmelodyを知っていたのではと思う。

店の看板も10月5日からの阪急高槻に変える準備をしている。恐らく一夜のうちに変更されるだろう。

f:id:F-name:20190920132900j:image

1階の入口を入ると客からのメッセージmessageが埋め尽くされている。

f:id:F-name:20190920133014j:image