ーーーー講義録始めーーーー
ITがサービスを変える――デジタル化と感情労働の未来
次に、ITの進展と普及によってサービスの提供プロセスがどのように変化したのかを見ていきたいと思います。サービスの提供プロセスが変化することによって、感情労働も何らかの影響を受ける可能性があると考えられるためです。
私たちがインターネットを経由して航空券を予約・購入したり、ホテルの客室を予約したりするのは、今ではごく当たり前のこととなっています。航空券を例に取ると、ITが広く普及する前には、電話で予約を行い、航空会社や旅行会社の窓口で購入する、といった流れが広く見られました。窓口は立地や営業時間の制約があるため、人によっては購入のために出向くのが不便な場合もあったことと思われます。
しかし現在では、自宅にいながら各社のウェブサイトやアプリ等から自分の都合のよい時に予約や購入ができるようになりました。空港での手続きもセルフサービス機器の導入が進み、さらに空港に行く前にウェブ上でチェックインできる場合もあります。こうしたセルフサービス技術は、手続きの待ち時間を短縮したり、混雑の影響を受けにくくしたりする効果が期待されますが、手荷物預けや本人確認などの事情によっては列に並ぶ場面が残ることもあります。 それでも、ITの導入が顧客の時間と場所の制約を弱め、利便性を大きく向上させてきたことは確かです。
さらに、利用目的や食事の好みなどの顧客データを蓄積することによって、個々の顧客に合わせた提案やサービス提供を行いやすくなっています(ただし実務上は、同意やプライバシー、データの正確性、運用体制などの条件も重要です)。
ITの導入によるこれらの変化は、顧客の利便性を向上させるのみならず、予約・照会業務の一部をセルフ化し、企業のコスト構造にも影響を与えました。また、顧客データを活用することで、個々の顧客を意識したマーケティング活動の展開が行いやすくなっています。サービス提供者にとっても、ITを活用することによって、手作業でやっていた業務を効率化し、入力ミス等を減らすことができ、業務負荷の軽減につながる面があります。
その一方、ITの導入によって顧客とサービス提供者との接点が減り、接触時間が短くなる場面も増えました。他社に先行してITを導入することは、顧客の利便性の観点から競争力となり得ますが、導入状況が同等になり、業務におけるITの占める割合が大きくなればなるほど、ITそれ自体では差別化が難しくなる可能性があります。すると、対人接点が残る領域では、主観的な評価がなされやすい「人によるサービス」の部分が競争力となる局面があり得ます。他方で、AIや自動化が進むほど、現場の仕事は単純に“減る/増える”ではなく、役割が再編され、そこで求められる感情労働の内容も変化していくと考えるのが妥当です。ホテル領域では、AI導入に伴うストレスが従業員に影響し得ることを扱う研究もあります。
■ SNSと口コミがもたらすプレッシャー
サービスは購入前に完全な事前評価が難しいため、利用前に実際に利用した人の口コミが参照されることが多い、という点はすでに説明した通りです。ITの進展・普及により、口コミサイトだけではなく、個人のSNSやブログでも様々な情報が発信され、場合によっては大きな影響力を持つことがあります。
ここで重要なのは、ネガティブな情報が消費者の判断に強く影響しやすい、という点です。実務研究でも、ネガティブ情報の影響の大きさが指摘され、企業側がポジティブな口コミを増やすこと以上に、ネガティブな口コミを抑えることを優先課題として捉えがちである、という組織の行動が報告されています(Williams & Buttle の探索的研究では、調査対象組織がPWOM促進よりNWOM抑制を強く重視していた、という形で示されています)。
私がインタビューしたホテルで働く女性は、宿泊客の部屋に荷物が届けられていなかった際のやりとりについて、「申し訳ございません、今すぐお持ちしますとかって言うしかないんですけれど、それを口コミに書かれたらどうしよう」と述べていました。これは、他のスタッフによるミスがあり、自分がたまたまその苦情を受けて処理をすることになったのですが、対応に満足しなかった顧客によって口コミサイトやSNSにネガティブなコメントを書かれるかもしれないという不安を表したものです。
ネガティブな口コミは、顧客が不満を表明したり、他者に注意喚起したり、企業に改善を促したりする機能を持つ場合があります。他方で、自分の対応のせいでネガティブな口コミが書かれるかもしれないという不安は、予期せぬトラブルが発生し得る現場のスタッフにとって大きなストレスとなり得ます。オンライン上のネガティブレビューが従業員のストレスや怒り、燃え尽き等と関連し得ることを扱う研究もあり、こうした心理的負荷にどう対処するかは組織課題になっています。
| IT化の変化 | 顧客側の効果 | 企業側の効果 | 感情労働への含意 |
|---|---|---|---|
| 予約・購入のオンライン化 | 時間・場所制約の緩和 | 窓口業務の一部縮小 | 対人接点が“濃く短く”なる場合 |
| セルフ手続き(チェックイン等) | 待ち時間短縮の可能性 | オペレーション効率 | トラブル時の感情対応が焦点化 |
| データ活用 | 個別提案 | マーケ効率 | “期待水準”上昇への対応 |
