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セラピストと「聴く」こと -「受けとめる」こと(心理カウンセリング序説第1回)

ボーッとした姿勢が必要なのは、自分が受けたカウンセリングを思い出すと、確かに言えることなのかも。私自身が出来るかどうかは疑問だけど。

 

心理カウンセリング。臨床心理学部。学校場面での。精神分析学派。ユング派心理学。
カウンセリングと心理療法。2つの言葉の意味は?どの程度共通であるのか?カウンセリングは広く用いられるようになった。しかし安易に使われる傾向も。カウンセリングは無料?「心理」カウンセリング。テーマになるのは心理療法でのカウンセリング。心理カウンセリングとは何か?極基本的な。臨床心理学的に症状や苦悩を抱えたクライアント。元来は依頼者の意味。カウンセラーやセラピストに相談を。もう一方の当事者。相対する存在はカウンセラーと呼ばれた。心理療法の場合、クライエントに相対するのは心理療法では通常セラピストと呼ばれる。サイコセラピスト。心理療法家。カウンセラーにしろセラピストにしろ、長期間にわたり勉強や研修を。カウンセリング、カール・ロジャース。ヨーロッパに由来?42年の書物ではカウンセリングと心理療法を同義に。殆ど同じ意味と
考えて問題はなさそう。担い手としてのセラピスト。
心理カウンセリングの基礎。体験的にも研修を。クライアントと接することで出来るようになる。長期間にわたる研修の第一歩。心理カウンセリングにおいては、狭い意味での症状や技法だけでなく、人間の複雑さを見ていかなければならない。人間という存在をどのように理解できるか。自分自身のことと深く関わることになるかも。臨床心理学的な症状や悩み。見つめてみる。回避する性質。真っ只中になる状況では見つめることが困難。セラピストが同行する。クライアントが自らを見つめる過程。心理カウンセリングの基本。夢について。クライアントにより夢が語られることが少なくない。色々な人物が登場する。ガイドや案内、コーチ、助産師というimage。セラピストのイメージと重なる。同行することで相手が安心感を。とても大きなこと。安心感があると自分の力で進むことが出来る。極力介入しないで。待つことが出来るためにはどのような手法があるかを伝える。心理カウンセリングにもそれ自身のプロセスがある。クライアント自身の能動的な姿勢が必要なこともある。力を抜く方法を伝える。しかし産むのはあくまで産婦。主体は何処までもクライアント自身。新しい生命。セラピストはそのプロセスに関わる。セラピストは助産師。医師ではないのか?時に医師になり時に助産師になり、時には水先案内人になる。助産師や伝統的な産婆。その方が主体は産婦、胎児自身。介入しないで待つ姿勢を基本にしている。カール・ロジャースの考え。パーソンセンタードアプローチ。文字通りにクライアント中心。忠告や意見、アドバイスに力点を置くのではなく。クライアントには自ら成長できる能力が備わっている。先ずは共感的に耳を傾けること。指示的な態度に対して、非支持的な態度。カウンセラーの態度。クライアントへの無条件の肯定的な。カウンセラー側の三条件。あまりに教条的に教えられることが多いが。カウンセリングにおいて中心はクライアント。セラピストの態度が重要。権威ある存在というimageではなく。日本へのロジャース流カウンセリング。弊害はあったが。心理カウンセリングの基礎。
ロジャースのクライアント中心療法。精神分析においては複雑で難解な議論が多い。解釈を与える力を持った医師。本当にそうであるか検討。小此木啓吾。日本のフロイト派精神療法をリード。「精神療法の理論と実際」。臨床主義的個人主義。セラピストとクライアント双方が個としての存在を持つ。関係での合理主義。両者が洞察を求めて治療同盟を結ぶ。真実に向けて協力する。対等の関係として。会話的協力関係。分析家に要請される非支持性。分析家の受動性。クライアントの応答に従っての能動的姿勢。医師としての分別。あくまで心理療法としてのもの。教育しようとしたり個人的理想を押し付けたりしてはならない。個人的価値観や願望を持ち込んではならない。分別。慎重さや控えめ、思慮分別、という意味も。医師としての分別。分析家の中立性。分析家。心理療法家。精神分析学派やユング派精神療法の長期間のトレーニングを。河合隼雄。65年に。医師であり分析家?分析家の隠れ身。セラピストはクライアントが自らの道を歩くことを援助する。個人的価値観や願望を押し付けない。分析家やカウンセラーというのは、個人的な心は隠しているべき。フロイト的な姿勢。セラピストのパーソナリティを重視。柔軟な。そんな方向に変化。クライアント自身の存在を大事にすべき。フロイトにおける対話的協力関係。受動性。セラピストの耳を傾ける。セラピストはクライアントの語りに耳を傾ける。12年の論文。心理カウンセリングをする者にとって。セラピストに、どのようなものに対してであってもも同等に扱う漂うような注意。意識を集中しない、漂うような注意で。ボーッとした姿勢で。漏れてしまうものがある?耳の傾け方。意識を集中させるのでなく、漂うような。クライアントの無意識や身体感覚に心を開く。ユングにおいても非常に大事に。意識を集中させると、全体の脈絡や身体感覚などが見えないことになってしまう。将棋に意識を集中させると謎の答えが口になって出てくる。クライアントは努力だけでやっていけないと困難になっているので、セラピストは集中するだけではいけない。一貫したカウンセリングの基本。河合隼雄の言うセラピストの開かれた姿勢。学問でも在るが職人の技でもある。書籍だけで身につけることはできない。生きた人間と関わる。不安や絶望、死などと関わる。

 

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

 

 

死。

人間は必ず死に至る。死ねばこの世界では何も出来なくなる。死への恐怖を克服しようと人間は様々な取組をしている。この世で死んだとしても、別の世界に移動するだけだと自身を納得させる。死後の世界を擬制する宗教(のようなもの)は数多い。自分の死後も忘れて欲しくないと思うのか、墓を作らせたり作ったりする行為は古代から続く。死んだら灰になるだけだと考えることもあるけれど、若い頃ならともかく、年老いてくるとそういう開き直りも出来なくなる人は多い。せいぜい老害にならないようにしたいとは思うけれど。

社労士試験。

今年の社会保険労務士の試験が明日にある。今日は試験前日なので受験生は追い込みに必死なのだろうか。もしかしたら明日に備えて英気を養っているかも。十数年前に私も試験を受けた。働いていた会社内でのジョブチェンジを図る為である。企業内社労士になろうかと。当時は(今もそうかも)資格取得に実務経験が必要だったけれど、appealするのは容易だと判断した。今から思えば安直だけど。そもそも間接部門なんて派遣にアウトソーシングするべき分野であるのだから。

受けた結果は芳しくなかった。やはり教材を10回くらい繰り返さないと試験突破は難しい。これは他の資格試験にも言えること。まあ労働法や公的保険の知識は働く時に必要なので、触れておくのは良いことだと考える。ともあれ受験生の合格を祈っている。

はじめに:心理療法とは?(臨床心理面接特論(1)第1回)

京都大学の実情が。やはりユング派のカラーは強いのかもしれない。フロイトの精神分析とは違って。

 

臨床心理面接特論。4単位30章。19年度からは一と二という2科目で。心理療法とセラピストの個性の関係。
心理臨床や臨床心理学にはどのようなキッカケで関心を?大学では哲学。元々の生育史。大切な人間関係が出来てくると、自分の内側がむき出しに。不安定な部分や収まりのつかない部分が。上手くいかなくなる。傷ついたりする。友人がしんどいことになっていた。哲学を学んでいたけれど何も出来なかった。学んでも考えても自分自身に関わってこないのは何故?色々と書籍を読んでいたら、心理学というものを知った。自分を通して考えていく。悩みというのは普遍的に悩め、という先生が居た。臨床心理学は自分を通して普遍的に考えていく。自分自身を考え直したい。高校生の頃に絵書きになろうと思った。感性に興味が。哲学では頭で考えていたので、結びついていなかった。臨床心理学ではダイレクトに芸術と関連を。苦労したりしていた道が繋がる。基礎知識が無い。大学院に行くか編入学で三学年からやり直すか。学士入学を?父から何時まで学生をやる気だと怒られる。院に行くならまだしも。進学校の教師だった。進路指導を。そうこうしている内に養護学校の校長に。納得してくれた。高校時代に絵を。音楽も。芸術的なことをしていたのに、哲学を学ぼうと思っていたのは?夏休みにはデッサンの講習会に行ったりした。高校生の展覧会に。尊敬している画家の先生に、感想を聞いてみると、頭で描いていると言われた。別の世界に行ったほうが良いと。芸術への感性も持っていたが、思考優位の。別のことが合っている。出来るような勉強をしたほうが良いと父からも。哲学で食う?一種の妥協点。高校生の頃に繋がる経験を。西田幾多郎。心に響く。純粋経験。自転車でアチコチ放浪していた。海も山もあったので自然に身を置く。そういう哲学をやりたかった。哲学だけでは?臨床心理学に出会う。哲学とは根本的に異なるものだった?河合隼雄先生も数学をやっていた。数学的なものが残っていたりもする。臨床心理学の中には哲学的な視点も残っているのか。学びだして本当の意味で哲学が分かるようになった。ドイツ観念論が中心、体系だって居た。ピンとこない。河合隼雄に衝撃を受ける。色んな人の色んな悩みに付き合う。ハイデガーが言っていたことが分かったりする。発達検査や発達相談。重度の自閉症者など。どんなふうに成長するか支援する。そうすると哲学の認識論や現象論が分かっていく。言葉として学んでいた、半分異物のようなものが、心理臨床に関わることで自分の血肉となっていった。自分の核は哲学の基礎が。心理臨床の言葉で語り直す。哲学から学士入学。父にとって違う職場に通ったことが衝撃になった?コンステレーション。こういうことかと背筋がゾッとする。コンステレーションについては謙虚にならなければ。起こった時に、とてつもないものに包まれている。自分の意志を超えたもの。太刀打ちできない。自分で切り開いていくパワーと勘違いしていたけれど。色んなものが行き詰まっている、こちらが打開するのではなく、筋肉の力ではなく。心理学を学ぼうと思っていなかったら。普通はあまり意味がない、見逃してしまうようなこと。京都大学に学士入学。河合隼雄がいたから。還暦論文集。面白そうなことをやっている。非常に自由そう。木村敏。京大の医学部。木村敏の哲学にも傾倒していた。メルロ=ポンティ。身体論。浜田寿美男も。オリエンテーションは?京大には博士課程まで居た。ユング派?実は色んな学派の先生が。基本的な人間観では共通。クライエントと出会うことを中心に。その点については厳しかった。夢分析に興味が。京都大学の風土はユング派の風土が。病院臨床。精神科。相談室とは全く違う。統合失調症の患者。オリエンテーションはかなり折衷的に。クライエント中心。大切なのはどういうことか。非常に苦しんでいる人に悠長なことは言えない。危機的に介入。その場しのぎではなく長期的に。何々派であるとは簡単に言えない。ユング派や精神分析のトレーニングを受けていて骨が在る?それと違って柔軟?何でも屋だけど、心理臨床では色々、何々、という骨が自分にはない?スーパーヴィジョン。臨床の現場。これでいいんだろうかと不安に。トレーニングを受けたい。フランクフルトの精神分析のグループに話を聞いていただく。2ヶ月間トレーニングに参加する。精神療法は保険適用。現場感覚が凄い。クライエントも色々。ドイツの精神分析グループ。事例検討。柔軟にやっている。週1で対面でしてみるとどうなるか。様々な解釈技法が基礎にありながらも柔軟に。精神分析を軸に。オリエンテーションの。

 

臨床心理面接特論〈1〉心理支援に関する理論と実践 (放送大学大学院教材)

臨床心理面接特論〈1〉心理支援に関する理論と実践 (放送大学大学院教材)

 

 

道徳性。

私の受けた教育では、道徳は胡散臭いものとされてきた。教える側にしてみれば、大日本帝国の崩壊は道徳性が教育を覆い隠したからだと思ってしまったからだろう。因果関係が極めて怪しいけれど。80年代からイジメの問題が表面化して、今日に至るまで悪化の一途を辿っている。差し当たり道徳教育を強化すれば良いのではとの意見が強くなり、教育指導要領でもその方向が強くなっている。道徳アレルギーは問題かもしれないが、だからといって道徳教育で全てが解決すると考えるのは違うのではと思う。かえって道徳性とされる内容が原因でイジメが起こることもあり得るのだから。

避難路。

職場のバックヤードで仕事をしていると、警備員の方が避難路の確認に来られる。差し当たり避難階段の入口などをチェックされる。最近、周辺の施設で事件があった為だと話される。私も警備員をしていた時期が長く、高層ビルの両端にある特別避難階段を一歩一歩確認したことも多かった。一気に7階分を駆け上がらないといけないこともあったので大変だったことを覚えている。外の景色を見られたのは良かったけれど。今はヨドバシになっている土地が空き地になっていたから、かなり前のこと。京アニの事件で、改めて避難路の重要性は身にしみている。火種がなくても火事が起こせるのも理解出来る。緊急時の行動は確認しなければ。勿論何も起こらないのが理想だけど。

カリキュラムと学習(カリキュラムと学習過程第1回)

学校のカリキュラムで何を教えるのかは重要だけれど、正直何が身につくのだろうと思う。結局自分から何かを見つけにいかないといけないのかもしれない。

 

日本のカリキュラム研究の特殊性と世界のカリキュラム研究を紹介。意識されない日本のカリキュラム研究の歴史。旧石器時代の。カリキュラム研究に重要なことは、目に見えるものと目に見えないものが。当然の如く常に決まってて、物事が動いていることに気が付かない。カリキュラムという言葉。教育課程を使えばよいという人も居た。学習指導要領に沿ってのもの。カリキュラムを研究する必要はないと言われた。教室の内外での諸々。いじめという問題。隠れたカリキュラム。学校での授業より大きな影響。計画書だけがカリキュラムでなく、影響力のあることはカリキュラム。子どもたちの経験を無視してはいけない。
意識されない日本のカリキュラム研究の歴史と背景。カリキュラムの経営や評価などの言葉が多く使われるようになった。科学的な形で成果を表す期待が。しかし言葉は西洋諸国から入ってきた。日本文化の中という形だが。15年の時点では、カリキュラム評価。予め到達点を示すことで、効率的に授業が出来る。しかし教師が柔軟に対応できなくなる。カリキュラムに関わる議論は、設計図だけが取り上げられがち。日本化が進んでいる。日本の文化の特徴。大和魂。柄谷行人氏。本居宣長。日本精神を古典の中に。虚しい無限の皮むき。シンボルの偶像崇拝。桜のようにパッと散る人生がかっこいいと思わされている。花見観。国体の花である菊。桜も菊も中国古来だが、日本のものと思われている。起源を忘れた日本化現象。カリキュラム研究も同じ。倒錯した現象は何故?美的な文化対象に限られない。到達度評価やキー・コンピテンシーを使って語られる。100年前のアメリカのカリキュラムの単語。行動目標的な。単なる教育目標に。影響力は類を見ない。世界中に広まり、日本化したのは何故?複雑化を求めていないから。前提を疑い、何故、と問うことが。自主性と明るさをす取り戻すため。何故学校でのカリキュラムは、教科というimageなのか、何時から?70年代の日本の小学校の主要四教科。アメリカより少なかった。それでも理科や算数の成績は世界でも群を抜いていた。時間ではなく内容。カリキュラムの歴史は生活の必要から出来上がっているのではない。どのような考えが土台に。戦いは続く。カリキュラム物語。
旧石器時代。洞窟に済む。理想社会の建設を邪魔する。精神主義的司祭が問題?新しいカリキュラムの確立。理想社会の実現へ。地球の大変動期。氷河に。素手で魚を捕まえるのは難しくなった。教えた知識も役に立たない。馬は居なくなった。北極熊が南下。寒さの為食べ物がない。実生活を重視するカリキュラムは無用の長物になった。丈夫なつるを見つけた。つるを編んで網を作ることを思いつく。魚の網を作る。くまを捕まえる。旧石器時代を信奉する長老は批判。ただの実用知識に過ぎない。カリキュラムは一杯。流行りの技を磨くのはカリキュラムではない。素手で魚を捕まえることもろくに出来ないのはどうか。急進派は反発、どうやって技を使うのか。単なる技ではなく一般的な敏捷さを養う。松明で追い払うのは、一般的な勇気を養う。新時代のカリキュラムが必要と急進派。普遍的価値が新技術には在るはず。崇高な普遍的なカリキュラム。カリキュラムは本質的に何を意味するか。現在に擬える。
現在の戦場としてのカリキュラム。近代化に向けて。主要な学問は?漢学や国学。実用的な蘭学が。クーンの言うパラダイムシフト。高等教育のカリキュラム。それまでの漢学や国学は一学問分野に。西洋起源の学問が主要な位置に。江戸時代の寺子屋のカリキュラム。現在の学校のカリキュラムもパラダイムシフトを繰り返している。書道は何の為に?手本となる文字はパソコンで出力できるから無用?そろばんは?古典や漢文の教養は何のため?英語の方が良い?ハンバーグなどを食べる子供が多くなったから、食育を進める?11年からの現行教育指導要領。国語は4分の1など。領域と数字は何を意味するか。家庭科は無駄?ICT技術などの教育を増やしたほうが良い?漢字の練習は要らない。限られた時間を取り合う戦争状態に。学校ではこんなことも教えないのか?それぞれの社会的な陣地争い。学校は器に過ぎない。古典や数学。平安時代からの古文や漢籍。西洋数学。大学での勢力図とは異なる。相変わらず国語数学外国語が主。普段の生活で三角関数は使わない、それでも勉強しなければ。入試の科目にあるから?入って学歴をつける為だけなら、理由はない?古典や数学は人材を取捨選択するもの?出来損ないのカリキュラムと長老は主張。一般的な能力、勇気などを育てる。人格陶冶。一般的能力に変異する。精神修養的なカリキュラム。一般的な精神のみが問題。革新派は一般的能力を育てると主張している。時代の要請に叶わなくなると神秘的な意味が。総合的学習の米作りは多くの教師が実践している。将来農業につかせる為にしているのではない。育ちと環境との重なり合い、プロセスを育てる。神秘と力を体験、物事の生成を、精神主義的。そろばんは計算の速さを競うのではなく、脳の能力開発に。書道は?キレイな文字を書くことだけが目的でなく、精神を育てる。家庭科。もともと家庭の経済学。家庭生活のマネジメントや育て方など、人間の基本生活という崇高な精神を。直接生活に役立つというのでは生き残ることが出来ない、形式陶冶化されなければカリキュラムとして生き残らない。20年前のソフトウェアは皆使い方を忘れている。
異分子としてのカリキュラム。いずれは化石になる技術と新技術との戦場。主に学校という場での学習プログラムをどうするかの問題だったが。これまでの常識とはかけ離れたカリキュラム。軽ければ軽いほど本当のカリキュラムが現れる。履歴書という意味。自分史を書く。どのようなカリキュラムが現れようと、自分は動かされることはない。当時のアメリカはベトナム戦争のトラウマにあった。70年代は国家により翻弄された自分の運命を見つめようとした。瞑想が流行した。文化的ナルシズム。プログラムや行動で表現されたアプローチと異なる次元。自分史を書くのは、高校と大学で。

 

カリキュラムと学習過程 (放送大学教材)

カリキュラムと学習過程 (放送大学教材)