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大寒から立春へ。

昨日から大寒である。1年の中で最も寒さが厳しい時期にあたるとされる。今年の冬は高槻(ご存知で無い方は大阪市と京都市の中間と考えてもらえると幸いである)でも、何日かは朝に氷点下まで気温が下がっている。ここ数年は暖冬で氷点下にまでなる日は無かったように記憶している。今朝も寒かった。これからは少しは暖かくなると天気予報では予測されているけれど。まあ立春が迫っているので、春の息吹は近所を捜せば見つかるかもしれない。なかなか風流人には一足飛びにはなれないかもだけど。

中国近世の対外関係(東アジア近世近代史研究第5回)

異様に込み入っていてややこしい。2000年もの間何も変化がない等という中国史のドグマは、かなり眉唾ものといえる。

 

夫馬進。中国近世の外交。主に3つの時期。宋代、明代初め。明代末期から清朝。
中国の固有の型。秦の始皇帝からヨーロッパ列強の影響を受けるまで外交という概念が無かった。春秋戦国時代。外交に似ていた性格が。司馬遷の史記。始皇帝が統一すると、中華思想が。万里の長城。文明が行き渡っていない。周辺は朝貢すべき。現在に中国は外交部。アロー戦争の結果として欧米諸国と外交するまでは礼部。接待が主な役割。秦漢時代からは外交の観念は無かった。朝貢する勢力は品々が目当て。様々な特権を。朝貢関係は外国に利益を与えて侵略を防止。漢民族ではない民族が統治する時代であっても朝貢関係が基本。中国史の面白さ。現れ方が時代により異なる。相手国が朝貢しない場合は?関係がない?無礼であると他国を侵略。軍事力に劣る場合。外交に近いことを。gapをどう埋めるかが問題になる。
一国としての宋と外交関係。政治経済社会文化の先般に大きな変化。対外関係についても。唐が東アジアでは卓越した軍事力を。宋はあくまで一国。契丹。936年には冊封するまでに。1004年の澶淵の盟。宋は毎年多額の絹と銀を送る。逆に貢物を送ると不安が。戦ったのは81回中80回敗北。貢物を送る方がマシと。敵対関係にはないと信書を。朝鮮との間に通信使が日本に。元々は高麗と宋との間に。宋代における外交と貿易の関係。現代でも外交が上手く行かないと制裁が加えられる。中国は2000年間の朝貢という方法が諸外国を手懐ける。宋代の外交の特色は外交と貿易を極力分けて考える。元も同じ。日本との外交と貿易。宋では官庁をおいて監視をして関税を取る。莫大な利益を。宋という国家は貿易に積極的。日本との間に外交は無かったが、人の行き来は自由だった。パスポートは持たないで出かけた日本の僧。入国に問題は無かった。開封に赴く。日本の産物を貢物に。全てが僧。朝貢?密出国。どうも朝貢と書いていた模様。僧侶13名が謁見。今再び日本から入港と報告。わざわざ日本国家が派遣したものではないと注意。あくまで理念的な。宋が東アジアの一国でしかないと冷静に受け止めている。編纂した人物を含め合理的な思考を。
明代の対外政策。宋代と対極的。洪武帝。貿易を外交に完全に従属させる。朝貢する相手とは国交を維持。朝貢しないと貿易もしない。洪武帝の時代では朝貢目的以外は禁止。江戸幕府の鎖国。更に徹底的。江戸幕府の場合は長崎には国交のない中国から。絹などが輸入され銀や銅が大量に輸出。貿易はあった。洪武帝の外交。モンゴル族とは戦争をするが、その他の民族には戦争をしない。洪武帝は我が民と呼んだ。外国人、野蛮人は含まれない。統治する領土に住んでいる人々に限られる。中国の皇帝は統治してはならないと。モンゴル族は害悪をもたらすので戦争するが、害毒がなければ出兵しない。高麗、日本、ベトナムに大軍を送った元とは違う。洪武帝は15国とは戦争をしなかった。倭寇に頭を悩ませていたし、日本との外交関係も難航したが、出兵してはいけない野蛮国とみなしていた。対外政策も極めて独創的で徹底的。朝鮮への外交関係。政権をとった頃は高麗が。悩みのタネ。元々は元と親密な関係。北に退いてからも明に対抗するように仕向ける。高麗へは武力を送るぞと迫る。しかし出兵したのは高麗。クーデタで朝鮮国が誕生。反明感情は強かった。明から遠征軍を送るぞと脅し続けるとともに、南京から高麗に派遣して神々を祀る。ベトナムにも同じく。各国の石碑にはもちろん、現地の王を守ると。洪武帝の脅し文句。洪武帝の構想では、南京に祀られた朝鮮の神々に対し、洪武帝に代わり天が罰を下すという構成。外交政策においても他にはありえなく独創的。
17世紀初めから18世紀終わり。洪武帝の鎖国政策が断固として守り続けられ、モンゴル族が侵入し海賊が荒らし回る。国際貿易は抑えきれないものだった。貿易は完全に外国に従属するものとし遵守された。永楽帝は?対外的に積極的では?そう見えるだけ。2つの原則は完全に守っていた。鄭和の大遠征。しかし遠征隊を海外に送り征服するのが目的でなかった。戦闘はなかった。外国物品をもたらすために朝貢を。遠征隊自体が貿易を。フビライが大軍を送ったのと違う。永楽帝が死去すると遠征は中断。朝貢に来る国とだけ貿易をするという方針は16世紀には守ることが不可能に。貿易量は中国でも周辺国でも朝貢だけでは賄えない。軍事費が膨れ上がる。原因は貿易の限定という外交原則があったから。民間人の貿易を禁止することは不可能とされ、海禁政策は放棄される。表面的には日本との貿易は禁止されていたが、密貿易は黙認された。ヨーロッパのポルトガル人は貿易を。国際関係は一変。琉球を焦点に。琉球は一貫して明に忠実。薩摩が整復しようと企む。制圧したのは1609年。薩摩は琉球に対し朝貢貿易を続けさせ利益を得ようとした。倭による。しかし明は出兵もせず見殺しにする。中国側も知らぬこととして朝貢を受け入れる。偽りの朝貢。日本と再び戦争するのを避ける。琉球が明に朝貢して外交が続く。朝鮮と琉球との朝貢使節は北京で歓談を。友好関係に。漂着したときには互いに国交が合ったので互いに送還していた。清代への変化、歓談はなくなる。祝賀式で一緒だが余所余所しく振る舞い歓談しない。冊封国であり戦果も交えていないが。1717年にソウルの宮廷での議論から。数百年に対し国交がなかった。使節が相手国の使節と歓談できないのは当然。朝鮮と琉球には国交がなかったことを私は知らなかった。同じく冊封を受けていても。可能にした前提は中国と日本に長らく国交がなかったこと。朝貢という理念は簡単に崩壊する。朝鮮は琉球との国交を再開することで秩序を崩壊することを避けたかった。
冊封を重視したのは1つの手段に過ぎない。清は広大であっても圧倒的な地位を持てていない。

 

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)

 

 

卑怯な。

平安時代の末期に源平合戦(源氏と平家の武士集団同士による一連の戦い)の内、最後の戦いとなったのが壇ノ浦の戦いである(この戦いで平家は滅びた)。この戦いは海戦なのだが、源氏の指揮官の源義経が平家の水夫を攻撃したのが勝利の要因とされることがある。それをもとに義経は卑怯者だという印象論が語られる。確かに非戦闘員を巻き込むのはどうかとも思わなくもないが、平家の船を操る人間を攻撃するというのは、ある意味で戦いに勝利する為なら当然の行為ではないかと思われる。

 

五百旗頭真先生の思い出。

今日の昼のentryでは、放送大学の特別講義として五百旗頭真先生が語られた内容の書き殴りをした。文章の形にはなっていないが、講義の雰囲気は伝わると思うので、一読をしていただければと思う。

内容についてはいずれ触れるとして、私は京都大学の法学部の学生だったことがあり、そこで先生の講義を聞いた。講義の内容は残念ながらあまり頭には残っていないが、山々話が面白かった印象がある。大抵の年では、木曜日の午後に講義が設定されていて、ちょうど教授会があったので、わざわざ京都大学に来られる先生としては話しやすかったと思われる。まあ神戸大学に所属しているのは居心地が良かったようでもある。

 

日米戦争と戦後日本 (講談社学術文庫)

日米戦争と戦後日本 (講談社学術文庫)

 
日本の近代6 - 戦争・占領・講和 1941~1955 (中公文庫)
 
大災害の時代  未来の国難に備えて

大災害の時代 未来の国難に備えて

 
占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫)

占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫)

 
日本は衰退するのか

日本は衰退するのか

 
高坂正堯と戦後日本

高坂正堯と戦後日本

 

 

 

東日本大震災からの復興に携わって―復興構想会議を中心に―(放送大学特別講義)

五百旗頭真先生の講義を私は京都大学で聴いていた。お声を聴いて懐かしさに胸が締め付けられた。

 

五百旗頭真。11年3月11日。東日本大震災。かつて記録されたことのない大きな地震や震災。マグニチュード9.0。3県を中心に。最大の犠牲者を出したのは大津波。原発事故。福一。津波により冷却システムを失いメルトダウンで水素爆発。広域の複合災害。政府は当初、未曾有の大震災への応急対処。警察消防自衛官。人命救助や原発事故の収束に。4月11日。復興構想会議を。復興についての有識者会議で政府の提言を。議長を仰せつかる。16名の委員。御厨貴や安藤忠雄。専門家により検討部会。飯尾潤。二段組織に。2ヶ月半にかけて12回の会議を。原則土曜日に熱い議論を。報告書作りに。どうして構想会議を?阪神淡路大震災には全体構想を示す会議はなかった。復興委員会を。現地と中央を繋ぐスピード感を出す。提言を重ねてその全体が復興構想。全体構想を報告書としてまとめる必要が。現地の多様性。5月に委員全員が現地視察を。連休明けの委員会で復興7原則を。地域コミュニティ主体の復興を基本とする。国は制度設計で支える。国と国民が支える。潜在力を活かし。経済社会の可能性を。阪神淡路大震災では復興に国費は出せない、民力で。そのような壁が出来たがそれを排除。地域社会の強い絆を。災害に強い安全安心の。最も人々には絆が。社会の新しい課題である原発事故。自然エネルギーを。復興無くして再生はない。日本再生との同時進行を。視野狭窄ではなく。国のリソースを景気に向ける?二者択一的観点は正しくない。復興と日本再生を同時に。福島の原発事故の早期収束。きめ細かい配慮を。他の地域と全く違う。津波被災地の問題。違和感を。まだスタートラインにつけない。出来るところから。宮城岩手の。福島を置いてきぼりにするのではなく。今を生きる私達全てが我が事と受け止めて連帯と分かち合いをもって復興を。日本列島のどこも安全の地はない。復興構想7原則。実は復興税を意味している?反対の意見も。国債によるのか、義援金や民活も。阪神淡路大震災の場合も公債により。しかし状況が違う。失われた20年。国家債務はGDPの2倍に。復興税で支える?精神が大事。どこが被災地になっても支える日本国民の在り方を。失われたおびただしい人名への鎮魂こそ復興の起点。鎮魂の森やモニュメント。科学的分析をして国内外に発信。かつてない災害。かつてな支援を得る。義援金の額。世界中から。外国を訪ねるたびにどこにいっても心のこもった支援の感謝を。世界からの支援を受け止める。記録をしっかりと残して共有することを。支えになるように。2万近い失われた命の追悼と鎮魂。311の記念日が来れば丘に登り合掌して祈るとともに次なる災害には避難できるところに。7原則をもって復興構想会議は報告書を。様々な立場がありながらの方向性、憲法のようなものが。理想主義的色彩を帯びるが、小さくない意味が。7原則の制定により形が抽象的ながら固まる。具体化の作業を。
御厨貴。復興構想会議の議長代理。要所にあって全体を見回しながら。全ての委員が参加意欲を。なかなか話はまとまらない。全部聞くという議長の姿勢。暫くは耳になろうと。割って入ったりするのではなく、おっしゃることを全て聞く、そうすると方向性が見えてくる。要点が見えてくると。前半では何も言わずに。皆が喧々諤々。5時間にも。黙っていたことで調整余力をリザーブしていた。誰が起草をするか。御厨貴さんに。6月25日にまとまった復興の提言、報告書。非常に素晴らしかった。価値を高めている。書くにあたっての。社会科学系の論理的文章とは違う。雰囲気から。思いを社会科学では吸収できない。しかし感情過剰になってもいけない。詩のリズムを。気分を表したい。前文や結びで。会議のメンバーの中には激高している人や涙を流す人も。熱い想いを受け止める。国民的課題について人の心に触れるような。歴史家だから詩的ではないと思っていたけれど。大脳が開発された?嵐のような2ヶ月半。あれぐらい任された委員会はない。後から事務局が増えていく。リードせざるを得ない。政治学の専門家トリオ。良い意味でも悪い意味でも印象的に。政治学者としての限界もあっただろうけれど、互いを理解できて。暗黙知の形成が。実質的討議が出来た。政府やメディアもドタバタがあり襲いかかったり。政治学というのは総合の学。色々な要素を全体性の中で位置を与えるのが政治学者。日本を代表する歴史家が本職。震災の復興。関東大震災のときには後藤新平が全面に。大きなプロジェクトをする政治家。震災復興が投げ込まれて政友会や明治の元老との確執があり復興のスタイルが理解される前に揉め事が。技術官僚が一生懸命やったのが評価される。大風呂敷。6分の1に縮小されたが、国家予算全体の3分の1に。後に昭和天皇が評価された。阪神淡路大震災。下河辺淳。国土官僚、開発官僚。復興の全体デザインと。政治の過剰な介入を嫌う。官僚政治の枠の中で自民党と妥協しながら。設計図を先に作ってしまいそれ以上はしない。東日本大震災の場合は?偉大なる政治家や国土官僚といった固有名詞が出てこない復興であった。全体からすれば大きな仕事ではないが。菅内閣や民主党。前に出てくるのを押してくれた。会議体があったことは良かったのでは?全ての議論をすることが出来た。チェアマンシップ。若い官僚たちが元気が無かったけれど、今こそ出番だと相当程度頑張ってくれた。日本の官僚は凄いと。爆発的推進力は当初は無かったが、徐々に力を合わせて。後から力を蓄えたものが。
復興構想の完成とその後。留意したこと。全般的な政治状況。衆参のねじれ状態。政争が厳しく。それ如何によっては吹っ飛んでしまう可能性が。構想内容を作る中で超党派の全国民的な観点に立って作りたいと。自民党公明党にも。そもそも復興構想会議が作られたのは広域の複合災害で多様な現実が。それを1つの構想にまとめるのはジレンマがあった。取りまとめる16名の委員会は検討部会。個性的な委員で論客。イデオロギーが様々。空中分解の可能性も少なくなかった。リーダーシップを出してしまえば分裂しておしまいになる。全員で構想にたどり着く。徹底して議論をして毎回5時間が必要に。共通しているのは被災者のために意味のある復興構想を。日本の再生に繋がるような。再活性化しながら議論をして一致を。多様な異論があっても結論を出していく。報告書の内容。前文結ぶリード部分は御厨貴氏が。各論。政策内容。飯尾潤氏が尽力。二段構成。検討部会。各省からの優秀な担当者が。その人達を使いこなして。理想主義的色彩。具体的政策内容を。関連した象徴が沢山情報を持っているし、実施をするのもその人達。官僚のノウハウなどを活用しなければ。アイデアや主張や各省庁の意見を。縦割りを横に結びつける。まちづくりや農業、高齢化社会。官僚を集めて煮詰めていく。本会議で修正しながら構成。理想主義的色彩だが現実を踏まえた。各省庁が具体的政策を。11年の年末に向かって3党が合意。増税法案や復興庁の設置法案。構想が生きる環境が。より安全なまちの復興。減災。方途を組み合わせて。高台移転。100%国で。同じ港の近くでなければ。様々な政策を組み合わせて。阪神淡路大震災は自宅が潰れたのが問題。社会変化。高齢化社会や再生エネルギー。包括ケア。創造性やモデル性を持ったまちに。要は現場であり、自治体が如何に生かすことが出来るか。日本に災害から安全な地はどこにもないが、見捨てないで支えるということを。

能力。

法律の世界では、民法や民事訴訟法などで「〇〇能力」という形で「能力」が出て来る。意味としては「△△が出来る」ということもあるが、厳密には「□□をするのに必要とされる一般的な資格」と一般には定義される(しかしほぼ同じ意味として考えても差し障りは無いように思うが)。例えば「権利能力」というのは、権利義務の主体となる資格を持つということを意味する。自然人や法人は権利能力を持つのが原則だが、兼能力を持たない団体もあるので話がややこしくなる。法律学に馴染みがない人間にとっては目眩ましのようにも思えるであろう。

地上電話への様々な着信。

今日は雪が降ったり晴天になったりと、ややこしい天候に見舞われている。そろそろ立春なので暖かくなってほしい。

たまたま昨晩に中途覚醒したので、睡眠が足りない。それで自宅のベッドで横になっていると、地上電話(要するに有線の固定電話)の受話器からベルが。五月蝿いなあと思い受話器を取ると、何も名乗らずこちらの宛名も言わず、光回線の営業だと言い出す。careerの種類は何かを聞くが答えてくれない。その代わり、こちらの現在の通信回線の種類や、一戸建てか集合住宅かを聞いてくる。その質問には答えずに切ろうとしたら、根負けしたのか案内を始める。ケーブルテレビということである。どこが光回線なのだろうか。適当に電話を切る。それで再び横になったら、また受話器のベルが。今度は或る宗教団体の方が、聖書の一節を聞いて欲しいと。

左様に地上電話があると余計な電話しかない。通信回線の整理をした方が良いかもしれない。