F-nameのブログ

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ゲリラ豪雨。

最近は屋久島が豪雨で、多数の観光客が動けなくなったとのこと。そもそも大自然目当ての方が殆どだろうから、装備はそれなりにされたと思うけど、かなり辛かったのではないかと。救援をする方も大変だったろう。重病人が出なかったようで、不幸中の幸い。宮崎でも豪雨があったようだし、首都圏も大変だった人は結構いたよう。事ほど左様にゲリラ豪雨は頻発している。天気予報も進化しているけれど、完全に予測出来る訳ではない。地球温暖化の影響なのだろう。こう書くと、本当は地球温暖化なんて嘘なんだという意見を受けることがある。唱える人たちは陰謀を巡らしているのだと主張されることも。少し調べれば分かることなのだけど、その手間も惜しむのだろう。陰謀論が好きな方は一定数いるけれど、その陰謀が事実だったことはほぼ皆無。陰謀論を読むのは悪くはないかもしれないが、眉に唾をつけながら読まないと。

心理療法4:パーソンセンタード・アプローチ(臨床心理学特論第23回)

もしかしたら日本のカウンセリングそのもののネタなのかもしれない。

 

人間中心のアプローチ。非指示的療法。ロジャース。クライエント中心療法。エンカウンターグループ。パーソンセンタードアプローチ。
クライエント中心療法。カウンセリング。セラピストに共通する基本的態度。ロジャース。心理面接場面における。クライエントの自由で自主的な決定。自己実現へ。コペルニクス的。フロイトもユングも医師。ロジャース以前でも認識はされていたが、治療者は医師であり、指導的役割が自明のものだった。ロジャースは伝統的医学モデルから自由だった。イリノイ州の農家。両親は禁欲的で労働を重んじるピューリタン。農学部に入学したが、歴史学科に移籍。世界学生宗教会議に参加。様々な国の学生との議論。家族からの心理的独立を決意。しかし葛藤も大きかったのか、十二指腸潰瘍を患う。コロンビア大学の教育学部へ。長いモラトリアムが終わる。28年にニューヨークで臨床実践に。多くの子供の診断を通して、既存の理論に疑問を持つ。説得しても一時的効果しか生じないと。クライエントの行動の解釈に慎重になる。傷つけているのは何か?どんな経験が秘められているか?それを知るのはクライエント自身。40年で教授に。自覚的にクライエント中心療法を主張するようになる。個人が成長するのを援助する。統合されたやり方で対処出来るように。今ここへの在り方に焦点を合わせる。精神分析への批判的な。非指示的療法。解釈などの指示を与えない。多くの誤解と非難を。実証主義に基づく。45年にシカゴ大学へ。カウンセリングセンターを創設。論文や著書を。カウンセラーの基本的態度。クライエント中心療法の成立。理論の整理。成長仮説。本来自己実現傾向を持っている。対人関係の中で解放される。農業の生物観が元になる?種の保存と進化。安心できる対人関係の環境を。自己理論。パーソナリティを図式的に説明。全体的パーソナリティ。より適応したパーソナリティの構造。自己構造。自己概念。個人の特性や対人関係について。持ち方についての認知の正体。経験。有機体としての人が感覚器官を通して。内臓の感覚経験も含まれる。変化する。変化している場。適応と不適応。自己と経験の間に不一致。セラピストの態度条件。セラピーの中でパーソナリティの変化が生じる為の六変化。二人の人間が心理的接触を持っている。パーソナリティの変化は対人関係の変化で。クライエントと呼ぶ人間は不安な状態に。自己像と実際の経験とのズレ。傷つきやすさ。心理的混乱を。セラピストは人間関係では統合されている状態にあること。気づいていることを伝え、否定的な感情も。自己と経験との一致。セラピストは無条件の受容や尊重。肯定的配慮。歪曲していた感情を自分の一部に。クライエントを共感的に理解。それを伝える。内的昇降枠。何々のような、というものを失わない。自分自身のもののように、という感情も失わない。クライエントの混乱した思いを整理。肯定的配慮と共感的理解をクライエントに伝えることが最低限出来ていること。関係性の明示。自己一致。セラピストの最も基本的な三条件。カウンセリングはどういうものが活かされる?機能する人間。有機体としての人間。セラピーの目標。自分の経験に対して開かれている。経験にオープンに。防衛性とは対極。否定的な感情経験にも気づく。全ての経験を意識する可能性がある。先入観と対極。自己構造は経験と一致。自己構造は流動的な自主態度。ゲシュタルト。知覚心理学の基本。固定的なものではなく流動的に変化。判断評価する際に自分自身で評価。いかなる価値の条件を持たない。無条件の共感的配慮。色々な状況に出会い、新しさに対する順応。有機体的な価値づけ。経験にオープンに。様々な経験を意識化。肯定的配慮を持ち合う、最大の調和を保つ。自己構造も流動。固定した完璧さではなくて。間違いを率直に認める。
エンカウンターグループ。集団についても応用。ファシリテーター。「出会いへの道」。個人カウンセリングとの違いは?一般の人が心理学的成長を求める。成長が目的。リゾート地のホテルなど臨床外で。セミナーハウスなど日常生活と離れたところ。集中的セッション。1泊2日などの宿泊。長期間のものも。7人から10人位と、1人2人のファシリテーター。経験者を起用。メンバの心理的安定を保証、究極的にはメンバの一員に。全人的関わりが強調。全人的参加。代表的な過程。15段階。模索。これから自由にしてくださいと伝える。当惑や不安、社交的会話。やがて自己紹介や責任者の提案に。個人的表現。

 

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

 

 

恥。

「恥の多い生涯を送ってきました。」と太宰治は書いた。書いた時点で作家といて生きていられるとは考えていなかったのだろうか。この文章に限らず、太宰治にはネガティブnegativeな印象しか抱けず、「走れメロス」以外の作品には触れていない。しかし、長らく生きた人生の現実に照らすと、ネガティブに捉えた方が、真実を言い当てるのには適当なのではないかとも思う。太宰の作品を紐解こうかとも感じる。まあ、それ以前に母校の大先輩たる川端康成の作品も読んでいないのは論外かもだけど。いつまでも縋っているのは如何なのだろうかとも感じるのは、同窓会の役員として問題ありだが。

献血。

駅の高架下に献血車が来ていたので、令和初めての献血をする。

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問診票を入力して、医師の面談を受ける。血圧を測ってもらったら、下が50。元々低血圧なのだが、かなり酷い。献血をするのに支障はなかったけど。検査をする為に、献血本番と逆の手から少し血を採取する。血の濃さもOK。

献血車の中に入る。歴史があるのかやたらとメカニック。順番が来たのでベッドに横たわる。Networkが張り巡らされており、過去のデータにつき確認される。数分かけて400mlを抜く。看護師さんの指示で足を組み替えたり(立ちくらみの防止のため)、掌を握ったり解いたりしているとあっという間。献血車を出てユックリ休む。Aquariusが美味。

暫くは献血が出来ない。茨木の献血ルームにも行きたいけれど。まあ健康診断が間近なので、注射針を怖がらずに済みそう。後は景品としてボールペンを貰った。仕事に使うかも。

朝鮮半島における南北分断体制の成立(韓国朝鮮の歴史第14回)

45年からの朝鮮半島の歴史は、国際政治の変化とかなりリンケージlinkageしているのが分かる。

 

45年8月15日の朝鮮解放から。分断状態の固定化。国内的国際的背景と要因。今日にも繋がる。
45年8月10日。ポツダム宣言の受諾。15日に朝鮮建国準備委員会。全国に人民委員会。9月初めには左派が主導を。38度線で米ソは分割占領の方針。米軍政庁。アメリカソ連中国イギリスによる信託統治案が。右派は反発。46年3月から5月にかけて、米ソ共同委員会。朝鮮共産党は9月に再建。労働党の発足。共産主義運動は北部が中心に。米ソは冷戦体制に。南北で単独政権の動き。47年2月に北朝鮮人民会議。独自の統治機構。南はインフレでアメリカの援助に頼る。食糧難に。軍政への不安。46年9月、9月ゼネスト。左派政党への弾圧。47年5月。米ソ共同委員会。再び決裂。国連は南朝鮮の総選挙を。李承晩は南北協調の勢力を批判。済州島で軍事衝突。48年5月10日に単独選挙。8月15日に大韓民国の成立。韓国。北朝鮮でも単独政権の動き。貨幣体系が切り離される。最高人民会議の選出。朝鮮民主主義人民共和国の樹立。北朝鮮。武力による統一。ソ連軍米軍の撤退。韓国の軍事力の低下。朝鮮戦争。安保理で38度線北への撤退を。国連軍の上陸。中国人民志願軍の南下。一進一退。38度線で膠着。休戦への動き。53年7月21日、休戦協定の調印。国連軍と北朝鮮との間で。韓国は当事者ではない。非武装地帯。南北分断の固定化。
李承晩政権は安定していた訳ではない。57年まで反乱、レッド・パージ。国家保安法。共産主義運動の非合法化。韓国民主党は議院内閣制を主張。50年5月の選挙で支持基盤は不安定に。四捨五入改憲。進歩党への弾圧。60年にデモは全国に。419学生革命。零細農体制は改善されず。地主を産業資本家へ転換を企図。必ずしも成功せず。経営能力は高くなく、戦争で破壊されたことも。戦争後はアメリカの援助に依存して経済成長。農産物価格の下落をもたらす。離農が進む。工業化の労働力となる。49年。朝鮮労働党。投書は多様な勢力で対立。戦争開始後は金日成に権力集中。社会主義化。農業部門では既に土地改革。53年から58年に共有化など。工業部門では重要産業施設に加え共同化。49年からソ連の援助。軍需工場。経済援助。工業化に多くの資金。重工業化。軍備拡張。千里馬運動。生産意欲の誘発。59年には千里馬作業班運動。共同農場。上部からの政治工作で。
韓国では議院内閣制に。60年8月に国務総理。北朝鮮との宥和政策。中小企業の育成。経済的困窮は解消されず。軍部の青年将校は不安。61年5月にクーデタ。政党の解散とメディア統制。朴正熙。軍事政権。半民主行為の処罰。容共思想を取り締まる。KCIA。政治工作。反面で民政移行を公約。63年7月に政党の活動の解禁。朴正熙政権。日韓会談の再開。援助経済からの脱却。外貨導入の見通しを。日韓基本条約。日本の経済協力。屈辱外交との批判。デモは朴正熙の退場へ。調印直前になると再度デモ。言論統制策。65年にベトナム戦争への派兵を決定。ベトナム特需。経済成長の原資。財閥成長。輸出志向型工業化。軽工業の発達。道路網などのインフラ整備。基幹産業の整備。社会不安も増大。労働運動の件数の増大。金大中の健闘。地域の感情的対立。国家主義的教育。政権批判の動き。71年に国家非常事態宣言。北朝鮮では資金調達の躓き。ソ連東欧諸国の援助が無かった。軍事費の増加。国防費が全予算の30%以上。中ソと等しく距離を取る。関係は安定せず。援助の激減。キューバ危機。ソ連はキューバを見捨てた?軍事費の増加。農業生産の不振。内部でも路線対立。社会主義をどう理解すべきかの理論的問題。60年代後半から主体思想。思想における主体など。一国社会主義を正当化するイデオロギー。テレビなどで喧伝。抗日遊撃隊の記憶。体制形成。韓国やアメリカに強硬姿勢。遊撃隊が青瓦台に進撃。71年からアメリカが中国との和解に。南北対話路線へ転換。米中の接近で外交関係の見直しを。南北離散家族問題。南北赤十字社の会談。相互訪問が秘密裏に。南北共同声明。南北常設委員会は進展せず。南北で独裁体制の強化。

 

韓国朝鮮の歴史 (放送大学教材)

韓国朝鮮の歴史 (放送大学教材)

 

 

名誉。

名誉職とされるポジションpositionは世間に結構「あった」。過去形なのは減る傾向にあるから。昔は極端に言えば、内閣総理大臣も名誉職だった。権謀の限りを費やして登り詰め、大過なく勤めて勲章を貰う、みたいな。勿論、今はそういうのが通用する時代では無くなっている。何かとトップの責任が問われる傾向に。無責任よりはマシかもしれないけれど。日本で究極の名誉職とされるのは皇室の方々なのだろうが、同様にお気楽とはいかないのはご存知の通り。

高槻市役所。

障害者手帳が3ヶ月以上かかって、漸く更新されるとの手紙を受け取り、仕事の前に市役所に行く。2年ごとの更新は面倒臭いなあとも思うが、必要なこと。

始業時間は8時45分だが、市役所の中には早く入れる。番号札発行機がやたらとハイテク。

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呼出番号の掲示も大々的に。

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市役所の建物では耐震工事をしているのだが、そのついでに内装や業務システムを新調している模様。お金があるなあというのが印象。防災公園も順次作っている。財政面は大阪ではマシな方なのだろう。夕張みたいにならないのは高槻市民として救われる。