-----講義録始め------
では、グリーフという用語を使う理由は分かったとして、なぜグリーフケアではなくグリーフサポートなのでしょうか?テキスト第2節第1項「グリーフケアを包含するグリーフサポート」でも解説したように、日本ではグリーフケアという表記の方が一般的に普及しています。それにも関わらず、本科目でグリーフサポートという表記を採用した理由は、ケアを包括する大きな概念としてサポートを捉えているからです。
グリーフがその体験者にもたらす苦難に対して、カウンセリングによる心のケアや薬の処方による身体的不調のケアだけで十分かと言えば、そうではないことはもう皆さんお分かりだと思います。こうしたいわゆる医療的ケアだけでは、グリーフによる孤立や引きこもりといった社会的な苦しみや、生きる意味の喪失や信仰心の揺らぎといったスピリチュアルな苦しみ、いわゆるスピリチュアルペインに対応できず、社会的サポートや第12回講義で解説する宗教的サポートが必要です。
また、ケアとは単に他者を気遣う、世話する、介護する、看護するという行為を指し、その担い手は専門職に限定されるものでは本来ありませんが、現代日本ではケアの担い手イコール医療・福祉の専門職という連想がされやすいように思われます。しかし、グリーフがもたらす苦難への対応は専門職しかできないものではなく、かえってケアの専門的な知識や経験のない当事者の方が、当事者同士であるが故に、より適切に対応できる場合も多々あります。そして、この場合の対応は第13回講義で紹介するセルフヘルプグループがそうであるように、当事者同士で語り合い、苦しみを分かち合い、助け合うといった、互いをケアするというよりも支えるといったサポートが中心になっています。
テキスト第1節第4項にある通り、グリーフは基本的に、人間であれば誰もがいつかは直面する喪失体験に伴って生じる自然な反応であって、大方の人はセルフケアや周囲からのサポート、あるいはセルフヘルプグループやサポートグループによるサポートで、苦しいながらも社会生活を続けていくことができます。ただ、中には社会生活が立ち行かなくなるような、グリーフ第5回講義で紹介する複雑性悲嘆を抱えてしまい、医療専門職による治療的介入といった医療的ケアが必要になる人もいます。ですが、大多数の喪失体験者は、そうした専門的介入やケアを必須とせず、多様なサポートを活用しながら生きています。
以上のことから、グリーフへの対応を総合的に捉える大枠としては、グリーフケアよりもグリーフサポートという名称の方が適切なのではないかと私たちは考えました。しかし、だからといってグリーフケアという捉え方が不要であると考えているわけではありません。そもそもグリーフケアは医療的ケアに限定されるものではありませんし、苦しんでいるあなたを大切に思い、お世話したいというケアの精神がベースにあるからこそ、重いグリーフに打ちのめされて苦しんでいる人に手を差し伸べ、自分の足で再び立ち上がり歩いていこうとする喪失体験者に寄り添いながらサポートできるのではないでしょうか。要するに、グリーフケアはグリーフサポートの基盤であり、両者は喪失体験者の苦難に応じる上で、ともに重要で不可分な関係にあると言えます。