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グリーフサポートの重要性と実践(グリーフサポートと死生学第1回) #放送大学講義録

朗読の部分はあるが、あくまで大意であるのに注意されたい。

 

------講義録始め------

 

では、グリーフを抱える人々を、私たちはどのようにサポートしていけばよいのでしょうか。サポートのあり方は、そのサポートを必要とする人々が抱えるグリーフをサポートする側がどのようなものだと考えているかによって変わってきます。

死別体験者にグリーフがもたらす苦難を想像するとき、一刻も早くその苦難から解放されることを願って、その人にグリーフを乗り越えてほしい、克服してほしいと思うことはないでしょうか。そのように思うとき、私たちはグリーフを克服し、解消すべきものと考えており、死別体験者自身もそうした考え方を内面化していることがあり、早く悲しみを乗り越えなければならないと口にすることがあります。

基本的にグリーフは克服し解消すべきものという考え方は、テキスト第1項第3節で紹介したグリーフをプロセスとして捉えるいくつかのモデルのうち、フロイトの喪の作業の考え方をベースとしたグリーフワークモデル、それからボウルビィやキューブラー・ロスの段階モデル、位相モデル、そしてウォーデンの課題モデルなどに見られます。

ただ、グリーフを抱える当事者からすると、「この世にあの人はもういない」と頭では分かっていても、まだまだ心や体が同じようにその事実を受け止められないということが多いのではないでしょうか。また、グリーフは苦しいけれど、グリーフがあるからこそ故人との繋がりや絆を今でも感じられると考える方もおられるのではないでしょうか。

仏教哲学者であり、民芸運動の創始者である柳宗悦は、30代で最愛の妹を失いました。その体験を基に「妹の死」と題する小論を書きました。この小論は日本民芸館監修の『ちくま学芸文庫 柳宗悦コレクション3』に収められています。ここで、その一節の朗読をお聞きください(なお大意であることに注意)。

おお悲しみよ、我らに降りかかりし寂しさよ。今にして私はその意味を解き得たのである。おお、悲しみよ。悲しみがなかったなら、こうも私は妹を思わないであろう。愛を思い、生命を思わないであろう。悲しみにおいて妹に会えるならば、せめても私は悲しみを傍ら近くに呼ぼう。悲しみこそは愛の絆である。おお、死の悲哀よ。悲しみよりより強く生命の我を燃やすものがどこにあろう。悲しみのみが悲しみを慰めてくれる。寂しさのみが寂しさを癒してくれる。涙よ、尊き涙よ、御身に感謝する。我をして再び妹に会わせてくれるものは御身の力である。

悲しみ、寂しさ、涙といったグリーフがあるからこそ、柳は故人となった妹と今でも、そしてこれからも共にいられる、繋がっていられると言います。柳にとってグリーフは、自分が妹をどれだけ深く愛しているのかを気づかせてくれる証であり、妹との絆であって、乗り越え、解消すべき対象ではありません。