ーーーー講義録始めーーーー
医療の発展に伴って健康な高齢者が増加し、人々の平均寿命や健康寿命が延びる中で、「高齢者」とみなされる年齢のイメージも変化してきています。日本でも、老年学・老年医学の分野では、65〜74歳を「準高齢者(pre-old)」、75歳以上を「高齢者」と捉える提案がなされており、実際に政策やガイドラインにも反映されつつあります。 こうした動きの中で、中年期は準高齢期と部分的に重なり合い、従来よりも相対的に長い期間として意識される可能性があると言えるでしょう。
あるいは、定年退職は中年期の終わりを示すイベントと考えられてきたわけですが、アメリカでは公的年金(Social Security)の「フル・リタイアメント・エイジ」が、かつての65歳から段階的に引き上げられ、1960年以降生まれには67歳が適用されるなど、今後さらに受給年齢の引き上げや見直しが議論されています。
こうした年金制度の変化は、人々の実際の退職時期や企業が定める退職慣行にも影響を与え、中年期として捉えられる期間が長くなっていく可能性があると推察されています。
日本でも、企業が定年を定める際には60歳未満を定年とすることが認められず、定年の引き上げや継続雇用制度の導入などにより、少なくとも65歳までの雇用確保を図ることが義務づけられています。さらに、70歳までの就業機会の確保を企業の努力義務とする法改正も行われました。 その意味では、日本でも定年延長や雇用継続の動きがあり、それに伴って中年期と老年期の境界が今後より一層曖昧になっていくかもしれませんね。社会制度や人口構造の変化が、心理学で想定されてきた発達段階の「年齢幅」そのものを書き換えていく、という見方もできるでしょう。
ライフイベントという考え方
さて、発達や発達課題という段階説は、基本的には「年齢」を軸にして、すべての人々が一定の順序で発達していくという前提をもっていたわけですが、一方で、人が遭遇するそれぞれ異なる生活上の出来事=ライフイベント(life events)に注目する考え方も重要です。
ライフイベントとは、人生上の大きな出来事のことで、Holmes & Rahe が開発した「社会的再適応評価尺度(Social Readjustment Rating Scale)」などでは、就職・退職・昇進・失業・離婚・結婚・配偶者の死・子どもの誕生など、生活の再適応を必要とする出来事が幅広く挙げられています。 例えば仕事に関連したイベントとしては、採用、転職、昇給、降格、退職などが挙げられ、家族に関連したイベントとしては、結婚や妊娠、子どもの入学、離婚、引っ越し、新居の購入、家族の怪我や病気、配偶者の定年退職、家族の死などが挙げられると思います。
就職や結婚、出産など、多くの人にとって「このあたりの年齢で起こるだろう」と予期されるイベントは、一般に、その文化や世代の「ソーシャル・クロック(social clock)」、つまり「こうした出来事はこの年齢頃に経験するのが普通だ」という社会的な時間意識と結びついています。 こうした「年齢に沿って予期される」イベントの場合、少なくともある程度、心理的に受容する準備がなされやすいとされています。
しかし、例えば突然の海外赴任や、子どもが重い病気にかかる、あるいは若くして配偶者を亡くすといった、予想しないライフイベントについては、事前の心の準備がないため、深刻なストレスや葛藤を伴うことが多いと報告されています。さらに、ニューレガーテンらが指摘したように、「退職前の解雇」や「若い段階で未亡人になる」といった、社会的なタイミングから大きく外れた off-time の出来事は、心理的な負担が大きくなりやすいことも示唆されています。 心の準備がなく、なおかつ「こんなタイミングで起こるはずがない」と感じるようなライフイベントは、非常に大きな葛藤を引き起こしやすいと言えるでしょう。
女性の事例:専業主婦の心理的危機
ライフイベントに関連して、また事例を挙げていただけますでしょうか。
70歳過ぎてから振り返って語っていただいた女性の方のケースをお話しいたします。
この方はお子さんが3人いる専業主婦の方でした。大学を卒業して2年位で結婚、子どもさんもすぐに授かって、主婦として家庭の中で過ごしておられました。かなり前のお話ですので、当時は高度経済成長の最中、ご主人は仕事で忙しく、週末は接待などでほとんど家におらず、仕事などで外泊することもあって、家の中はその方と子どもさん3人のみという時間が多かったそうです。
その方は、ご自身のお母様のようになりたいと、当時の良妻賢母に憧れていたそうです。お母様を見習い、夫に従っていくのが当たり前だと思っていた。そして子どもの世話に明け暮れ、ヘトヘトになったけれど楽しかったとおっしゃっておられました。
ところが、ご本人が30代の半ば位、一番下のお子さんが3歳になる位の頃に、ご主人が家に寄り付かなくなっていったそうです。どうやら外にもう一つ家があるらしい。大変なショックで、目の前が真っ暗になったとおっしゃっていました。
これは、誰もが経験するライフイベントではありませんね。この方は残念ながら、たまたまそういう状況に置かれてしまったのでしょう。
それでも子どもたちの世話をしなくてはいけなくて、ひたすら毎日に追われていた。子どもが成長すると自分の時間ができる。その方が苦しかかったとおっしゃっておられました。実家の応援があったので、それが助けになったそうですが、とにかく何かしていなければ苦しかったとおっしゃっていました。
移行期に付随する7段階モデル
ここで、印刷教材の移行期に付随する7段階モデルを見てください。変化や移行を段階的な心理過程として捉えるモデルはいくつかありますが、その一つとして、Adams・Hayes・Hopson らによる7段階のトランジション・モデルがあります。そこでは、ショックや凍りついたような感覚(immobilisation)、現実を小さく見積もろうとする段階(minimisation)、抑うつや自己評価の低下(depression)、現実の受容と手放し(acceptance/letting go)、新しい試み(testing)、意味の探索(searching for meaning)、新たな自己像や生き方の内面化(internalisation)といった段階が想定されています。
印刷教材で示している7段階モデルも、同様に時間の経過に伴い、一定の心理状態を経るとしています。ショック、信じられないといった凍りついた感覚から、絶望感、自信喪失、あきらめといった感情の動きが見られるとされています。すべての人がきれいに同じ順序を辿るというわけではありませんが、急激なライフイベントに直面した際に、似たような感情の波を経験する人が少なくないことを示す枠組みとして理解することができるでしょう。
おそらくその方も、こうしたモデルでいうところのショックや絶望感、自信喪失に近い感情を経験していたのではないかと思います。諦めはあったのかもしれませんが、それと同時に、新しい世界を求めようとする動きも生まれていったのでしょう。
子どもが小さいので家は開けられない。そこでその方は、家でできる通信講座のようなものから何か習うことにしたそうです。手芸的なものから始めて、もともと好きだったということで発展して、洋裁、編み物も習い、洋裁を教えられるまでになったそうです。必死で洋裁の小さな仕事を受けて、編み物の仕事ももらい、細々ですが収入も得るようになっていった。もちろん、周りの方々の様々な支援があってのことですけれども、下の子どもさんが高校卒業する頃には、編み物教室を開くまでになったそうです。
そこまでの間で、その方はすごくご自身が変わったと言っておられました。
人生の展開
結局、その方はご主人とはどうなられたのですか。
その方は旦那さんと離婚されました。下のお子さんが高校卒業した後、離婚届に判を押したそうです。
その方にとって人生が展開したのは何だったと思われますか。
いくつかあると思うんですけれども、1つは離婚ということもあると思います。でももっと大きかったことは、自分の力で編み物教室を開いて収入を得て、自活できるようになり、子どもたちを育て上げたということがあったと思います。
学習することで何らかの技能を身に付けて収入を得て自立するということが、おそらく大事なんでしょうね。
その方は、「若い頃はバラ色の夢ばかり見ていた。でも現実を突きつけられました。夫についていけば良いと言われていたけど、そう思って自分もいたけれども、とんでもなかった。学ぶことが私を助けてくれました」とおっしゃっていました。
「つまらない小さなことでも、それに没頭できましたし、そのつながりで友人の輪も広がって、収入につながるものさえ出てきました。若い頃の自分には想像もできないことです。それに、自分が変わらなかったら、子どもにしがみつき、子どもたちをダメにしたと思います。これでよかったと今思っています」とおっしゃっていました。
参考図(テキスト版)
図:ライフイベントと移行期の7段階モデル(イメージ)
| 要素 | 内容の例 |
|---|---|
| ライフイベントの例 | 結婚、出産、離婚、解雇、退職、家族の病気・死、配偶者の浮気など |
| タイミングの違い | on-time:同世代と近い時期/off-time:極端に早い・遅い |
| off-time の影響 | 心理的 distress や葛藤が強まりやすい傾向 |
| 移行期7段階モデルの例 | ショック→否認・最小化→抑うつ→受容→試行→意味の探索→内面化 |
| 学習・適応の方向性 | 新しい技能の獲得、自己像の再構成、対人関係の再構築など |
(※具体的な段階名は複数のモデルがあり、ここでは代表的な考え方を整理したものです。)
