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記憶の分類 ─ 心理学と臨床の視点から #放送大学講義録(成人の発達と学習第4回その6)

ーーーー講義録始めーーーー

 

岩崎:
さて、記憶をめぐっては、研究者によって様々な分類がなされています。なかなかややこしい分類が多いのですが、富永先生、わかりやすくご説明いただけますでしょうか。

富永:
はい、わかりました。心理学では、時間の長さによって、こう、感覚記憶と短期記憶と長期記憶の3つに分類しています。記憶を分類しています。これは、いわゆるアトキンソンとシフリンが提案した「多重貯蔵モデル」に代表される考え方で、感覚記憶(sensory memory)、短期記憶(short-term memory)、長期記憶(long-term memory)という3つの貯蔵庫を区別するものです。

心理学で記憶を扱う場合と、認知症などの臨床的な場面で記憶ということを論じる場合とでは、若干使い方が異なると思ってください。

岩崎:
どのように違うのですか。

富永:
まずは認知症ということが、昨今の日本では避けて通れない社会問題ですよね。その場合は、記憶というよりも、見当識という言葉をまず使います。見当識を時間見当識、場所見当識、それに人物見当識になります。見当識の見当は、見るに、当たるという字と意識の識で見当識です。

時間見当識は、今日は平成とか西暦何年ですか、何月何日ですか、ということです。場所見当識は、あなたのいるここはどこでしょうか、日本のどこにいますか、何病院ですか、とかですね。そして、人物見当識は、あなたはなんというお名前ですか、何歳ですか、あなたの家族、兄弟はどうなっていますか。これらが見当識です。これは全く記憶の臨床的な表現だと思ってください。臨床現場では、こうした time・place・person に関する見当識の評価が、認知症などの状態把握に広く用いられています。

現在この講義を受講している皆さんにとっては、何年何月何日何曜日何時にこれこれの場所で、この私がこのラジオを聴講しているということが言えるでしょう。これが自己の存在に繋がるわけです。自己の存在は、時間と場所と自己という記憶に依存しているということになります。

岩崎:
確かにそうですね。

富永:
そこで、認知症が重度になってくると、まずは時間見当識が崩れます。それから、場所見当識がなくなり、自分の存在すらわからなくなるということになります。実際、アルツハイマー型認知症などでは、時間→場所→人物という順で見当識の障害が進行しやすいことが知られています。
だから、人間の正常な存在にとって必要なのは記憶機能、すなわち、この3つの見当識を健全にこう維持しておくことが重要です。

また、臨床の場では、短期記憶、近時記憶、遠隔記憶という表現を使います。短期記憶は、今日の実験でやったような記憶を指します。近時記憶は、今朝、朝食で何を食べましたか、昨日はどんな生活しましたか、ということになります。遠隔記憶は、それよりも長い、どちらかと言えばエピソード記憶などを指してください。臨床では、近時記憶の障害が認知症の早期からみられ、遠隔記憶は比較的保たれるといったパターンもよく知られています。

一般に心理学では、より臨床的、というよりは、より学問的な観点から、記憶を論じています。最近は、このような心理学での記憶の捉え方が、実際の臨床に採用されて、記憶と脳の関係が明らかになりつつあります。その1つのトピックとして、ワーキングメモリー、もう1度言います、ワーキングメモリーという記憶の側面について、ちょっと触れてみたいと思います。

岩崎:
はい、お願いします。ところで、ワーキングメモリーと呼ばれるものと短期記憶とは同じと考えてよろしいんでしょうか。

富永:
はい。──と、かつては短期記憶とほぼ同じ意味で使われることも多かったのですが、現在は厳密には同じものとはみなされていません。短期記憶は「ごく短いあいだ、情報を保持しておく貯蔵庫」を指すことが多く、一方でワーキングメモリーは「保持している情報を、頭の中で操作したり、組み合わせたりしながら課題をこなすためのシステム」として理解されています。

それで、短期記憶とワーキングメモリーの違いを一言で言えば、短期記憶という場合は、一時的に記憶する能力というか。記憶には、一時的に覚えておく記憶と、例えば、昔、海で、溺れた経験がある、その時の記憶は忘れられないとか。昔の記憶は、いわゆる長期記憶ですけども。これを心理学ではエピソード記憶と呼んでますね。短期記憶や長期記憶という場合は、昔のこととか今のことというような時間的な経過で、人の記憶機能を表現したものになります。

一方、先ほど話しましたワーキングメモリーとは、時間的な観点から記憶機能を見るのではなくって、実際に記憶が人間にとってどのような意味があるのか、記憶することが日常の生活でどのような意味を持つのかという視点を強調するわけです。短期的に保持している情報を「使いながら考える」「複数の課題を同時にさばく」ような働きを指す、と理解していただくとよいと思います。

岩崎:
なるほど。

富永:
例えば、風呂を沸かしながら、香りのいいコーヒーを飲んでいたとしましょうね。ついつい風呂を沸かしていることを忘れて、ふと思い出して風呂場に飛んでいき火の元を止めたといったとか。

岩崎:
あ、このような場合、いくつかの課題を同時かつ短期に覚えておく必要がありますよね。

富永:
はい、そうですね。そのために必要な記憶材料を思い出し、やるべき課題を達成する。このような、記憶自体を想像した時に、単に短期記憶という概念では説明できない、人間の行動があると思います。ワーキングメモリーは、こうした「複数の情報を保持しつつ、同時に操作して行動を組み立てる」ような場面で特に重要だと考えられています。

岩崎:
確かにそうですね。

富永:
記憶は、日常生活でやるべき行為のために、必要に応じて人間が取ってきた機能と考えることも意味があると思います。若い時、いっぺんにいくつかのことを同時に進行し、並列に行うことができますよね。そして、順番に処理し、対処できました。しかし、年を取ってくると、1つのことをすれば、1つのことを忘れることが多くなりますよね。

岩崎:
確かにそういうことありますね。

富永:
これはワーキングメモリーの低下、その程度が重度であれば、重度であれば、ワーキングメモリーの障害ということになるわけです。加齢やさまざまな脳疾患で、前頭前野を中心とするネットワーク機能が弱まると、ワーキングメモリー課題の成績が低下することが報告されています。

昔の話ですけども、「料理の鉄人」という番組がありました。

岩崎:
ありました。はい、はい。

富永:
その時に、道場六三郎さんという人がいらっしゃって、その人が料理の鉄人ですけど。限られた時間内に挑戦者と、料理の腕を競うんですね。あのシーンはまさにワーキングメモリーの実験と私は思って見てました。

岩崎:
あ、そうなんです。

富永:
はい。いくつかの献立を同時にこう進行させ、この次はこれをし、この次はこれをし、と、仕上がりの順番も念頭に入れて記憶し、作業してるわけです。ワーキングメモリーとは、あのシーンを思い出していただければよくわかると思います。

岩崎:
はい。

富永:
高齢になると低下する機能ですね、これは。最近では、この脳内メカニズムも非常に解明されつつあります。

岩崎:
しかし、私たちの通常記憶と呼ぶのは、一時的な記憶である感覚記憶や短期記憶というよりは、定着したものとしての長期記憶のイメージではないでしょうか。富永先生、この長期記憶についても、あの、合わせてご説明いただけませんか。

富永:
はい。ご指摘の通りに、記憶のメカニズムを論じる場合、もう1つ重要な記憶があります。それは、今まで述べました記憶について整理しますと、短期記憶、長期記憶でしょ。長期記憶の中には、エピソード記憶、その人にとって、人生のファイルのようなものですね。それは長期記憶、エピソード。それと、長期記憶にはもう1つの、誰もが持っている、例えば言葉の辞書みたいなものも考えられます。

人と会話をするときは、日本語の単語を用いて、文法を理解して、人と会話をしているわけです。これを、長期記憶の中での意味記憶と表現します。だから、長期記憶には、エピソード記憶と意味記憶があるということです。それ以外にもう1つ、手続き記憶というものを心理学では想定してます。ここまでをまとめると、長期記憶は、事実や出来事を意識的に思い出す「宣言的記憶(エピソード記憶・意味記憶)」と、技能や習慣など自動化された「非宣言的記憶(手続き記憶など)」に大きく分けられると考えられています。

岩崎:
それはなんでしょうか。

富永:
いわゆる、体で覚えた記憶とか学習したものがあります。ま、これは一般には技の記憶と言って理解してもいいかもしれません。昔、自転車に乗ることができた人は、年を取っても乗ることができるでしょうし。昔とった杵柄云々は、若い頃に身につけた技芸や腕前は、こう、年を取っても衰えない、記憶されているということを実際意味しているわけです。こうした手続き記憶には、大脳基底核や小脳などが深く関わることが示されています。

岩崎:
はい。はい。

岩崎:
いや、今お話を伺っていて、本当に記憶というものは学問的に色々に分類されるのですね。

富永:
はい。このような記憶は、まあ、神経心理学的に説明をしますと、今までの記憶とは全く異なった脳の場所が関与しています。それは大脳半球の内側の部分ですけども、そこに大脳基底核というのがあります。これが関与してますね。ちなみに、その場所に関係する病気としては、パーキンソン病という病気があります。ご存知でしょうか。

岩崎:
あ、はい。わかります。

富永:
無意識的に手がこう、震える。振戦が起こります。小刻みによちよちとしか、こう、歩けなくなるとか。それを小刻み歩行と言いますけども。これは大脳基底核の障害で生じてます。パーキンソン病では、黒質を含む大脳基底核回路の変性によって、安静時振戦や小刻み歩行などの運動症状が出ることがよく知られています。

一方、こう、手続き記憶以外の、今まで述べてきた記憶と、ま、今から説明します、もう1つの展望的記憶っていうのがあるんですけども。

岩崎:
はい。

富永:
それは、大脳半球にあるところの海馬は関係しますけど、それ以外は、側頭葉とか前頭葉などの大脳の新皮質を中心とした広い領域が関与しています。エピソード記憶や意味記憶、そして「○○時にこれをしよう」といった展望的記憶(prospective memory)は、海馬を含む内側側頭葉と前頭前野などのネットワークが共同して支えていることが、脳画像研究から示されています。

岩崎:
そうですか。私たちの頭の中にあるのは、まるで精密な機械のようですね。