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オリンピックボランティアの世界(1)誕生と貢献の歴史(放送大学特別講義)

貴重な体験であることが言葉の端々から感じられる。やってみたいかもしれない。

 

市居愛。「栄光の架橋」。アテネ大会。水泳競技のカメラアシスタント。水しぶきがかかる。北島康介の活躍。目と耳で忘れられない。競技が終わると嬉しさや悔しさを。オリンピックボランティア。大会の顔。良し悪しで全体の評価も変わる。00年のシドニー大会ではボランティアが活躍。サマランチ会長のスピーチ。見るだけでなく参加することで醍醐味を。オリンピックボランティアの誕生と貢献の歴史。00年と04年に参加。
オリンピックとボランティアの関係。近代オリンピックの歴史。当初支えていた人。志願兵という意味。1896年から36年のベルリン大会、軍隊やボーイスカウトなどが支える。ボランティア精神。グーベルタン男爵も当初はボランティアだった。競技団体の役員も無償だった。機種としてなどの活躍。第一次大戦後からは一般募集も。第二次大戦後は女性も活躍。ロンドン大会から一般募集が。市民の方たちが参加。80年のレークプラシッド大会。組織委員会のプログラムにもボランティアが。委員会の正式なプログラムにオリンピックボランティアという概念が。ボランティアの役割も増えていった。通訳、警備の手伝い。メディアのサポート。種類も数も多くなった。理由は3つ。国や選手が増えている。規模が大きくなることで人手が必要。大会の成功はボランティアの活躍が影響してきた。ベストエバ。大会の意義や成功が評価される。テロなどの影響で安全のためにもより多くの人手が。北京大会で7万5千人のボランティア。東京大会では8万人が予想。心に残るオリンピック。選手が泣いたり笑ったりの表情が。クラシックバレエをやっていたので、美というものも競い合うのに興味があった。体操やフィギュアスケート。指先やしなやかさ。どちらかというと、こんなふうに表現できるのだろうと感じていた。きっかけは92年のアルベールビル大会の伊藤みどり。表情が心に。トリプルアクセル。笑顔の様子。大きなきっかけ。オリンピック好きがこうじて、見たいと思うように。運動処方を勉強する。トレーナーの勉強を。アメリカへスポーツとビジネスを。大学院ではインターン、就労体験を。ちょうど00年のシドニー大会が。アメリカから飛んでレポートを書き単位にしようと。アメリカからシドニーの大会委員会に。ボランティアの情報がそれほど載せられていなかった。申込みをして現地でインタビューを?電話で何とか出来ないか?何度もメールをしたり電話をしたりして納得してくれた。苦労があったので報われたような気持ちでオープニングを。リハーサルのチケットが。オリンピックボランティアには費用がかかり休みも必要。費用は全て自己負担。宿代も出ない。途中日本に寄ってアルバイトを。期間中は宿が高くなる。満室だったり高かったり。安宿から現地の情報でアパートを借りた。航空券は15万。宿としては1泊3000円から5000円。ビーチバレーボール会場で来場者案内を。数も多い。会場内で観客に席を案内。荷物のcheck。入場許可証のcheckを。1日毎に仕事が割り振られる。会場はビーチが設定される。太陽が燦々と。音楽も沢山大きな音で。盛り上げる為に仕事の1つとしてウェーブを作る。会場のある地点から一周させる。周りを走ったり真似をしたり。競技場内にウェーブが。大会そのものを作っている。大切なのは笑顔、確認して慎重であること。作り上げているという喜び。色んな仕事が。事前に色々な研修を。シドニー大会では2週間前に最初の研修を。Orientation。歴史や経緯、トーチリレーの場所や試合の場所。何千人が1つの会場で。Venuetraining。非常口などを確認。バックヤード。supervisorからの挨拶。jobspecifictraining。仕事の詳細を。どの部分まで荷物を確認するのか、何処まで入って良いか。本番を迎えてボランティアのスケジュール。シフトがあって夜中まで。幾つにも分かれている。朝4時からの人も夜から働く人も。競技中の内容も含め支える。グループのリーダーから朝礼のMeeting。情報を共有。仕事の内容と休憩時間の確認。ランチを食べる。競技場内のご飯を食べる場所で。チーズのサンドイッチだったり様々。時には他のボランティアが疲れて休んでしまうと10分20分に。選手も身近に感じられる。休憩時間に写真も。仲間と街に出て観戦したり食事をしたり。ボランティア同士の絆も。オリンピックボランティアの常連も。ピンバッジなどを持ってきて交換。年齢や職業が様々。一緒に作り上げる。最初と最後が思い出深い。ありがとうのパレード。ボランティア達が練り歩く。市民も盛り上げてくれる。苦労すること。朝4時の頃もあれば午後10時のことも。暑い時に立ちっぱなしに。イライラすることも増える。来なくなってしまうボランティアも。仕事の内容によっては競技に触れることの出来ないことも。駐車場のゲートを開け閉めなどの影の仕事も。04年のアテネ大会。アクアティックセンター。競泳のフォトサービス。カメラマンのアシスタント。世界各地からのカメラマンのサポート。水を渡したり席に誘導したり、困ってないか側に寄り添う。取った写真をメディアに配信する必要があり、データというのをSDデータとしていただき、メディアセンターまで走って届ける。世紀の一瞬を手にして、壊したり濡らしたりしないよう迅速に。2つの大会で運営についての違いは?アテネの方が組織だっていてやりやすかった。Internetの普及。アテネからは申込フォームも充実していた。シドニーの方が組織だっていて指示も的確だった。会場などや仕事で異なる。多くの特典がある?参加してUniformを一式配布される。水を飲むボトルも。証明書となるカード。開幕式のリハーサルのチケット。半ばになるとスポンサーのオリジナルの時計やピンバッジも。ニューズレターが毎日。その中にボランティアで活躍した人が名前で掲載される。オリンピックはボランティアへのケアも充実している。精神的に落ち込むことがあるかもしれないので、クリニックを紹介される。興奮状態から静かな状態になるのでメンタル面のケアも。何度もないような経験。ボランティアによっては1年近く働く。どうしようという感覚になる。喪失感も在るし充実感も。戻っていつもの生活が、それも楽しみであり感慨深い。