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“Life”に向き合う社会福祉実践(社会福祉実践の理論と実際第3回)

一つの理論を通して関わる人のLifeを解釈しがちだけど、理論から零れ落ちるところに相互理解に達する為の鍵があるように感じられる。

 

社会福祉実践の対象。社会福祉学。実践における。現実の具体的な社会福祉実践。対象。Life。生活、人生、生命などの様々な意味が。対象としての生活。生活課題の捉え方。語りや対話を重視。ライフストーリーやライフヒストリー。
福祉社会学事典。生活の本質に向けられた関心。生活を構成する諸要素が不可分のものとなる。生活の担い手の生活者が持つ。全体性。とらえどころのない。生活行動論。労働と対置して生活を。労働力を再生産する生活。もう一度労働としての活動に参加する為。家庭での再生産。食事や休養、余暇。24時間は変えられないので、労働時間などの配分を研究すると生活パターンが見える。生活行動。ワーキングプアー。最低賃金。マルクス主義の影響を強く受けた。労働あっての生活、では問題が捉えづらくなる。育児や介護などの家庭内でのケアをどう捉える?家庭内でのケアを含めた再生産過程。社会福祉が対象とするのは生活それ自体。生活者の主体性や自立性。生活学。家政学への批判。考現学。現在の現れを考える。戦前の東京の生活を。今和次郎。小さな空間の中での生活者。生活の在り方。民俗学や文化人類学などとも共通。水俣病などの労働問題。過疎と過密。生活の質が問われ始める。共働き家庭が増える。無認可保育所。高齢化社会の仲間入りをする。在宅サービスの充実を。主体的な動きが。インフォーマルな在宅福祉サービス。生活に密着した福祉。生活福祉。最近は?90年代以降のノーマライゼーション。介護の社会化。社会福祉の普遍主義化。選別主義的な社会福祉でなく、誰もが利用できるサービスへ。住まいや暮らしぶり。人生や生命といった時間軸を加える必要性。
人生や人間の生涯。心理学や社会学の分析対象として。19世紀末のイギリスのランドリー。貧困線。貧乏線とも言った。所得が貧困線以下のケース。失業しなくても人生に3度貧困期の可能性が。子供の養育。高齢期は収入が低下。普通に生活している場合でも貧困の可能性が。福祉国家の契機に。ライフサイクルモデル。戦後のアメリカ。エリクソンのライフサイクル論。人生の各段階について心理的課題を解明。青年期をアイデンティティの危機と。その人自身の存在証明。どう生きていけば良いか、根源的な問い。ライフサイクルモデル。広く受け入れられる。老年期の発達課題。ライフサイクル。人間の生物学的成長。標準から逸脱する説明が出来ないし、多様性を除外せざるを得ない。ライフコースアプローチ。個人を中心に。人間の発達。個人をコーホートでまとめて観察。「大恐慌の子どもたち」。40年にわたり追跡調査。影響を分析。時間軸を含む。相互作用するプロセスとしてのLife。世代コーホート。
クオリティ・オブ・ライフ。ライフヒストリー。ライフストーリー。生活学。生活の質。QOL。Lifeの包括性。生活の質としての。生活満足と豊かさの尺度。生命の質。終末期医療など。生活の質。産業化。ものから心へ。生活の好ましさや幸福度。QOLの指標化。経済システムを前提として言葉では言い表せない。生活満足度や主観的幸福。豊かさの構成は?生命の質。保健医療分野。死は敗北。医学モデルで出来ることは少ない。慢性疾患患者の増加。医療の先端は反面には医療の限界。治癒だけを目指すのではない生活モデル。コメディカルの専門性を検討する重要な枠組に。看取り、という局面や慢性疾患患者の生活支援を。治癒と異なる目標に向けて。QOL。高齢期の伸長。医学モデルには限界。死亡率は100%。QOLという概念の活用。目指すべき理念、目的として扱った方が良さそう。ライフヒストリーやライフストーリー。生活歴、生育歴。アセスメントの必須事項。ケース、事例に関する情報。生活として把握するには難しい。実感を込めて理解できなければ先に進めない。ライフヒストリー。研究はシカゴ学派に遡る。世界で初めて社会学科が。セツルメント活動の先駆。移民が多数。アルカポネ。マフィアのドン。都市社会学の研究でのデータが基になり、次々と研究成果が。排除逸脱の可視化。ライフヒストリーの古典。塀の中と外とを行き来する少年。非行やホームレス、売春の社会構造。社会構成主義のパラダイム。パラダイムシフトに。個人の人生経験の理解を通して社会病理を解明するだけでなく、人生の物語を構成する口述史。語り、ナラティブやダイアローグ。ライフストーリーワーク。セラピーの一種に。語りや対話が注目されているのは?人生は一人として同じではない。多様的で標準化しきれない。Lifeを理解する。クライエント中心で。異なる人間同士。理解出来ないことは沢山ある。様々な環境をくぐってきている。安易に「分かっている」とは言えない。しかし介入していくにあたりライフストーリーを理解していくしか無い。そこから支援の緒が見えてくる。人々の語りや対話。Lifeへの意味付け。生活世界。Lifeの理想。準拠点として主観的な世界。現象学の用語。虐待を受けた子供の世界観。多様化し複雑化する問題状況を解き明かす為には、Lifeの理解が必要。
社会福祉の対象。社会福祉の対象としての生活。全体性日常性連続性。生活構造論と限界。生活それ自体の生活学。Life、のついて幾つかの概念。理念としてのQOL。プロセスとしてのライフストーリーやライフヒストリー。人間の生活や生命、人生への好奇心。実践で常に求められている。

 

社会福祉実践の理論と実際 (放送大学教材)

社会福祉実践の理論と実際 (放送大学教材)

 

 

完全さ。

完全さを期すのは大事なこととされるのが一般的。そもそも人間たる存在に完全さは求め得ないのであるから、常にperfectを目指すようにと、子供の頃から教育を受ける。それはそれで王道なのだろう。けれど、過剰に意識してしまうのも人間の性である。他人に完全さを求めると嫌われるなどのことになるし、自分に向けると動けなくなることもある。フォーマルformalな教育の場以外で、適当に考え完全さを過剰に求めるのは難しいと学ぶことが多い。そういう体験を無視して大人になる人も少なくないけれど。

選挙活動。

昨日も書いたが、選挙が高輪、じゃなかった、たけなわである。高輪のホテルでの友人の結婚式に参列したのも遠い昔。それはともかく選挙活動は盛んである。昨日の朝は某党の地方区候補と握手してパンフを渡された。高槻は辺境だがそれなりに大きな街なので辻立ちをしている模様。更に帰路では、違う党の某議員とまた握手をした。集会を開くとのこと。惜しむらくは2人とも男性だったこと(笑)。女性なら誰でも良い訳でもないけれど。日本では女性の議員が、諸外国と比較して圧倒的に少ない。有為の人材が埋もれているのではと感じる。

社会福祉実践を担う人(社会福祉実践の理論と実際第2回)

私は福祉の専門職ではないけれど、地域の福祉の担い手であるべきだろうし、またなることが出来ると考えるべきなのかもしれない。

 

福祉という言葉からのイメージ。車椅子の方や高齢者。介助や介護、まとめてケアする人。介護や介助は福祉の極一部。介護と看護とは何処が違う?分かってしまうほどどう書いて良いかわからなくなる。100年ほどの歴史はあるが。ケアワーカー。ソーシャルワーカーの取り組みから。しかしどんな仕事なのかは分かりづらい。福祉の専門職としての時代背景。社会的立場。視点の固有性。幾つかの専門資格。ケアマネージメント。介護や介助や保育といったケアワーカーの仕事。高齢者の介護を中心に。専門性の問題。福祉の担い手は他にも居る。対象となる当事者や関係者、地域社会の住民。市民一人一人が担い手とならなければ。ソーシャルワーカーの仕事の重要性も見えてくる。3つくらいの担い手論。
59年の初演、ウエストサイドストーリー。ジェット団。シャーク団。ロミオとジュリエット。大都市に集まった移民の子どもたち。都市の社会問題。ソーシャルワーカーの萌芽。みんな育ちのせい。父ちゃんはみんな飲んだくれ。チンピラになるのは当たり前。専門家の間をたらい回し。社会病。ソーシャルワーカーへ。仕事じゃなくて牢屋が必要。心の底から腐ってる。ソーシャルワーカーも匙を投げる。50年代のアメリカ大都市の非行少年を対象とするソーシャルワーカー。慈悲と慈愛に溢れた者?逃げ出したい問題に対応する。警官裁判官精神科医と同様に分からず屋。生活問題を解決する専門職。本人では回復できない医師のように。反発や反動を招く。個性や感情、他者との関係は様々。共に問題に対応する。日本では社会福祉士。相談助言連絡など。相談援助職。介護福祉士。ケアワーカーとソーシャルワーカーの違い。98年に精神保健福祉士。精神障害者。相談支援。社会福祉士と仕事内容はそう変わらないが。社会福祉士が職域を拡大してきた?しかしあくまで名称独占資格であり、業務独占資格ではない。医師や看護師とは違う。医療行為を独占的に。有資格者でなくても生活相談員などにはなれる。資格は意味がない?知識と技術を持っているということは重要。制度とサービスのコーディネートが出来る。専門職としてのケアマネージャー。ケアマネ。ソーシャルワーカーとの違いは?ケアマネージメント。限られた資源について、地域の中で効率的に分配。介護保険制度により導入。介護支援専門員。サービスは限られている。障害福祉サービスにおいてもケアマネージメントが。ケアマネージャーは最適なプランを作成する。既存のサービスだけでは解決出来ない場合も多々ある。一定の枠組に収まらない場合が多い。ソーシャルワークが求められる。ソーシャルワーカーがケアマネージメントを担う場合もあるが。新しい枠組みを作るという機動力や開発力が必要。
福祉の担い手としての専門職。直接的ケア。比較的最近のイメージ。かつては家庭内の女性で担われていた。シャドーワーク、アンペイドワーク。保育などが家族以外で担われる必要が。経済的負担を皆で負担。社会的に。介護は労働であるという認識、サービスに変換。専門的仕事としての認識。ヘルパーは主婦でも参入できるので担い手が拡大してきた経緯がある。競争原理の導入でサービスの向上をはかる。しかし良い介護とは?著しい偏りがあっては困るから、標準化の方向に。しかし本当に良い介護?ケアされる者は生命と生活全般を委ねる。非対称性を意識化する。羞恥心などを絶えず共有を。排泄行為など日常への介入。身体への侵食は最低限に、機能的に。共感しつつ機械的に。バランスを。ケアは非専門的であろうはずはないけれど。専門的仕事と位置づけられたのは最近のこと。担い手としての市民。私たち自身。個人主義化。ケアをフォーマルな、公的なサービスとして社会化。制度化されたサービスで対応しきれないのを、非公式なサービスでどう対応するか。世帯類型として一番多かったのが単身世帯。30%以上、単身化の加速。単身高齢者の増加。親と既婚者の別居志向。30年間で80歳以上の単身者が10倍以上に増えている。中年男性の単身者。生涯未婚率は男性で23%、女性が14%。夫なき後の女性だけが問題なのではない。子供がいないので生活の困難さが違う。日々の不具合に対して介護サービスを利用するのが負担が大きい。互助の機能の再検討。一億総活躍社会。福祉世界もパラダイムの転換を。あらゆる住民が支え合いながら暮らす地域共生社会を。我が事として主体的に取り組む。地域づくりの支援とサービスへのつなぎを含めた体制づくりを。市民一人一人が支え合いながらインフォーマルなものを繋ぐ。生活上の様々な課題を他人事とはしない。包括的に整える姿勢が。ゴミ屋敷や長期間の引き籠もり、虐待。同じ地域で起こっていることだとしても、我が事として解決する方向への一員として取り組めるか?地域の困りごとのサポートを、と言われても、自分のことで精一杯?市民一人一人が認識するのは簡単ではない。血縁地縁社縁などのネットワークが希薄化している現状。人と人との関係の在り方は変わっていかざるをえない。ソーシャルワーカーの役割はますます重要になる。行き詰まっている個人をサービスに繋げていく。様々な課題を抱えた人を寛容な姿勢で根気よく繋げていくこと。誰もが安心して落ち着いて暮らせるという地域のウェルビーイング。専門職はそのお手伝いを。
社会福祉実践の担い手について。担い手像を明確にするのは難しい課題。する人とされる人、一対一ではない。常に複数形。

 

社会福祉実践の理論と実際 (放送大学教材)

社会福祉実践の理論と実際 (放送大学教材)

 

 

清廉潔白。

清廉潔白を貫く?のは、現実としては極めて難しい。以前にも書いたが、選挙には公定の選挙活動費の制限があるが、殆ど誰も守っていない。恐らく唯一の例外は、東京都知事選の青島幸男氏。何も選挙活動をしなかったからである。それ以外にも様々な抜け道があり、それが故に公職選挙法には改正が繰り返されている。そして選挙の費用を捻出しなければならないので、パーティを開くなどして集金活動が盛んである。まあ、キチンと政策を立案してより良い政治をするのなら、目くじらを立てなくてもという意見は一理ある。けれど、マトモな政治家はどれ程居るのだろう?政治家を育てるのも国民の義務かもしれないが。

「松坂屋前」。

参議院議員選挙もたけなわである。昨日の夕方も、某党の候補や応援議員が演説をしていた。地元で言う「松坂屋前」で。政治演説のスポットになっているところだが、それほど広い訳でもない。JRの駅側にもエントランスはあるのだが、管理の関係上、展開は出来ないらしい。郵便局の入口もあって人通りが絶えないので、活動場所になっているのだろう。地元の人も「松坂屋前」とそのスポットを呼んでいる。まあ、それ程たくさんの人出はないので良いのかもしれない。それに代替地も思い浮かばない。ううみゅ。

市民自治の思考法(1)(市民自治の知識と実践第2回)

ウェーバーの2つの著作は紐解いてみたいと思う。絶望的に遅いかもしれないけれど。

 

市民自治をどうやってやるべきか、技術論の前にどのように考えていくのか。社会科学とはどのようなものか。学問と実践の関係。根源的な問題。社会科学が市民自治という実践とどういう関係を持つのか。主知主義。主意主義と対比。知識というものを中心として。意志というものを中心として。大学で学ぶ人は多かれ少なかれ主知主義的。ソクラテス。知識を持っていてもそれを実行するという意志が無ければ。意志の弱さが問題、乗り越える必要が。現実ではこの2つが混ざり合う。主知主義へのコミットメント。先ずは知識の重要性を認める。同様に意志の問題も。市民の自発的な参加。意志を持って。しかし知識に照らされていなければならない。でないと意志が暴走する。学問的知識によって照らされているべき。学問と実践の関係。古典を。ウェーバー。「職業としての学問」「職業としての政治」。岩波文庫。学問とは?学問の倫理とは?政治という実践をどのように考えるべきか?この2つをどのように総合するか?
「職業としての学問」。20世紀初頭。学問を職業とする者は、専門家というものが不可避。全体的に語ることは学問のテーマではない。仔細のような学問に集中、諸学との連関を絶つ。世界、世間からの断絶。社会の複雑化で事象を研究するには。学問は学問の為にある。どんな価値がある?トルストイ。現実では無意味な存在。前提とされた価値に基づいて事実説明をする。価値そのものを評価することは出来ない。政策を扱う。教育の場において政策というものは論じられるべきではない。政策は価値を前提とするから。政策を扱っても良いが、相対的にしか論じられない。どのような政策ならうまくいくのか、ということが。大学であれ高校であれ、自らの制作を押し付けることは許されない。では、学問は実践に役立たない?3つの点で学問は実践に貢献できる。予測可能性を、因果関係を法則的に説明できる。自然科学とパラレル。思考力。思考する力が高まる。明晰化。実践そのものを明確化する。自らを反省できる。何を目標とし何を手段とするのかを自己理解出来る。自己反省。時代判断。神々の闘争の時代。究極的な価値が複数あり、互いにぶつかりあっている。各個人がそれぞれの持つ価値、それが衝突する。同じ価値を持つならともかく。在る目的を達成するために手段を採用する場合、別の目的が阻害されるかもしれない。価値の対立。豊かな生活。原子力発電が必要。しかし、核のゴミを何万年か残す、後の世代の負担になる、という価値を損なう。安全か自由か。監視カメラがあった方が良いか悪いか。学問をする。仕える神は皆同じではない。暴露する。各々の価値にコミットメントしていることを。政治家は都合の良いことしか言わないが、政治学者は都合の悪いことも言わなければならない。暴露することが学問。価値の多元主義が前提となる世界では、学問は一定の距離を取ることが必要。実践から距離を。
「職業としての政治」。神々の闘争という条件。共通の前提。価値の多元主義。仕事に専心。政治家の仕事の前提。価値の衝突の中で選択せざるをえない、それが政治。理想状態の政治ではない。大抵の政治家はそれを期待できない。犠牲を生むことを覚悟しなければならない。どのような資質が?権力勘定、効用化。権力を握っている高揚感。未知のものが必要。情熱と責任感と判断力。確固たる決意。無根拠の決断ではなくて根拠のある判断。政治家の理想像。心情倫理と責任倫理。心情倫理は心の底から正しいことをする。責任倫理。自分の行うことの責任により注意をする。動機の正しさに対し、結果に着目する、結果の正しさに。政治家は両方あるが、特に責任倫理が重要。政治の本質、権力、とりわけ暴力。選択は犠牲を伴う。良い目的を実現するためには、道徳的にいかがわしい行為も必要なことを自覚すること、それが政治家に要求される。心情倫理だけだと、正しいことしかしたくないということになり、政治家として失格。ダーティーハンド。悪しき手段を取るのも政治家に必要。引き受ける決意を。リアリズム。政治家は自らの行為に責任を持たなければならない。結果が悪いと選択の失敗として引き受けなければならない。事件が政治家の選択が下で、「仕方がなかった」「予想外」。この言い訳は政治家として言ってはいけない。できるだけの予測を。選択についての責任感を。政治家の資質。結果を考慮しない政治は極めて危険。動機が正しいのなら結果はどうでもいいのは無責任。それでも政治家には心情倫理も必要。統合されるところにこそ理想の政治家。結果責任をギリギリまで遂行して、計り知れない感動を。冷血な計算だけでなく、価値へのコミットメントも必要。
市民自治に戻り、どのような統合が?責任倫理と学問の知識の結びつき。結果について責任を持つためには、今何をしたらどうなるかという予測をしなければならない。責任のある決断があるけれど、学問による知識に照らされていなければならない。正しい動機で集まった人々が、予測なしに突っ走るのは無責任。学問と実践は、目的手段について合理性を持つことが出来る。学問の力で点検出来る。限界はあるが、努力はしないといけない。責任倫理のみでなく心情倫理も必要。学問は合理性をもたらすが、人間の実践においては非合理的なものも重要。ウェーバーは大衆と官僚制の問題で、デマゴーグを。民主制を乱す者として扱われるが、カリスマ、人間的魅力の重要性を認める。カリスマやレトリックが重要、政治家にも必要。政治家は自己の課題を社会に人々に承認させる技術も必要。学問のもたらす合理性だけでは人は動かない。学問と社会科学、責任ある自治の拡大。市民が自治をする、形式だけでなく、内容も重要。世の中の仕組みを理解する。目的手段関係の合理性を問う。責任のある自治。結果が重要?市民自治というものの転換点は、市民自治が政治化されること。結果の意識が。だからといって結果が全てでもない。公共的な事柄に参加する、しばしば失敗に終わるが、市民自治そのものに価値があると考える観点もある。市民にする教育。市民自治。未来において成功するには経験が必要。結果だけではなくて過程も。デモを行っても変わらなければ無意味なのではない。参加した経験が残る。じゃあ参加すればそれで良い、だと無責任になってしまう。責任倫理の重要性。市民自治そのものの価値はあるが、結果はどうでもよい、というのではない。2つの倫理を考えるのが重要。学問も。必要な知識と共に、何をやっているのかの反省を。デマゴーグ。実践は人々を動かすことが必要。レトリックやコミュニケーション。学問と実践はそもそも別なもの。2つを共同で遂行することが出来る。しかし常にうまくいくわけではない。自覚的でありながら学問と実践を。
専門知と実践知。どう結びつけるか?専門家と普通の市民の関係性。市民が専門性を持つのが手っ取り早いが。専門化が学問の流れ。極めることは難しい。プロフェッショナルと一般市民が共同する必要がある。環境問題の事例。専門知識の活用。自治体のローカルな文脈で実現するには、統治より自治の方がうまくいく。上から下への流れでは、専門家がプロセスに入ることが難しい。在る種の意見の多様性が在る方が、専門知識が活かされる場合が多い。

 

市民自治の知識と実践 (放送大学教材)

市民自治の知識と実践 (放送大学教材)