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古事記と日本書紀の成立過程、神武天皇や太安万侶の役割、国学における研究の重要性を解説。古代日本の歴史文献としての価値を詳述。(文学・芸術・武道にみる日本文化第3回)#放送大学講義録

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古事記は元明天皇の命で712年に成立しました。これは太安万侶が記録したものです。上巻は神世の巻で、天地創造から始まり、天孫降臨し神武天皇が誕生するまでを描いています。中巻は初代の神武天皇の治世から始まり、日本各地の征伐と朝鮮半島への影響を及ぼす景行天皇までを記述しています。ヤマトタケルなどの英雄的な人物が活躍します。下巻は16代の仁徳天皇から33代の推古天皇までを扱います。古事記は日本の神話や伝承を集大成した作品として、その物語性が強いです。

これに対して8年後の720年に完成した日本書紀は、舎人親王を中心に大伴家持も含む役人たちにより編纂されました。日本書紀は、対外的な意識を持って正式な漢文表現を用い、基本的には古事記と共通する史料に基づいてほぼ同じ内容を叙述していますが、印象はかなり異なるところもあります。日本書紀は日本の歴史の最初として重視され、読み継がれています。以降、奈良時代から平安初期にかけての日本三大実録まで編年式で連続する国史が編成されました。日本書紀については、平安時代以降も注釈書や関連文献が数多く作られています。これに対して古事記は伝承の範囲が限られており、難解な漢文であったため、平安初期にはすでにその解読が難しくなっており、江戸時代に国学で研究されるまでほとんど本格的には読まれていませんでした。18世紀後期には、本居宣長が33年もかけて原文の訓読と注釈を行いました。これ以降、古事記は日本の古代の精神を知る上で非常に重要な文献として扱われるようになりました。