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国学と復古神道(日本政治思想史第5回)#放送大学講義録

日本の思想を知らないのは日本人としてどうかと思うこともある。

 

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-----講義録始め-----

 

国学と復古神道

国学とは、江戸時代に起こった日本独自の学問や文化を研究する動きを指します。この時代、本居宣長平田篤胤などの学者たちが、中国中心の儒学や朱子学を批判し、日本の古典や神話を研究することで、日本固有の精神や文化を再評価しようとしました。

本居宣長は、和歌の詠み手としての人間の本質や「もののあはれ」を重視しました。彼の考えでは、「やまとごころ」と「からごころ」の二つの心が存在し、前者は日本固有の心、後者は外来の心を指します。宣長は、古事記を事実のストーリーとして解釈し、日本書紀には「からごころ」が入っていると主張しました。彼の「歌論」では、人間の本質は和歌を詠むことにあると説いた。

一方、平田篤胤は復古神道を提唱し、日本の古代神話や神々、特にオオクニヌシに焦点を当てました。彼は、国学を宗教的なものとして捉え、キリスト教などの外来宗教からの影響を受けた考え方を持っていました。篤胤は「顕」と「タカミムスビ」を重要視し、天皇が治める「顕」の世界を強調しました。

明治維新以降、国学や復古神道の思想は、新しい政府によって再評価されました。特に「王政復古」の動きや神祇官の設立、天照大神を主祭神とする動きなどが見られました。しかし、神道の国教化は成功せず、出雲派や伊勢派などの神道の流派間での対立も起こりました。最終的に、国家神道が確立され、宗教的な要素を排除した形で神道が国の支配下に置かれました。この過程で、宣長や篤胤の思想が排除される動きも見られました。

このように、国学と復古神道は、日本の文化や宗教、政治と深く結びついており、その影響は現代にも続いています。