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各論9・異端の諸思想(日本政治思想史第12回)

大東亜共栄圏は中身が無かったという話だったが、本当かどうかは吟味しないとわからないのではないだろうか?確かに前提として様々な思想が弾圧されたのは事実だけれど。

 

原武史。異端の諸思想。異端というのは正統の対概念。基督教社会を前提に。正統があるからこそ挑戦する異端も生まれてきた。キリスト教の正統。オーソドキシー。世界観を。統治者や統治体型は別の語。O正統とL正統。丸山眞男の。国体は万世一系の天皇を統治の主体と。君民一体の空間を視覚化されるもの。潜在的にはあらゆる思想と両立する可能性を持っていた。異端が無かったことを意味するわけではない。昭和初期にかけて異端として排斥されたり不敬罪に問われた思想は絶えない。「日本の思想」。一度内外の敵となった思想は権力体として作用。近代天皇制のもとではどういった思想が異端に。2つの場合。第一はL正統そのものを否定。L正統は否定しなくてもO正統に。マルクス主義やキリスト教。明治のキリスト教と大正末期のマルクス主義は同じ機能を。あらゆる宗教哲学学問を包容して平和共存させる状況で。世界経験の論理的な。近代日本において明治のキリスト教やマルクス主義。両者とも究極には正反対だが、日本のふうどについては精神史的に同じ。聖書と資本論。世界経験の論理的知的な。まるごと信じることで初めて。この点でどちらも異端としての役割を担う。両者の違い。キリスト教は天皇制を否定しないが。来世を通して現世を相対化することで、天皇は絶対的支配者ではないと。L正統を否定する代わりにO正統を。資本主義体制が必然的に崩壊するとする。この法則を天皇制もまた廃止される。O正統を備えていてL正統そのものを否定。無教会派の内村鑑三。明治24年に第一高等中学校で不敬事件を。日露戦争では非戦論を。愛国主義を否定。しかしキリスト教徒の中には海老名弾正のように神の国の建設のために肯定。既成教団であるプロテスタントやカトリックも神社への礼拝を。無教会派の経済学者の柳原忠雄や明石俊三ら。ものみの塔。アメリカに本部を持つ日本支部。エホバの証人。今のそれは灯台社と全く別。唯一神エホバを。キリスト教の中でも異端とされた。兵役を拒否して剣道の授業にも出ない。昭和に一斉検挙される。皇室とキリスト教は全く関係が無かったわけではない。昭和天皇はEuropa訪問の際にローマ教会にも。カトリックの教理は政体の変更を許さないと教皇が。敗戦後の昭和天皇は国民に宗教心が無かったことを反省している。国家神道は宗教としての資格が無かったことを天皇自身が認めている。カトリック信者にしばしば面会し聖書の講義を定期的に受けていた。昭和天皇実録で明らかに。天皇自身のO正統樹立の模索と考えることも不可能ではない。天皇が改宗することは無かったが、皇室とキリスト教の親和性の高さを。マルクス主義の歩み。ロシア革命後の日本で民本主義に取って代わるように流行。コミンテルンの働きかけで日本共産党が大正11年に設立。26年に再建。翌年からは27年テーゼを採択。君主制の廃止によるブルジョア民主主義から社会主義を。代わって32年テーゼが採択。天皇制という用語を初めて使う。もともとマルクス主義のイデオロギーから。戦後は学術用語として定着。25年には治安維持法の成立。第1条は国体を変革し私有財産制度を否認する者は10年以下の懲役など。日本共産党の弾圧を目的としていた。28年に改正されて最高刑が死刑になる。この年から激しい弾圧が。合法化されたのは戦後になってから。L正統自体を否定するので皇室とは相容れなかった。戦後の天皇も共産党には警戒し革命に怯えていた。
キリスト教やマルクス主義以外の。北一輝と大本教団の出口王仁三郎の思想を。いずれもL正統を否定しなかったがO正統を生まれようと。北一輝。06年に23歳で自費出版した「国体論及び純正社会主義」で鮮烈なデビューを。社会進化論の立場からいわゆる国体論を批判。いかなる国体か。万世一系の天皇に主権があると。解釈にあらず。問答の循環。法律学者のみにあらず。ことごとく白痴となる。万世一系というのはL正統ではあってもそれだけではトートロジー、同義反復に。O正統たり得ない。O正統を持たない国体の弱点を突く。社会進化論に基づき国体も進化したと。明治維新以降は民主国の時代に。主権が国家にあり国家を構成する機関は国民と天皇に。過激な内容を持つ書物はすぐに発売停止になったが、明治社会主義者との交流が始まる。堺利彦や山川均らはマルクス主義に接近したのに対し、北一輝は主権を国民と天皇に還元する立場を維持。日本改造法案大綱を公表。超国家主義の源流を為す。60年安保闘争で活躍して丸山眞男と同じところに住む竹内好。竹内好全集の第8巻の「北一輝」。共産党の綱領はコミンテルンから。北一輝はその頭脳の産物と。出口王仁三郎。明治初期に反国体のレッテルを貼られた出雲派の。元々は上田喜三郎という名前だった。出口なおの娘と結婚して養子となり改名。なおとは異なり平田篤胤など神道全般に精通。第一次大本事件で検挙。「霊界物語」の口述を。81巻の膨大な経典。京都府の綾部や亀岡など全国各地で口述。挫折した復古神道出雲派の後継としてO正統を持たないO正統を。スサノヲの支配権。宇宙に。水も御霊の狼。アマテラス。ツクヨミ。復古神道出雲派と比べてスサノヲの支配権が拡張。アマテラスや天皇に対するスサノヲの優位が。第69巻。愛媛県の松山で。後の昭和天皇が狙撃される虎ノ門事件と同時期。男女の神が国の後継者をめぐり対話。継ぐべき男性が居なくなり女性を。賛成する者と反対する者と。前代未聞?断絶する。女を世継ぎとしておけば腹から腹へと。第二の夫をこしらえていた場合はどの子か分からぬ。三五教。大本自身を指す。最もプライベートな視点から男系男子が原則の万世一系を疑問視。虎ノ門事件の直後から不穏な噂が全国に広がる。王仁三郎は噂を意識していた可能性が。松山という場所も関係。注意深く読むと霊界物語は出口なおの筆先を基にしたものに比べ不敬に満ちる。35年には治安維持法違反と不敬罪の容疑で一斉に検挙。大正10年は第一次大本事件。昭和10年は第二次大本事件。この方が更に大掛かりな。綾部と亀岡の本拠の神殿がダイナマイトで決定的に破壊。宗教教団はキリスト教や大本だけでなく、仏教系も弾圧に。戸田城聖。30年に創価教育学会という団体を設立。現在の創価学会。日蓮正宗から神道を批判。43年7月に大本と同様、治安維持法違反と不敬罪に問われ幹部が逮捕。牧口は獄死したが、戸田城聖は戦後に創価学会と。勢いを爆発的に拡大。池田大作が人間革命という長編小説で描いている。昭和36年には衆議院への進出を目指し公明政治連盟を。現在の公明党。太平洋戦争では、大東亜共栄圏の建設が目的と。竹内好は「日本のアジア主義」の中で、大東亜共栄圏は一切の思想を圧殺した疑似思想。何者も生み出さない。一切の思想を圧殺するために網をかぶせただけ。無内容なものだった。自由主義や右翼も弾圧。アジア主義的思想を弾圧して。O正統となりうる全ての思想が弾圧。40年には地域の最小単位として隣組が整備。国民奉祝の時間などは回覧板により周知。末端における住民同士の自発的相互監視が。言説化されないが故の時間支配が大東亜共栄圏全体に浸透していった。この積み重ねが、年中行事化する。8月15日の正午からの玉音放送。巨大な影響力を及ぼす。戦争行為を止めることになる。

 

日本政治思想史 (放送大学教材)

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  • 作者:原 武史
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2017/03/01
  • メディア: 単行本