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総論2・空間と政治(日本政治思想史第2回)

天皇制は全土が焼け野原になってもしぶとく生き残った。何故かをきちんと考えることは今後に重要かもしれない。

 

国体。明治になると素晴らしいというニュアンスが。90年に教育勅語。国体が出てくる。臣民。心を一にするのは国体のおかげ。戦前でも分からない小学生が多かったが、全文暗証させられた。濁点もない。皇族以外の国民。忠孝の道を全うすることで成果が。優れた国体の賜物。信じる。国体という言葉の具体的定義はしていない。天皇の臣民に対する意思表示。全体でも6つのセンテンス。400文字もない。天皇制国家のイデオロギーとするには短すぎる。25年の治安維持法で初めて法律用語となる。28年に改正されて、最高刑が死刑となる。42年に文部省が国体の本義。国体というのは言説化できないことを全文でことわっている。丸山眞男。日本の思想。国体を論理化することは相対化することなので慎重に。厚い姿で全てを表さない。丸山眞男自身の体験が影響。中核を為す概念が概念化できない。反国体のレッテルを貼られた思想は色々在る。出雲派や日本共産党。津田左右吉の学説や天皇機関説。45年の8月10日未明に最高戦争指導会議。昭和天皇が聖断を。ポツダム宣言で国体が維持できるかが議論となった。要は国体についての意見の一致をみなかったので、天皇が判断する以外になかった。国体の言説化はできなかったが、視覚化はされた。皇太子裕仁が摂政となる。全国を回る行幸、巡幸。行幸啓。江戸時代の参勤交代。地方を治めた大名。明治時代になると天皇などが全国を廻る。時代遅れの儀礼形式?明治中期以降のimageは儀礼などに集約されたものでもなかった。経典としての役割を果たした訳でもない。皇族が全国を虱潰しに廻る。沖縄や離島も。大韓帝国や台湾樺太といった植民地も。記憶の王と呼ばれる昭和天皇。土地の記憶が刻みつけられていた。皇后や秩父宮高松宮も地方を。平成になるとますます盛んに。21年以降の行幸啓。万単位の臣民が一緒に。24年に皇太子が福井市を。宮内大臣牧野伸顕の日記。市民数万人。秩序整然。盛り上がる。赤心を持って主権者を。国体を目の当たりにした牧野の感動。不断の空き地を活用。現れることにより君民一体を視覚化した政治空間に。青年団員や在郷軍人。皇族は基本的に無言。生身の身体を晒して君民一体。政治空間として設計された広場はない。皇居外苑も。現在は環境省が。大震災までは無用の長物だった。昭和になると天皇が度々姿を表し政治空間に。しかし天安門広場のように政治空間として設計されたわけではない。空き地は政治空間に。風呂敷。物があって初めて役立つ。空き地も収容することで初めて国体を視覚化する政治空間に。
西洋の政治空間の起源。西洋の政治思想史。古代ギリシアから。アゴラという広場。都市国家を意味するポリスで公的生活が。中心にアゴラが。成年男子が集まる空間として作られる。言葉でのコミュニケーションが政治。アリストテレスの政治学。人間はポリス的動物。他の動物と分けられるのは言葉。ポリスについて、ハンナ・アーレントの人間の条件。政治的であるということはポリスで生活するということ。言葉と説得によって決定されるという意味。西洋の政治思想の中核にはロゴス、理性、言葉が。中国はどうか?論語。儒教の中でも重要。政。徳。礼。白文を書き下し文で。唯一ではない。刑と礼の対比。刑政と礼楽。刑政は言葉による統治。儀礼と音楽。両方必要。言葉を媒介としない政治のほうが優れている。ロゴスが中核にある考え方とは反対になる。巧言令色鮮し仁。巧みな言葉を使う者には仁が欠けている。言葉で表現できない徳があると孔子は。日本では五節の舞。儒教よりも仏教の方が影響は大きかったが。15年の大正天皇の即位に際して五節の舞が復興。舞と音楽が組み合わされている。現在でも行われている。江戸時代には儒学が盛ん。朱子学者として新井白石。礼楽を取り入れようとした。礼を重視した家康の遺志を継ぐ。独特のリズム。礼楽から自然と感化される。言葉よりも統治で優れている。荻生徂徠。皇族が言葉を発するのではなく。近代天皇制は統治の理想?儒教の政治思想とでは権力の向かう傾向が逆だが。下から上への。臣民は天皇に奉仕する。天皇は天照大神などの祖先に奉仕する。丸山眞男。政の構造。西洋や中国と反対。奉る、献上する。記紀神話を元にした分析。近代天皇制にも当てはまる。勅語や詔書のように天皇が権力の主体となって臣民に直接言葉を発するのは少ない。天皇も上位者に仕えている。宮中祭祀。定期的に。伊勢神宮の内宮に参拝。天皇が天照大神に仕える。究極の責任主体が無い。天皇もそうならない、つまり独裁体制にならない。敗戦によって占領下に。GHQは政治的理由から天皇制を解体しなかった。退位もなかった。一般の国民も天皇に熱狂的に支持をした。日本共産党の支持は広がらなかった。9割が天皇制を支持。しっかりしたイデオロギーがあったなら崩壊していたかもしれない。天皇制はイデオロギー化されていなかった。様々な建物が焼け焦土と化しても、天皇が現れればにわかに政治空間となる。46年2月から沖縄を除く全国を廻る。各地に残っていた空地や空間に現れれば熱狂的に出迎えられる。君民一体?皇居の内側においても宮中祭祀は続けられる。GHQも皇居の内側に手をつけなかった。憲法が改正され政治体制が民主化されても、祭り事の構造は変わらなかった。言説化された政治思想が空間を作るのではなく、空間が言説化されない政治思想を作る。有名思想家のテキストの解読が主眼になってきたが、そのような方法では見えてこないポイント。近代天皇制を考察するのに限らない。街道や鉄道、住宅といったアーキテクチャに関心を広げる必要がある。
16年度の総合科目。権力の館を考える。共通点と相違点。空間の中で政治を捉えるという点で共通。建築物と政治。専ら国会議事堂や政党本部、私邸や別邸など、権力者と関わる空間。日本政治思想史では、権力者と関わる空間ではない。

 

日本政治思想史 (放送大学教材)

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