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各論5・近世、近代日本の公共圏と公共空間(日本政治思想史第8回)

公共空間と共同体を重ね合わせて形成することは出来ないのだろうかと感じた。

 

原武史。近世近代の日本の公共圏と公共空間。ここで言う公共圏とは?公共。公共事業や人権を制約する公共の福祉。政治学の世界では肯定的に用いられるように。公共圏の起源は西洋の古代ギリシアまで遡る。ハンナ・アーレント「人間の条件」。ポリス。都市国家。公的領域。全ての成年男子が問題を討論し合う。言語的なcommunicationが交わされる。ハーバーマス。「公共性の構造転換」。17世紀から18世紀にコーヒーハウスやサロン。貴族や知識人が対等の関係で討論を。ドイツでも読書会が数多く。市民の権利を守る公共圏。市民的公共性。公共圏。万民に開かれていたものではなく、あくまでブルジョアのエリートが理性的に討論。言語的なコミュニケーションの遺産を継承。江戸時代には相当する空間がまったくなかったわけではない。前田勉。全国各地の藩で藩校での回読に注目。この読書会は武士層に限られるが。対等に議論したりする自由があった。政治的討論は禁じられていたが、水戸藩などは政治目的の会合へと発展。維新への原動力に。誰もがアクセスできる空間、公衆浴場。男女に分かれて入浴するのが原則。必ずしも守られなかった。身分や男女の差を越える。外国人が日本に。外国人も日本の銭湯で昼間から男女が風呂に入りよく喋るのに驚く。浴場でよく喋るが、内容は多くの場合近隣の噂話や寺のご利益など。エリートの理性的な討論ではなかった。しかし色んな話は民俗学の宝庫として捉えられる。南方熊楠。田辺で銭湯に。会話からネタを。西日本を中心として寄り合いが残っている。宮本常一「忘れられた日本人」。対馬で寄り合いに。近頃始まったのではなく、200年以上前ににも記録が。70を越した老人の話では子供の頃も同様。違うのは誰かが弁当を持ってきて話を。その場で寝る者や始終話す人も。難しい話も片がつく。皆が納得の行くまで話し合う。結論が出ると守らなければ。1つの事柄について関係のある話をする。話に花が咲く。村の寄り合いでは理性的討論を避ける。全員が納得するまで、角を立てない。江戸時代から。公共圏と言うより共同体。2つの違い。公共という言葉。江戸時代に儒学者が使っていた。幕末から明治にかけての横井小楠の思想。君主と臣下が上下の関係ではなく互いに討論し合うのが公共。古代中国の政治のあり方。西洋から進んで議会制度を。あらゆる場所で理を。中国で生まれた儒学に西洋思想をつなげたラディカルな。五箇条の御誓文。万機公論に決すべし、に影響を。輿論。現在では世論とするが。元々輿論と世論の意味は違う。理性的討論の結論と情緒的な共感。江戸時代で言うと読書会と公衆浴場。明治に成ると政治的討論も自由になる。勃興するのが自由民権運動。過程で各地に勉強会が私擬憲法が。東京都での五日市憲法草案。戦後の日本国憲法にも通じる。13年の誕生日に皇后が言及。宮内省のホームページに。地域の小学校の教員などが討議を重ねてかきあげた。教育を受ける義務など。地方自治についても。日本各地の少なくとも40数カ所で。政治参加への意欲や熱い願い。日本国憲法は内発的な地下水脈があったと。さらに遡ると江戸時代の読書会があったからこそ討論があった。但し江戸時代の読書会との違いも。既存の寺などで演説会がしばしば。読むから語るへ、という流れ。討論するのではなく一方的に大衆に呼びかける。講釈や講談、演芸に近い。植木枝盛が作詞した民権数え歌。人の上には人の無き。面白い歌。演説歌は演歌の起源にも。音楽の要素が入ってくる。一般大衆の関心は増大するが、理性的討論が次第に衰退することにも。明治政府は公園や図書館を。身分や男女の差を越えて使える公共空間。天皇を祭る神社も。日比谷公園では05年にポーツマス条約に反対する国民集会が開かれた。政治的暴動へ。日比谷焼き討ち事件。上野公園や靖国神社は天皇が現れると儀礼空間に。市民的公共性の空間ではなく臨御する不可視の存在を可視化する。大正初期に誕生した東京駅。最初から天皇のための駅として。アゴラ以来の広場が政治空間として計画的につくられることもなかった。皇居前広場。江戸城の西の丸下。なし崩し的に撤去した空き地に。大正後期まではともかく、昭和になってから天皇制の空間に。戦後は公共空間になったが、52年の血のメーデー事件。これ以降は再び使われなくなる。
明治以降に生まれた新たな空間、車内。サロンやコーヒーハウスがにわかに現れた代わりに、鉄道の車内では公共圏の条件を満たす空間に。文明開化の一環として72年に鉄道が新橋横浜間に。明治天皇が開業式に出席。これ以降、鉄道は東京を中心として鉄道網が。天皇に利用されるたびに儀礼空間に変わる。江戸時代には無かったような公共空間の確立にも。列車という乗り場。等級の違いがあるが身分に関係なしに乗れる。見知らぬ人が乗り合わせる。人々が向かい合って対話をするのには好都合な配置に。車内という空間で様々なコミュニケーションが。夏目漱石の「三四郎」。冒頭近くに主人公が東京帝国大学に入学するために熊本から汽車に乗り上京。建物を見ても顔相応。富士山以外に自慢出来るものはない。日露戦争以後に出会うとは思えなかった人間。滅びるね。三四郎とたまたま乗り合わせた廣田先生の発言。熊本でこんなことを口に出せば殴られ国賊にされる。そんな空気の中で成長。車内という空間では誰もが会話に参加して政治的考えを表明する。一般の市民も。水戸の出身で第一高等学校を中退して五一五事件に関与する橘孝三郎の著書。はやく日米戦争でも始まれば良い、一景気来るかも。アメリカは大きい。日本の軍隊は強いが軍資金が続かない。負けたってアメリカならそんな酷いこともしない。属国なら楽になれる。実際に日米戦争が始まる10年近く前にこのような会話を。この時点で乗客が敗戦や占領、日米安保体制までも予言していた会話が。聴いていた当人はエリートとして嘆くが。情けないと憤慨。歴史はエリートの輿論よりも一般大衆の世論のようが正しく言い当てていた。丸山眞男。48年のエッセイ。信越本線の車内で乗り合わせた3人の地元客の会話。忠実に再現。当時の日本社会党への失望と民主自由党への期待を。政治的事実に対する直感的把握が正しいものを含んでいるにもかかわらず反動的な方向に。断罪していれば良いとは考えていない。大衆の談義は寛いだ方言であるがために組織的行動よりも心底を規定する価値判断を。無責任な環境での放言の方が将来を言い当てている場合がある。「車中の時局談義」。一党優位体制を予言。公共圏そのものが現在は無くなりつつある印象を持つ。公衆浴場は非常に少なくなった。殆どの家庭に風呂場が。見知らぬ人が銭湯で話をする光景が珍しくなる。鉄道の車内も見知らぬ人同士が談義をする場では無くなっている。向かい合わせのボックスシートは東京の近郊にもよく見られたが、ロングシート、ベンチ型の座席に。携帯電話やスマホの普及。会話自体がなくなっている。
ゲスト。15年から16年にシールズの中心人物の奥田愛基。16年から一橋大学の大学院で政治学を専攻。著書で中学時代に沖縄の波止場島に。誰が何処で住んでいるか把握出来ている。「忘れられた日本人」での村の寄り合い。波止場島にも会議が。祭りや公民館で行事を。共同体や公共空間。実際にその場に居ると喧嘩もするし酒が入って。強制的に居ないといけないので大変だが決めていっている。原体験。共同体の体験。SEALDsの活動に。公共圏を追求する。これまでなかった色彩を。感覚的には誰がどのような生活をしていたか。公共圏としてのルールを維持する努力が必要。何かみんなが力を出し合うのが普通。喋ったことがない人についても手伝いなさいなどと。国会前にも組織されていたわけではないし、全員を知っている訳ではないが、手伝ってもらったりして。そういう感覚を自分の中では持っている。両方体験している。公共空間と共同体。共同体体験があったからこそ公共空間へのモチベーションを。どのようにコミュニケーションを取る感覚がないと難しい。他者と共同体の中で話すという経験が。繋がった上で活動が出来ている。空間そのものがコミュニケーションを媒介としなくても成り立っている。公共空間と共同体がともに無くなってきている。

 

日本政治思想史 (放送大学教材)

日本政治思想史 (放送大学教材)