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各論12・象徴天皇制と戦後政治(日本政治思想史第15回)

天皇とそれを取り巻く要素が歴史的にどのように変化してきたかは、きちんと考えないといけない。まあ血統が絶えてなし崩し的に天皇制が消滅するかもだけど。

 

原武史。戦前戦後の皇室の維持。皇室典範。宮中祭祀などの天皇皇族の行為。国事行為だけを行っているのではない。天皇を回る巡幸を続ける。空地を利用。戦前さながらの光景が再現。昭和22年8月5日。お召し列車が原ノ町駅に。バンザイの波。駅前広場が奉迎場となる。条件反射的に反応。ビックス。「昭和天皇」。6月初旬に大阪に。巡幸は凱旋パレードの様相を。日の丸の旗がはためく。勝利をおさめた天皇を祝福?戦後巡幸で昭和天皇が訪れた場所に重大な変化。陸海軍の解体。軍事施設への訪問の代わりに。病院や療養所、戦災孤児の収容所など。主に女性皇族が訪れていたところ。軍服を脱ぎ捨てて皇后化。新しい天皇像を。58年に皇太子の婚約。皇室のイメージが変わるきっかけ。松下圭一。大衆天皇制。「戦後政治の歴史と思想」。大衆自身拝みに行こうとは思わない。見に行こうという。鉄砲玉でなく歓喜の声。マスコミもスター化。人権尊重の名のもとに報道管制。狂気じみたストリップ化。名誉税?皇室は今や暗殺の対象ではなくスターに。ストリップ化。個人情報までもが白日のもとに晒される。情報を細かく伝える週刊誌が飛ぶように売れた。パレードの模様を見るために白黒テレビを。皇室が消費の対象に。皇后や元女性皇族は反発。元女性皇族の梨本伊都子。朝から憤慨したり情けなく思ったり、日本も駄目だ。昭和天皇は一貫して支持。正田美智子はカトリックの家庭に。昭和天皇もカトリックに近づいていたことがあった。結婚の違い。58年9月に訪米。外交の担い手に。憲法では国制に関する権能を有しないことになっている。実際は積極的に外国を訪問。ハンセン病施設など社会的弱者の施設を訪問。皇后化。
天皇制の変質。最も根源的な批判。三島由紀夫。60年代に関心が強まる。66年の「英霊の聲」。シャーマンにあたる男性に226事件や神風特攻隊の霊が。神の御為に。皇祖皇宗。天皇の祖先であるアマテラスなど。宮中三殿に祭祀を。天皇制の根幹。「豊饒の海」の取材。宮中三殿を視察。感激ぶり。ロナルドキーン宛の手紙。平安朝に帰ったと。大衆天皇制でも宮中祭祀の継続を発見。中央公論68年7月号。文化防衛論で天皇制論を。明治以降に西洋的な立憲君主制。政治概念としての天皇ではなく、文化概念としての天皇。雅。宮廷の文化的精華。テロリズムの形態さえとった。天皇のための決起。桜田門外の変と二・二六事件。優美かつ繊細な。ますらおぶりの双方を。戦後の象徴天皇制は、文化概念と政治概念を喪失。週刊誌天皇制が大衆天皇制を指す。三島にとっての希望。宮中祭祀や歌会始の儀が。たおためぶりに過ぎない。ますらおぶりを復権、自衛隊。文化防衛論で。軍事上の栄誉も文化概念の天皇から。国軍として。日本共産党が支持を伸ばす。政権への危機感。67年に自衛隊に体験入隊。68年には民間防衛組織として楯の会を結成。新左翼の活動。68年の国際反戦デー。新宿騒乱事件。革命前夜の状況が産まれつつある。治安出動する時が遠からずくる。首相が命じて自衛隊が出動。68年を革命前夜と。新左翼と共通。佐藤栄作はそうみていなかった。10月21日の佐藤の日記。ちょっと荒れる。危機感が全く無い。憲法改正も考えていない。自民党は会見を党是にしていたが、岸信介が首相を止めてから改憲を封印。69年の国際反戦デー。三島は新宿駅までデモの様子を見に行く。デモはあっさりと鎮圧される。この日の佐藤の日記。準備ができているので大したことがなかった。佐藤が恐れていたのは日本共産党と公明党。議席を伸ばしていたから。70年。楯の会とともに陸上自衛隊施設を占拠。演説をする。三島の声はヤジにかき消される。去年の国際反戦デー。新宿駅でのデモが圧倒的警察力で不発に。治安出動は不要に、憲法も変わらない。自衛隊を国軍とするのは無理。ますらおぶりを復活するのが挫折。無念さを訴える?東部方面総監室で割腹自殺。昭和天皇が言及。暁の儀は行わず。新嘗祭の半分しかない。昭和天皇に大きな衝撃を与えた?89年に昭和天皇が亡くなる。平成に。戦前の男性的な軍事指導者の面影を残す昭和天皇が亡くなり、新天皇夫妻が訪問。皇后化した天皇制がより顕に。硫黄島やパラオなど。激戦地や被災地にも二人で頻繁に足を運ぶ。91年。雲仙の災害。跪いて声を掛ける。皇后と共に15年で全ての都道府県を。市町村単位でしらみつぶしに。宮中祭祀にも熱心。入江相政の助言で負担を昭和天皇は減らしたが。80歳になっても活動を止めなかった。日常的な祈り。16年8月8日。録画出演。天皇陛下のお言葉。国民の安寧と幸せを祈る。事にあたっては人々の傍らに立ち、耳を傾け思いに寄り添うことも大切。天皇自身が宮中祭祀と行幸を天皇のおつとめの中核に。憲法4条。国制に関する権能を有しないと。GHQによる国家神道の解体。宮中祭祀は天皇家の私的行事として存続が認められる。公的行為でもないその他の行為。私的行為。行幸。公的行為だが国事行為ではない。憲法に規定されていない行為を象徴天皇制の中核とする。象徴としてのおつとめ。生前退位の意向を強く滲ませる。常に途切れること無く安定的に続いていることをひとえに念じ。今後の天皇もこのような憲法に規定されていない宮中祭祀と行幸を続けることを強く求める?それは可能なのか、と言う問題。明治以来天皇制は代替わりのたびにその姿を大きく変えてきた。天皇が代替わり。その前の天皇にはなかったことが。繰り返し憲法や皇室典範が変わらなくても。昭和天皇に無かった振る舞い。天皇自身のお言葉を踏襲するかどうか。可能性は低いのではないか?次の代の天皇と皇后が新しい時代に即した天皇制を作ることは充分に考えられる。安定するのを念じている。それが可能かどうか。
日本政治思想史。印刷教材に依拠しつつ。これまでとは全く違った日本政治思想史の授業に。もちろんこれが完成形ではない。触れられなかったテーマも大変多い。44分弱。短い時間では論じきることはできない。各章の最後に参考文献を。かなり何冊も挙げている。適宜使って論じられなかったところについては補習を。眼の前の現実を一旦離れて歴史的視点から捉える。現実の政治の問題を違った角度から捉えることが出来るようになれば目的は達成される。誰も居ない個室で1人マイクに向かってひたすら喋る。最初は違和感があったが、慣れてくると私語をしたり居眠りをする学生に悩まされないし、マイペースで進められるラジオの良さ。最初から慣れていたのではないので、聞き苦しいところも多々あったかもしれないが。

 

日本政治思想史 (放送大学教材)

日本政治思想史 (放送大学教材)