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各論7・シャーマンとしての女性(日本政治思想史第10回)

シャーマンを頼りにするような国家では、太平洋戦争に敗北したのも宜なるかなと思った。亡くなった人間にはたまったものではない。

 

原武史。シャーマンとしての女性。シャーマン。トランス状態。通常とは異なる意識状態になって神や霊と交信する現象。神が憑依するとシャーマンは神の意思を語り始める。シャーマンが男性の場合も。本居宣長。日本は中国と異なり革命が無い。神武天皇以来、天照大神から血縁で続いている。大日本帝国憲法の万世一系の天皇。同じ日に制定された旧皇室典範。男系の男子が継承す。皇后。憲法に規定はない。条件も規定がない。前ながら皇后と決まっていることはない。必ず人生の途中で天皇家に嫁ぐ。強烈な意識が芽生えることも。苦悩する中で強烈な意識を。大正天皇の皇后の貞明皇后。神武天皇。実際は明治天皇のモデルと足り得なかった。中国古代の聖人とされた君主が理想と。皇后は古事記や日本書紀や続日本紀に描かれた偉大な皇后との一体化を。その1人が光明皇后。奈良時代。聖武天皇の后。仏教にあつく帰依。ハンセン病患者の傷をなめる。明治政府が作ろうとした皇后。手厚い存在。もうひとり、神功皇后。実在かは分かっていない。フィクション?但し明治から戦前にかけては実在の人物として教えられる。后とされながら独立の一巻を。天皇と同格。江戸時代に大日本史が神功皇后を外すまでは天皇とみなされた。日本書紀によれば、応神天皇を身籠ったまま朝鮮半島に出兵。三韓征伐。その前には神が憑依して語らせている。シャーマンだった。九州に戻り応神天皇を産む。産んだ場所は宇美八幡宮。地名そのものが言い伝えに由来。産湯に使った水が。摂政として天皇に取って代わる権力者。対外戦争を行い買った猛々しい。皇后像に見合わない。3番めの男子が。結局、大正天皇に。昭憲皇太后からは1人も生まれなかった。全て側室から。生まれつき病弱で学習院も中退。嫡流の血筋が断絶する。后も慎重に。子供が産める女性が最優先。当時の政府にとって皇室が一夫一婦制を確立させることは文明国として必要不可欠。結婚相手として九条節子が。大正天皇の后、九条節子。子供が産める女性を。皇室は一夫一婦制に。後の貞明皇后。後に山川均は政略結婚として不敬罪に。昭和天皇を産む。秩父宮や高松宮も。皇室は形式上一夫一婦制を確立。生まれてすぐ里子に出す。手許で育てることが出来なくて悩む。男子を産むことだけが自分の使命?絶望の淵に。下田歌子は三韓征伐に言及しながら励ます。皇后の中には勇ましい人も。昭憲皇太后とは異なり、妊娠という体験を通して初めて神功皇后と繋がる実感を。自らの行く末を照らす一条の光と。12年に明治天皇が亡くなる。皇后に。天皇はまもなく体調を崩し皇后が表に。神ながらの道。皇后自身の中に宗教心としての資質が。
民間の女性が神がかりに新しい宗教を。大本。大本教とも呼ばれるが。1892年2月に綾部に住んでいた出口なおが突然神がかりになる。ひらがなの文章。梅で開いて。外国は獣の世。まだ目が覚めぬ。神が表に現れて立て直しをいたすぞよ。力強い文が連続。女性に朗読することで独特のリズムが。娘婿のなおと並ぶ出口王仁三郎。大本神諭。後に霊界物語と並ぶ2大経典の。艮。鬼門を表す東北の。鬼門に隠されていた神が表に。終末論的な予言と強い排外主義。神が憑依するシャーマン。審神者とされる。なおが亡くなる1年前に時節が来たぞよ。皇后が綾部に。産業奨励で。蚕業試験場などを訪れる。民間を訪れるのは大変珍しい。この時に大本本部前を通過。筆先の。時節が来たぞよ。怖いものであるぞよ。何処と無く飛び遊びて。時節には何者も敵わぬ。個々で言う時節。皇后の名前である同じ漢字。皇后が綾部に。出口なおは皇后がもう一人のシャーマンであると見抜いていたとも。大本はなおが死去した後、第一次大本事件で弾圧。谷口雅春。天皇中心に世界が。大正維新を叫ぶ。不敬罪に問われる。王仁三郎も検挙。再建に乗り出す。大正維新。不敬罪に問われる。霊界物語の口述。大正天皇の体調の悪化で21年の11月には皇太子の裕仁が摂政に。大正天皇は一般の目から全く触れられない。ライフスタイルを西洋風に。イギリスの王朝を手本として後宮を廃棄しようとした。貞明皇后が反対。宮中祭祀に支障をきたすと。正座が出来なくて神への奉仕が疎かに。貞明皇后は香椎宮に参拝。神功皇后以来。皇后は神功皇后の霊と一体化したことを和歌に。歴代天皇が確定していなかった。神功皇后を天皇として認めるかなどの決着がついていなかった。第15代に。関東大震災。日光に居た。震災の直後に文章を。今年は亥年。知る人も。2月の頃より穏やかならぬ。多く人の失ひぬ。心にまた。迷い心と。1日として安き心はなかりけぬ。かかるときに天災異変の。心の慄き。全体を通して。何かに突き動かされたかのように書いた。いのしし年。不吉なことが起こる年とされた。2月頃から臣下の死が。秋には災難が起こると心配だった。祝賀ブームにもなれなかった。予言は的中して大震災が。神の諌めと捉える。翌年は筧克彦から神ながらの道の講義を受ける。26年の10月には歴代天皇がようやく確定。神功皇后は外された。この知らせを受けた翌日に遺書を。26年の12月25日に大正天皇は亡くなる。昭和に変わり貞子は皇太后に。両者の確執は続く。西園寺公望は天皇の即位礼や大嘗祭が行わる直前の28年10月に。憲政資料室の倉富勇三郎日記から。皇太后陛下。天皇陛下のご態度にご満足あらせられず。神罰あるべしと。天皇が心の底から神を信じなければ神罰が。36年の3月に広田弘毅内閣が。11人の閣僚が大宮御所を訪れ皇太后に拝謁を。前例のない出来事。西園寺公望はとにかく婦人のことであるから考えて接しないと陛下との間で憂慮することが起こりがしないか心配。天皇になりかわったかのような振舞を危惧。翌年には日中戦争が。太平洋戦争が起こって終わるまでを戦中期と。45年の7月まで大宮御所でおびただしい数の軍人に会いカフスボタンを与えられる。昭和天皇に会ってから翌日以降に皇太后に会い戦況報告を。貞明皇后実録などを照合。太平洋戦争末期。45年の7月30日と宇佐神宮と香椎宮に勅使が。祝詞を読み上げる。国内ことごとく一心に奮い立ち、敵国を打ち破り。従来にない激しい調子で敵国の撃破を。伊勢神宮に行かなければならなかった?何故九州に?宇佐神宮の主祭神は応神天皇。香椎神宮は神功皇后。妊娠したまま行った三韓征伐を史実としながら敵国撃破を。昭和天皇とは異なり皇太后の意向が反映していた?仮にそうなら昭和天皇は敗戦の直前まで意向を無視できなかった。折口信夫の著作が参考に。28年の昭和天皇の大嘗祭に。天皇制に深い関心を寄せる。敗戦直後の46年に。神と天皇の中間に皇族の女性が。ナカツスメラミコトが。実際はナカツスメラミコトが。皇后であることを申して良い。天皇にとっての先祖である者と天皇の間に。例として神功皇后を。貞明皇后も入るという解釈も出来る。何故に昭和天皇が末期まで貞明皇后に逆らうことが出来なかったのか?アマテラスと天皇の中間にいる神に近い存在として。折口信夫の説は史料的裏付けがない?直感に過ぎない?そのようには考えない。説得力はある。

 

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