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道徳教育をめぐる論争 -戦前-(道徳教育の理念と実践第7回)

戦前の国家主義的な道徳教育は1つの側面に過ぎないのだろうと知った。

 

西野真由美。道徳教育を巡る論争。戦前。卒業した小学校。どんな光景が?これらは全て明治時代に生まれた。藩校や寺子屋。学問の世界でも高度な体系があった。それらの豊かな伝統を断ち切って西洋から輸入。一斉授業という学びのスタイルを。学校制度は西洋に肩を並べるための近代化の手段と。統一国家の形成として国民意識。修身科。軍国主義?一貫して軍国主義ではない。国民意識の形成は修身科だけではない。修身科が機能していないという議論。様々な論争を通して道徳教育の模索を。修身科という教科の設置。道徳教育の原理。修身科の授業方法。カリキュラム論。年表も確認を。
それぞれの時代の課題を追体験。なぜ道徳教育が。学制の発布。西洋の制度を参考に構想。国民全教育。実学教育。立身出世。学校で学ぶ。江戸時代には見られない。新しい教育理念を。儒学を排除。最初のカリキュラムは小学教則として。多くの新教科が。翻訳書に基づく。師範学校では文部省版とは全く別の教則を。修身という教科が。道徳教育を。行儀の諭し。文部省の小学教則は週1時間設置。ところが内容としては西洋の倫理学者の翻訳書。子どもには理解できないし教えられる教師も居ないので機能していなかった。なぜカリキュラムの中に。フランスに道徳宗教という科目が。実際当時の文部省の教科書にはフランスのものも。当然の倫理がありそれを学ばなければ。低学年だけでありカリキュラムとして重視はしていなかった。形骸化の実態を見て原理の確立を。師範学校のカリキュラムの読み物の。伝統的道徳教育が。儒学を基礎とすべきだという対立。文部省は形式的。新しい理念を。何故重視されなかった?福澤諭吉の影響。学校教育に期待したのは多様な能力を発揮する実用教育。道徳教育の場ではない。優先順位。文字を知り計算をする場所でありそれで満足すべき。実学をおさめたとして多様な徳育。儒教一本ではなく。形だけの徳育は批判を。実施から7年ほどで儒教主義へと転換。教育政策の表舞台から退く。徳育世論を執筆して具体的教育論を。自主独立。その精神は社会の合意形成で育まれる。陶冶できると考えるのは間違いで。自主独立は?自然に任せよと。時代は変わっていくと。
今の学校教育は徳育がおろそかに。学制発布から数年後から。儒教を拠り所にすべきだと。明治12年に教学聖旨。全学年に授業精神に基づき。天皇に儒学を。伊藤博文と大きな論争を。欧化主義的教育が問題。伊藤は変革の一時的な。自然科学の教育を。両者の論争。拠り所の論争は終わらず。伊藤内閣での森有礼。体験重視の道徳教育を。運動会を。心身の鍛錬を道徳の柱に。啓蒙思想家にも日本独自の道徳教育の原理を。徳育の原理。徳育論争。激しい意見の応酬とは違いが。教育の問い。徳育の可能性を様々に。儒学者は暗唱などで授業的徳目を具体的に。西村茂樹。明六社の設立にも。日本道徳論。道徳学説は現世での人間のあり方を。宗教と。宗教には諸宗教間の対立が。儒学にも問題。現代にそぐわない。単独の理論にもよらず事実に基づき真理を探求する。修身科で何を教えるかが問題。具体的方法を。能勢栄。倫理教育の構想。何の利益も議論にはない。途方に暮れる。議論が尽きない以上、特定の学説によることが出来ない。コモンセンスを。格言を暗証させる指導法では無理。日常生活を通した道徳教育を。公教育における道徳教育を新しく。徳育の原理を徳育論争。混乱とするのが政府の声。榎本武揚に編纂を。教育勅語。徳育には関心を示さず。山県有朋は罷免して勅語の起草に。1890年に教育ニ関スル勅語を。中心なのは井上毅。かつては開明派。当初は乗り気ではなかったが、原案を見て、中村正直の初案で神に求めて敬神の心に求めたのに危機感を。神を道徳の根元とすると論争になると。起草にあたり特定の理論によらないなどに苦心。当時の通俗的道徳を列挙。しかし井上の意図はどうあれ、忠孝の徳目が絶対的原理であると機能。しかし教育勅語は不動の地位ではなく、見直しがなされたことを。西園寺公望の第二次教育勅語構想。産業社会に資する人材の育成が求められる。新たな時代に新しい道徳を。世界市民の育成に向けて。公民教育の読本も。上下の階級の産物でなく。形式は時代による変化を。上下ではなく平等の関係で互いに尊重する。当時の世界主義として批判。明治天皇は西園寺公望に命じて。病気による辞職で見送られる。
当時の修身科の授業。中勘助の自伝小説「銀の匙」。低学年と高学年。10年と13年に執筆。明治20年代から明治30年代の道徳教育。前編では入学の頃の。喜ぶのは修身。先生が絵を見させて面白い話を。美しい絵に見とれて1枚1枚掛図を外して話を。教科書自身が普及していなかった。後編は全く別。嫌いな学科は修身。教科書は粗悪。載せている話は味も素っ気もないもの。先生は説明するしか無い。かえって全く反対を。行儀が悪いと素行点をひかれる。授業の印象が全く違う。学年が違うから?発達段階は違う。勧善懲悪的な物語を批判する思考。読み聞かせや教科書の内容の説明。口授という説話中心の教育。教師のバラツキが大きい。教科書による授業への転換が図られる。教師用の指導書を使用して統一が図られる。教科書の工夫は進まず。国定教科書の編纂が進められる。第5期まで。修身教科書調査委員会。吉田熊次。編纂方針についての相談が。国民の心得の道徳は主義に走らない方が良いと。特定の原理を避けて一般的国民の心得としての徳目を。国学や儒学で中心だったものが。教育勅語で示された徳目に時代性を写す徳目が加えられる。
国定教科書のもとで。児童中心主義の中で指導法の模索が。学級が法的に整備され生活共同体としての学級。学級担任の役割も重視。指導法の開発。様々な議論があるが修身科は機能していない。問題が。様々な教授法が。手塚岸衛。自ら学ぶ自由教育を。木下地辻。創作学習を。創造的になって初めて真の道徳に。理論家からも提言。大島正則。道徳教育では服従を強いて。内面的自由を尊ぶのが科学的創造性を。国民の精神性として共に育てる必要。大正新教育。国民精神への回帰を。急速に姿を消す。学校カリキュラムに引き継がれる。子どもの活動や体験を通してのカリキュラム。岩瀬六郎。生活道徳。討議による自治的な。郷土教育。山崎紘。子どもの生活経験全体を。カリキュラム開発。教科と教科外の体験。学校と地域社会との連携。学校実践には日本精神の陶冶なども見られる。子どもの主体性や創造性の尊重。国家教育の目標に読み替えられる。知育重視で徳育は足りない。知育のような学習から大正時代には教材などの工夫が。昭和時代には行事などの体験学習を。しかし修身科との連携がなかった。木村文助。教師として修身科を。生活綴方教育を導入。子供の頃は内容が窮屈。型通りで時間を持て余すと。修身を学んで本当に良かったことを挙げて欲しいと。表面的な答えに対して自分の生活に顧みて無記名で書かせると役に立たないと。今の修身は内面的受動的。無力感を問題意識として。悩みを共に考えながら解決していく修身科を。修身科の授業への批判が繰り返された。教科書や授業の形式を上から下ろすだけでは道徳教育とは言えない。

 

道徳教育の理念と実践〔新訂〕 (放送大学大学院教材)

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  • 作者:西野 真由美
  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)