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日本のカリキュラムと授業の歴史的展開(カリキュラムと学習過程第2回)

社会にあるニーズに対応する為に、教育も変わらざるを得なかったと言えそう。これからの教育は良い方向に進むのだろうか。

 

日本では実際にどのようなカリキュラムの変遷があったのか。
江戸時代。比較的安定した社会。独自性のある文化が。衣食住の。近世後期に様々な学校が出現。寺子屋。藩校。私塾。世界的にみても高い識字率。男性の45%、女性の15%。寺子屋。11000個辺り。その数倍。読み書き算の三教科。多岐にわたる。お手本を何度も書き写しながら身につける。書くことにより即座に発揮できるように。自得。染み込み型の教育。商品経済が発達した頃の庶民のニーズを。個別学習が基本。親の身分社会を継ぐためであったが、柔軟。藩校、藩学。藩士養成の学校。政治力での治める官僚。儒学が発展。1790年。朱子学を正学とするよう。昌平坂学問所。大きな影響を。カリキュラムの多様化。洋楽、国学など新しい分野が増大。回読や輪講が盛んになる。集団による主体的な。今で言うゼミナール。洋楽の学習にも取り入れられる。壮大なキャンパスが。学習段階の区切りの等級制も登場。高度化と組織化。試験制度の導入を促す。身分制度との軋轢が生じないよう慎重に。藩士全体の士気高揚を。私塾。学問塾。師匠の学徳を慕って身分を超えて学ぶ。適塾。慶應義塾。松下村塾。儒学官学以外に水戸学や政治情勢など。後に明治維新を先導する人物を輩出。咸宜園。実力のみで決定。適塾で学んだ福沢諭吉。身分制社会から相対的に独立。主体性が基礎となる。新しい学問を身につけて活かした。
明治期の学校とカリキュラム。明治維新は大変革。教育には新たな国を。様々な試行が。国の骨格が定まると、公教育の整備が進む。学制以前には全国に至らず。独自に学校づくりを。京都の番組小学校。信州では200校以上。京都では町組番組が基礎。64校の学校。近世的な伝統の上に新しい時代を。72年に学制が制定。フランス式に学区で区切る。全国に画一的に。カリキュラムは実用的なものと指導者向けのものと。2つの国民が育つことになりかねない。最初から単線型のものを志向。等級制が採用され、能力主義の色彩が。個人の実力と業績の。メリトクラシー。試験と競争の時代に。長所を積極的に取り入れる。小中では主にアメリカのものを直輸入。自然科学に重点を置く。国民形成に期待。しかし教えられる先生が殆ど居なかった。指導の経験もなかった。72年に師範学校を。一斉教授的な。教師が中心になって進める。教習を通じて。問答。ペスタロッチの直観教授の系譜を。教師と児童との問答を。目新しい。知識の伝達をする形式的なものになりがちだった。教育方針は二転三転。教則も移り変わる。森有礼。理科という新しい教科が。直観教授を拡大させる。アメリカから開発的教授法。90年に教育勅語が。法規を超えて目指すところを指し示す。天皇大権主義。明治国家の骨格が。イデオロギーとして、国体と忠孝を目標。第一次小学校令。目的は50年にわたる。道徳教育や国民教育。教育勅語の内容の反映。戦前日本の公教育の性格が決定づけられる。就学率の向上。00年には4年間の無償性義務教育が。産業革命の人材。00年には80%となる。07年には6年間に延長。09年には98%。男女格差も縮小。カリキュラムの精選と合理化。国語科の新設。仮名遣いの統一化や漢字の制限。心身の発達に留意。小学校では日常の考査で成績を。国の初等教育カリキュラムは戦中時まで続く。日本の初等教育の優秀性。相互理解により階級融和が。一君万民式。人材発掘が公平に。03年には国定教科書制度が。国の強力な管理の元。ヘルバルト主義教授法。定型的な五段階教授法。知識を一方的に詰め込む。中等教育。99年には中学校令など。学校段階が明確に。学歴社会化。中学校。高等女学校。性別により分けられていた。水準には格差が。上級学校進学を強く意識。ギムナジウムのカリキュラムと類似。高等女学校には、家事と裁縫。良妻賢母養成。実業学校。職業別のカリキュラム。進学系統上上には上がれない。複線的。
大正自由教育のカリキュラム開発。産業構造が変化。国際協調。大正デモクラシー。大きな変革。児童の個性や自発性を尊重する自由主義的経験主義的教育。大正新教育。公立学校にも。教育方法上の工夫に留まらざるを得なかった。国の教育行政とは緊張関係。アメリカのデューイ。コペルニクス的転換。実践例。長野師範附属小学校。生活や学習の主体としての児童。生活を重んじて学ぶ。自ら歩む。鮮やかな。総合学習。鶏の飼育。ニワトリ小屋を建設する。プロジェクトの収支計算も行う。観察と計測、全て実地から。文献も漁る。自作の問題集が幾つも。羽の分類など。命あるものを育てる。誕生と死に直面して生命を慈しむ。様々な価値在る学習課題を。モチベーションとして支える。澤柳政太郎。大正自由教育の拠点校に。実証的科学的教区学校を定着させる。個性を尊重する学習主体を。本当の教育を追求。カリキュラムを含む根本的な学校改造を。日本の公教育カリキュラムには学問的根拠がない。新たに学問的根拠のカリキュラムを。成城小学校。24年にはダルトン・プラン。自立的な学習法。学習計画を立てて自ら調べつつ学ぶ。学習は個別化されている。教科外の学習も改革が。活動分析などの方法が取り入れられる。公教育カリキュラムにも影響。
戦時下の教育とカリキュラム。農村恐慌以降、戦争遂行への協力が求められる。郷土教育。愛郷心を持つということ。中央志向を相対化。プロレタリア教育。教育への根本的な批判が。東北地方などでは生活綴方の運動。37年に城戸幡太郎などが教育科学研究会。教育制度改革などを。アメリカのカリキュラム理論の導入を。41年に国民学校令。錬成。練磨育成。日本刀の。一体として教育。全般にわたり皇国の道を。統合原理。皇国民の錬成。具体的な内容には軍事的なものが多くなった。総合教授。自然の観察が。個人的主義的側面は抑制。中等学校令。教科書の国定化。45年3月。国民学校初等科を除き授業の停止。

 

カリキュラムと学習過程 (放送大学教材)

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