学校と言っても様々なので単純化して語るのは難しい。大枠を捉えることが重要なのかも。
永井聖二。岡崎友典。公教育制度の展開とゆらぎ。公教育制度の現状。批判について。制度のきしみ。緊張関係が目立つ。脱学校論も大きな影響を。公教育制度の現状。市民社会、近代社会、公教育。個人が力をつけて一人前に。国家が労働力を養成する。公共性と私事性。すごく混乱している。今日的課題を明らかに。
公共性と私事性。両者がぶつかり合う中で今日の状況がある。では現在の公教育のゆらぎを。成立と発展。近代における国民国家と産業社会。一定の知識の水準のある。身体。軍隊や工場で長い時間座って作業するなどが求められる。共通語のリテラシーの養成も。大正末期の女工の労働。人々の形成が目的。公教育制度の発展。個人と社会の緊張関係を内在している。子供という観念が近代社会において成立。観念そのものが常に存在するのではなく歴史的所産。アリエスの「子供の誕生」。オトナと区別される子供が存在しない、小さな大人。保護される存在とすると同時に従属させる。学校生活にも大きな影響を。学校で経験するモラトリアムの特権と不自由。近代的子供観の所産。今日では大きな変化が。消費社会化や情報化。小学生も今やスマホや携帯を持つ。キッズコスメが流通。小学生の女の子の服装もオトナに近づいている。子供とオトナの区別の曖昧さが。社会の動向は公教育制度や学校教育制度を揺るがすもの。公教育制度や学校教育制度はポストモダンの社会の位置づけが問題に。労働集約的というより創造性が重視。揺れ動く社会で子供は重要と。子供期に身につけるべき課題、発達課題。きちんと習得した上で将来のモラトリアムを。あくまで準備期間。商業主義がどんどん入ってくるのは異常。子供期に達成しなければならない課題。約束事を達成しない内にスマホを。教育関係者が意識しなければならない。近代社会以降の学校は大人と子供を区別する前提で成り立つ。現在の子供は曖昧な中で。問題の対応を越えて学校教育における基本的問題になっている。子供期、基本的に身につけるべきものはある。共通認識が親にも欠けている。危機的状況を。アリエス流に言えば区別がはっきりと。現代において再び曖昧に。学校教育をどのように位置づけて考えていくか。今日的課題に。公教育の揺らぎ、学校とは?基本的なところを。
現代日本の公教育制度の現状。明治初年に公教育制度が始まる。明治20年になっても就学率は半分にみたない。実質的にはかなり低くなる。急激に上昇して戦後は後期中等教育の進学率も急上昇。半分以上が大学に進学。高校や大学での進学が出来るのは良いことだが、学校には不本意就学者が目立つようになる。労働需給のミスマッチも。義務教育について。制度は公教育制度の中核。義務は子供ではなく保護者が保障。国や地方公共団体が環境を整備。子供にとってはむしろ権利。保護者などについては教育機会の保障を。公教育制度は国レベルで文部科学省、地方公共団体レベルでは教育委員会。合議制の教育機関。アメリカの制度を参考にして設置。48年の制度導入時。予算編成権を。56年において教育委員は首長が議会の同意を得て任命。教育再生実行会議。教育委員会制度には民主主義の原理を前提としつつも少数派の権利の尊重を。教育委員会の現状と改革の動き。少数派の権利や意思を尊重。レイマンコントロール。教育については時勢や政治を離れて長期的に。様々な人を入れなければならないが形骸化。事務局と委員会の組織の仕組みを作り直す。通常の行政と独立。一般行政と教育行政を区別して。教育はすぐには結果が出ない特性を配慮して。教育委員会制度には地方分権を尊重する趣旨が。基本的には国民、行政の義務。国が強制して。人々には住民の観点も。生活の実態に見合った内容を。制度の枠があるとしても柔軟に。国家主義と地方分権。バランスが。開かれた学校にしても何を開くのかが。近年、開かれた学校が強調されている。意味するところは?非常に大事。仕組みとしてコミュニティ・スクール。基本的な視点も一方で押さえていくことが必要。
教育が国家的に組織。義務教育という形で強制。必要な関心と現実の公教育は調和的ではない。文化の伝達と獲得としての教育。これは必須。教育における社会と個人の関係は調和的に。社会の分化と高度な組織化。調和的関係が維持されるとは言えない。不登校や不本意就学者。公教育制度そのものに関わる。昔は「おしん」。普及が進むにつれ疑問符も。脱学校論。現代学校制度に対する根本的批判。学校を作れば作るほど発展するという前提を否定する。代表的なイリッチ。現代の産業社会は進歩を志向する社会。人間を阻害する方向に進んでいる。現代文明は危機に。学校制度こそ制度化してエートスを再生産して危機を助長している。学校制度の批判。学習は教授されることと同じ意味と考えられてしまっている。年齢ごとの押しつけ。無理やり食べ物を流し込む。学校された社会を脱学校化するということ。一般的に脱学校論の批判。非現実的。ネットワーク?学習の脱学校社会における在り方の曖昧さ。脱学校論から学ぶこと。社会と個人の緊張関係の問題性。今日の不登校の問題も。不登校の児童生徒は中学生では10万人。小学生でも2万人。少なからず数の。心の病気と捉えることが多かったが。硬直したシステムへの抗議として捉えることも必要。アメリカを中心として自宅での教育。ホームスクーリング。定義にもよるが多くの子供達が学校に通っていない。子供の社会性を育むことが出来ないという懸念。そもそも学校に通うのはごく最近。チャーチルなど多くの人々がホームスクーリングにより育っている。定義にもよるが社会性を育めないとするのは疑問。脱学校論。個人的心の問題として扱うだけでは無く。脱学校論は学校化された社会を指摘。人材配分機能。産業社会の中の人材を配分。社会に必要でない人を排除。学校内の脱落。社会そのものが子どもたちの能力を伸ばすようになっていない。ホームスクーリングやフリースクールを否定としないが。アメリカは西部開拓時代から。学校がないところは親が国民としての資質や能力を身に着けさせる。社会規範を。長野県など。飛び回っている。神父さんなどの家庭。ホームスクーリングというものがアメリカで発展をしている。歴史的な背景や宗教的な少数派の者たちの。脱学校論のようなものを見ると、前提としているのは欧米の学校。アメリカの学校。随分自由に。それを前提として脱学校論が。日本の学校をイリッチが見れば?日本の学校。義務教育として基本的な資質や能力を。教育の機会均等。先進的。公共性では優れている。私事性への要求も強まっている。どのように考えればよいか?既に私事性の原則を主張。国民国家の形成や産業社会。内在する社会と個人の関係は緊張を孕む。全て国民は普通教育を。この場合の普通教育とは学校教育に限られる?脱学校論の時代的背景。子供の不適応や内面的課題を抱える。素直に勉強することに疑問を。重要なのは制度的に。46答申。71年の、急激な変動する社会。同じ71年に社会教育審議会が学校教育を問う。生涯教育。臨時教育審議会にも出てくる。生涯学習を支援するのが生涯教育。それと脱学校論が同じ時期に。今日の量的には発展をしている公教育制度。一方では脱学校論。一方では生涯学習。共通する点が。1つの教育実践。山村留学。学校に不適応ではないが内面的課題を。親たちが自然の中で。東京都の小学校の先生を。黒板とチョークだけではなく。山村留学だけではなく内的な課題への問いかけ。現地の学校に通い集団生活をしながら、伝統的日本文化を体験させる。都市部の学校の今後の道への手がかりになる。追跡調査を。ホームスクーリングやフリースクールと一体の。公教育制度が発展。ある時期を境にこれからどこへいくのかが問われる。実践レベルで様々な試行が。生涯学習化。団体がどう変わっていくか、連携の在り方。学校教育と生涯学習は別?今では生涯学習の基礎が学校教育。上級学校へ行くか、現実社会でリカレントを高めるか。生涯に渡る学習の基盤を。単に勉強するのと意味合いが違う。生涯学習化。新しい教育を示すものになりうるか。学校教育と社会教育は車の両輪。学校化されすぎたかもしれない。新たな方向性を巡って大きく動いている。