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道徳と道徳教育(道徳教育の方法第1回)

道徳を突っ込んで考えれば泥縄になるような気がする。刑法総論の議論をしている感覚もある。最近は哲学的な論理展開も少なくなったけれど。

 

講義科目の目標。シラバス。道徳教育の基礎。小中学校の教育課程。道徳教育の計画や指導方法。自分自身の道徳観、道徳教育観。何故道徳を必要とするのか。自由と制度。教育必要性。道徳の本質。現代社会の道徳教育。
道徳の人間学的根拠。自由と制度。教育必要性。野生児の例。教育によってのみ人間となる?教育可能性。「人間はどこまで動物か」人間の新生児の特徴。可能性を持って生まれてくる。スイスの生物学者ポルトマン。子宮内の幼少期。生後1歳になってやっと辿り着く。妊娠期間が伸ばされる筈?新生児の特徴。生理的早産の人間学的意義。普通に、元々。本来的な早産。立つこと、話すこと、考えること。母体の外で。社会集団の助けのもとに。人間と世界との関連。人間の行動は決断の自由を持つ。環境と動物の行動は2つの歯車が噛み合う。回転運動。隙間がない。人間の行動は環境に拘束されない。それが自由。素朴な区別は成り立たないかもしれないが、行為の善悪があるのは自由があるから。自由を適切に利用する為の教育。本能の退化した欠陥を抱えた動物。人為的に加工された第二の自然としての文化。ゲーレン。負担免除。人間の認知の領域、行動の領域、制度の領域へと。多様な人間の共同の形式。負担を免除。図書館。騒いではいけないなどの規則がある。本を借りる時、あまり沢山借りると他の人が困る。個人が悩むよりも図書館で決めたほうが良い。決まりは便利。挨拶の仕方が慣習として確立。道徳はある意味制度。自己決定する負担を免除される。社会の一員として生きることが出来る。道徳は自由により自律的に行為。自分自身の自由が意識。いかにして自由に基づきながら選択できるか。道徳こそが交差する領域。
道徳とは何か。moral。ラテン語の慣習に由来。ある社会によって承認される行為の基準という側面。意識したときには存在していた慣習として。ある社会で自然に皆に認められた習わし。慣習法など様々な現れ。第一に、ある社会の成員に共通な是認された行動の仕方で、世代に受け継がれる。守られるべきであるという集団の判断を含む。相対的なもの。社会が異なれば内容も異なる。絶えず変容するもの。エスカレーターの右側左側を空けるのが慣例となっている。東京では左側に立っている。急ぐ人は右側を。エスカレーターについては決まりがある訳ではない。大阪では右に立つ。慣習の一種。急いでいる時は便利なので皆に合わせる。日本エレベータ協会。歩行することについて注意喚起。左手を骨折して右でしか手摺りに掴まれない人が居る。危険。社会の慣習の中には少数者の権利を侵害。重要な倫理的な問題。慣習としての道徳。社会が変動すれば廃棄される。特定の道徳観念が適切なものか?普遍的恒久的。精神の働きを倫理と呼ぶことがある。道徳の個人性に目を向ける。倫理との対照性を。道徳は心がけの問題。倫理は社会的レベルの問題に。経済や生命などの問題。ルール作りを迫る。意思決定のシステムが求められるが簡単ではない。価値の多様化のもと独断が。困難に。自分の子供であれば厳しく注意するが、よその子供だと注意しづらい。どのような教育方針かわからないし、世間一般と意見が同じとは限らない。グループの取りまとめ役。独断と偏見で進める、と言い出す。軽口が理解されるようになってきている。応用倫理学の加藤尚武が、ニヒリズムと言及したこと。必要とされる道徳教育。道徳という問題そのものの考察を。規範。
規範とは何か?存在の法則に対し、当為の法則。自然科学の法則。人文科学や社会科学の法則。係り結びやグレシャムの法則。当為の法則としての規範は、例外を前提として成り立つ。正直であらねばならない。人を傷つけてはならない。という規範。行為がしばしばなされる為。規範としての法と道徳。慣習的な道徳を守っていれば法は意識しない。法と道徳とのある程度の一致。人を殺傷する行為。区別に意味はない。カントが用いた道徳性概念。道徳は行為の純粋さを要求するが、法はそうではない。外面的な適応性で満足する。法による規制の領域は道徳より狭い。法に内在する道徳規範は極一部。19世紀のイェリネック。ルールとしての法の意義。必要性の為に整備。最大限の実現可能性が求められ、強制により保障される。外面的な合法性で満足する?ある行為が故意か過失か、違法可能性が。道徳の対象は必ずしも内面的世界に限られない。行為を必要とするのは事実。内面性を極度に強調する道徳が、かえって道徳への不信感を生む。ボルノー。「道徳の人間学的エッセイ」。素朴な道徳。ドイツも敗戦国。価値の崩壊。ファシズムの時代に英雄的思想が。高い理想。逆に道徳は嫌われる。かと言って、道徳がなかったのではなく、自然な道徳が。礼儀正しく、困っている人を助ける、など。下からの道徳。普段は見えづらい。しかし歴史的変化を受けづらい。素朴な道徳の擁護が大切。様々な徳の考察。道徳教育における、他者との関わりを。出会いというレベル。人間の主体的存在を強調する実存哲学。決断し行為することで自己を作る。サルトル。君は自由だ、作り給え。本来の自己に着目すれば、自由。奥底の自己の自覚。人間の内面には非連続的なものがつきもの。実存哲学は人間の発達の非連続的形質。出会い、覚醒、危機。
道徳教育とは?教育とは教え育てること。意義や両者の関係が問われた。人間の望ましい姿への変容を。おおよそ。無意図的なものも含む。家庭環境。地域の風土、マスメディアなど。無意図的な人間形成。広義の教育。狭義の教育、計画的な人間形成。人間性を養ったりする。場や関係に着目。家庭教育、学校教育、社会教育。一対一の個人的な関係から、相手の顔さえ見えない関係。教育を論じる場合、意図的に行われる教育を。多面的多層的。身体を持つと共に、社会集団の一員として。自身の精神の持ち主。教育もまた多面的。徳育。歴史的には伝統的な三分法の中で。19世紀イギリスでの知育、徳育、体育。白鳥の歌。最後の作品。頭手胸。人間の能力を調和的に発達させる。道徳的宗教的など。知徳体の3つの。ペスタロッチ。日本の小中学校。教育目標。知徳体を使うことが多い。賢く優しく逞しく。ややこしいのは体育、保健体育。体育しか行われていない訳ではない。運動生理学に関する内容や狭義のルールの内容。知育に属する。様々な競技。フェアプレー。立派な徳育。徳育を含む教科は体育だけ?全ての教科には徳育が含まれている。徳。ものの本性。優秀さや卓越性のアルケー。人間らしさ、人間性を高める教育。具体的な内容は?歴史的社会的に異なる。ペスタロッチ。宗教観と結びつくことが多い。徳育はどのような方法で可能となるか?道徳に固有の内容を求める、道徳教育。人間相互の関係を規律する道徳。社会の秩序を維持するだけになりがち。自律の達成。人間の自由により成立。普遍的な過程での道徳性を。価値の客観性を道徳的に決定する。正義、公正を重視する傾向。社会に受け入れられる必然性はない。自身のアイデンティティを確立すると共に、他者のそれを尊重する。政治哲学におけるリベラリズムと共同体主義の論争。完全に背反している訳ではない。両者が歩み寄る可能性もある。

 

道徳教育の方法 (放送大学教材)

道徳教育の方法 (放送大学教材)

 

 

誇大妄想狂。

言葉からは変な人と言うイメージしか湧いてこない。けれど妄想をしない人なんて居ない。誰かに恋に落ちたら、やたらと妄想が湧いてきて、どうしようも無くなり半ば狂いかけた経験は誰しもあると思う。年齢を重ねたら、そういう誇大妄想狂にはならないと日本社会では看做されたけど、老いらくの恋に陥ったと言う話を聞くのも、近頃では珍しく無くなった。まあ自分の内面だけで妄想を展開している分には害はないから良いのだけれど。ストーカー行為などに展開するとヤバイ。ううみゅ。

Windows10のupdate。

Windows10のupdateがあるということでPCの再起動をしたら、やたらと時間がかかり何度も再起動を繰り返す。もともとWindowsのupdateなんて時間を要するのは20年以上前から常識なのだが、最近はしていなかったので忘れていた。大昔にWindows95のOSR2からWindowsMEにしたのはやたらと苦労したことを思い返した。

待ちくたびれたので、PCをそのままにして外出する。朝食もまだなので、高槻のカフェでフレンチトーストを食べる。

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珈琲もついていたのだが、おかわり自由ではなく追加代金を取られる。新聞は読めるけれど。あまり腹も膨れないので、マクドに移動しモーニングを食す。

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実践の科学としての教育心理学(教育心理学概論第1回)

学びを意識してみるのは大事なことなのかもしれない。新しいことには尻込みしがちだけど。

 

先生が教えるのに役立つ研究をする人が多くなっている。学校だけで学んでいる訳ではない。遊びや仕事からも。学びの姿を全体像で。元々自分で学力を持つ。最大限に。賢くなるのを支援。学ぶ力がどのようなものか。勝手に学んでしまう力。自分で経験してそこから学ぶ。他人から教えてもらって学ぶ。自分の考えそのものを見直して作り変え、自分を賢くする。経験から学ぶ力。毎日少しずつ色んなことを経験する。少しずつ違う経験を。洋服を着るにしても様々。色んなTシャツを毎日変えて。経験を繰り返して学ぶ。言葉が使えるようになるのも。学び方は高度。次に何が起きるか。試しながら経験するので、少しずつ周りでの話しが分かる。予測が出来る。先のことを知りたくなってくる。意図的に仕掛けて楽しむ。何かがわかり始めて、世界のモデルを作り始める。他の人から教えてもらう。沢山の他の人達とやりとりしている。他の経験から。自分の視野が広がるかもしれない。効率が良い。自分が経験しなくても学べるが、一種の賭け。特に子供は、自分が信頼している人から学ぶ。信じないタイプではないが、面白いことだと自分で考えてしまう。書籍の内容も自分で考え込んでしまう。自分で自分を賢くする力。皆で一緒に何かをやる時。問題解決をするとき等。試したいことを伝えることが好き。案外相手はすぐには分かってくれないが、わかってほしいので自分の考えを見直してみる。本人が自分の考えを少しずつ変えていける。少しずつ良くなる。3つの仕組み。ずっと学び続け賢くなり続ける。
教育心理学は様変わりしている。賢いとは?の問い。世の中の変化が激しい。質の高い教育は何なのかも変わってきている。教育とその研究があるべき姿を。理想のようなもの、原理をはっきりさせる、けれどもう少し役に立つものにしたい。子供への働きかけを。実践の仕方に磨きをかける。教育という働きかけをより良く実践できるように。質の高い学びとは?が出発点になりそう。一人ひとりがどのようなものなのかを考えないとならない。何が学びの質を保障するのか。試験の時に間違いない知識を?netで調べられることを学んでも、という話。課題の解決。他の人からの解釈。出来ることの範囲を広げる。決められたゴールに到達したら終わりではなく、もっと先に新しいゴールが見えてくるという前向きな学び。正確に早く、ではなく、世界を広げていける学びを。全然出来ないことを他の人が出来る、そのことを寄せ集める。どうして今こういう考え方が世界中で?同じことを正確に早くするだけが能ではない。余裕がある時間を確保、学校という制度が。自分でも色々学んで振り返る。自分の物の言い方がどのように変わっているか?人が誰でも毎日色んな実践をしているのが教育心理学。
学びの仕組み。人が日常生活の中で色んな経験をして、世界モデルを作る。他の人からも聞いて色んな問題を解決して、賢くなる。人智の極み、科学。レベルが3つ在る学びの枠組。生活しているその場所で、経験則を作り上げる。生活していると出来てしまう。言葉の組み合わせの仕方を組み替えて世界のモデルを作る。子供なりに一般化したものが経験則。大人にも。子どもたちがどのような経験則を持っているか、全てを網羅したものはよく分かっていない。その状態で人の学びを支援する。調べるのが大変?学びのモデルも作ってしまいまとめてしまう。案外簡単に作ってしまう。沢山練習すると上手くなる?乱暴な学習の理論。プログラミングが出来る過程がどのようなものなのかは分かっていない。折り紙を数年間してスピードがどれほどになるかを研究した。折り方が変わってきた。空中で挟んだりした。どんな理由で上手くなるかは、やることや人によって千差万別。どれほどの量なのかは分からない。人はどうやって学ぶのか、繰り返しは必要。分からないが子供は知識を持っているのは確か。自分の経験から経験則を作ると分かると、結論もある。子供によって異なるだろうから、ひとりひとりの思いつきを大事にしなければ、考え方は違うのだから。経験則を作る主体に任されることは多い。子供の学びはひとつずつ異なる。しかしなかなか難しい。大人はそう思わない。他人も自分が似ていると思いこむ。先生が口移しで教えないと、という先生も居ないわけではないが。子供の過小評価。色んな自分なりの考えを。どう変えていきたいかも異なる。文化の影響は大きい。生活を支えている文化が。総体としての文化。子供の経験できること、経験から学んだこと。教室で聞いている子供も一人ひとり違う。モデルを作る。経験から、だけで世の中は分からない。上の方に科学の世界が。経験するだけでは見えてこない。中身は学校で。学校の目的の一つ。物理的音の波から見てみようと思っても説明できない。科学の話。ボールを蹴るのも経験則と物理とはかなり違う。科学的知識。科学知識のレベル3とレベル1の豊かな世界をどうやって繋いでいくのか。どのようにレベル2を作っていくのか。科学知識を社会的に構成。レベル3が段々出来るようになる。科学知識の社会的な構成の方法。世の中で上手く再現する。学び力の根源の理解を。協調学習の取り組みの一つ。社会的な構成の話。
章の構成。人が持つ学び続ける話。学びの形。自然に起きる学びの過程を。学び教育学習研究のこれから。人は学び続ける仕組みを。学び、学ぶ、経験する、問題を解くという行為。経験からどのように学ぶのか。人が自然に学ぶ仕組みがどのようになっているか。小さい子供の自然な学び。観察の仕方の工夫によっては、どのように世界のモデルを。素朴理論。概念変化の道筋。最初に生まれる素朴な理論がどのように科学知識に変わるか。概念変化が例えば対話の中で行われるか。自然な学びが起きる場。うまくいく学びの原理を探しに。かしこく育てられて。日常経験から子供が学ぶ。もっと大掛かりにして、熟達する、職場で学ぶ。認知科学。違う場面の研究。少しずつまとめる。実践の話。問題を見つけて解きながら学ぶ。結果の予測を積み重ねて仮説を作る授業。知識を統合して新しい答えを出す対話を教室の中で。自然の原理と成果。デジタル社会での学びと新しい学びのゴール。学びの評価。学びの実践をこれからどうするか。人はどのように学ぶか。実際にその学びの形を。経験をしながら経験則を。学校の中で科学的な考えに変える。職場などで膨らませる。人について分かっていること。振り返る形で学びの研究のこれから。学習研究のこれから。学習研究はやればやるほど難しいのではないか。難しい話ではあるけれど、出来るようなものは試してみる。前向きにやっていく。やればやるほどチャレンジが出てくる。

 

教育心理学概論 (放送大学教材)

教育心理学概論 (放送大学教材)

 

 

平凡さ。

昭和19年7月にマリアナ諸島が米軍に取られ、次はフィリピンを取られたら南方の資源を還送出来なくなると焦った日本軍は、8月に苦し紛れの迎撃案を策定した。米軍がフィリピンにやってきたら、殆ど飛行機を持たない空母が中心の艦隊を囮にして、アメリカ海軍が気を取られている間に、戦艦中心の艦隊が突入して米軍の上陸部隊を潰すという案である。ただ日本海軍は、艦隊同士の戦いしか元々は想定していなかった。囮作戦は効果はあったが、戦艦部隊は艦隊決戦に固執し、結局は突入を止めてしまった。まあ日頃から考えていないことを非常時にやらせるのはそもそも無理だったかもしれない。アメリカの軍事評論家は「高度の平凡さ」が足りなかったと論評している。

ナガサキ。

昨日8月9日は、長崎に原爆が落とされて74年になる。仕事で黙祷は出来なかったけど。差し当たりナガサキは最後に原爆の被害を受けた場所なのだけれど、74年も原爆投下が無かった(核実験を除く)のは奇跡に近い。核保有国はどんどん増えているからだ。建前上は五大国だけが核兵器を保有していることになっているが、北朝鮮など事実上の核保有をしているのは公然たる事実になっている。力の均衡故に手を出せないというのはあるだろうし、核兵器禁止条約など核兵器を無くす方向への取組みが世界的になされているが故に使用されていないのはあると思う。まあ事実上アメリカの核の傘に守られているので、日本政府の舵取りは難しいのかもしれないが。

東アジア近世近代史を学ぶにあたって(東アジア近世近代史研究第1回)

講師によって考え方がバラバラだということはよくわかった。だからこそ歴史学は面白いとも言える訳だけど。

 

東アジア。地理的範囲。概ね中国と朝鮮に重点を。近世近代。中国は宋代から中華人民共和国の成立まで。朝鮮は朝鮮王朝の始めから近代まで。第2次世界大戦の終了まで。歴史の進み方の違い、歴史解釈の方向の違い。地域の違いや研究者の個性。歴史の流れ方と研究の方法、史料の解読方法といった歴史研究の方法。今回は歴史研究の方法。中国近世。宋から清まで。朝鮮の近世史。朝鮮王朝の。帝国主義の侵略にさらされた時期から第2次世界大戦の終わりまで。植民地時代の朝鮮。網羅的にもしていない。歴史の知識は必要だが、知識を幾ら集めても研究にはならない。ただの断片。史料を読みこなして様々方法論を駆使して新しい歴史を描く。基礎は歴史学にとどまらない。近代科学のあらゆる分野に。広い範囲の基礎。書斎に留まっている訳でもない。史料と現場。他の研究者と討議する。研究者的個性の違い。研究方法の違い。史料と現場という共通性。
中国史は変化を読み取りづらい?高校の世界史教科書からのimageは?日本や西洋と比べメリハリがない。古代や中世近世、近代と現代といった、はっきりした時代区分に沿って書かれることが多い。産業革命を含めて四時代区分にすることもある。そもそも古代やらの時代区分を中国史ではあまり使わない。帝国間の違いがはっきりしない。時代区分に分けるのも無理がある。無理矢理に切り取ったり繋いだりしている。中国史として固有なものが無い。世界の各地各地の歴史を細切れにして書いている。世界の一体化が合言葉。どのように一体化したのか。現代はグローバル化の時代。交流が前面に出ているので。近代以前は日本史やEuropa史とは似ていない。固有なものが分かりづらい。統一したイメージがない。高校の教科書では世界の一体化に重きを置く。交流を重視するので、固有なものが掴みづらい。固有なものを話す。メリハリがないことこそ固有なもの。強靭な持続力が中国史の特徴。無理にメリハリをつけることはしない。ではずっと同じような国家であり社会であったか?最大の変化は8世紀から10世紀。唐代の中頃から宋代の始め。近代を迎える以前の中国社会。現代日本に生きる我々には、中国や韓国での分かりづらさを感じる。交流や西洋を追いかけたにもかかわらず・中国史朝鮮史に固有なものを充分に理解していないから。中国史の型の理解を。中国史を一体化する世界の一部として見ると共に、固有なものを見つめる。複眼的に。
1392年からの朝鮮王朝の話から。朝鮮近世。最新の研究成果を。歴史的社会的特色。通説を無批判に鵜呑みにしない。史料や論理によって歴史的な過程の再検証を。歴史研究の方法についても。高麗からの権力を奪い取る過程を。歴史的意味を。新たな政治史研究の可能性を。士の在り方を。儒教が大きな要因。祭祀。継承する男子が居なければ養子を。祭祀の継承。朝鮮社会の特質。戸籍台帳の記述から。様々な身分の者が住んでいた。朝鮮半島という地理的範囲に閉じ込めない。国史だけではない。現実の歴史は朝鮮半島のみならず、周辺の国々の外部との交流も把握しなければ。様々な交流が在る。国内の事情だけではない。他の地域との比較も重要。特色が浮かび上がる。比較対象は多ければ更に良い。各地域に通底している社会的な特徴が。様々な分野の知識を貪欲に。歴史学は様々な学問を導入して、歴史的時間的に。特色は史料。史料的な根拠を欠いた歴史は思い込みでしか無い。他の領域の学問と協力して。歴史学の固有性は史料が基盤。文献資料の読み解きを。
中国近代。現代中国の変化。内政や外交を理解するには近現代の知識が必要。歴史認識問題。中国に即して。1982年に施行された現行憲法の。憲法に歴史認識が。悠久な歴史。様々な革命を。1840年。阿片戦争以降。半植民半封建。脱することが出来たのは共産党の成果。憲法前文の歴史観。辛亥革命でも変化はせず。アヘン戦争が近代化の始まり。事実上独立を失っている。憲法は公的なもの。五四運動。現代史の始まりとされたことが多かった。過渡期が。毛沢東の理論。マルクス主義的発展段階論。中国においては異なる時代区分も。現代史の始まりは中華人民共和国の建国とされることも。改革開放にする人も。毛沢東の新民主主義論。清王朝が衰える。日清戦争の敗北。義和団の乱。留学。袁世凱の時代。20年代に国民革命。国民党の主導。南京国民政府。42年末から戦後構想が。党があって国がある。カイロ会談。蒋介石。どのように勝利したか。国共内戦。共産党は何故勝利したか。
19世紀末から20世紀、朝鮮の近代の性格。1860年代70年代から、1945年まで。朝鮮政府は西洋の衝撃を経て、日朝修好条規で改革路線。近代化を推し進める。大韓帝国の内政外交が日本に。韓国併合。武断政治。三・一運動。皇民化政策。近代という言葉。単に時代区分を表すのではなく、制度社会などが新しい内容に変化。文明と同義。新しくて良いもの。しかしそのような価値判断は、歴史の相対化の邪魔に。近代はどのような時代?朝鮮ナショナリズム。近代の文化史。植民地期。近代の主題化。支配者被支配者の認識。社会変容は均一に進行するのではない。近代化も一気に普及していない。旧来の価値観と衝突。歴史のダイナミズムを読み取る。朝鮮総督府の史料など。朝鮮知識人の認識を書籍や新聞、雑誌などで。デジタルアーカイブで。植民地行政に関与した日記なども公開されだした。

 

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)

東アジア近世近代史研究 (放送大学大学院教材)