F-nameのブログ

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未明の夢の内容とその有意性。

昨日の晩から早朝に眠っている間に妙な夢を見た(というか妙でない夢があるかは定かではないが)。私は東京に来て(関西圏から移動したのだろう)、東京駅近くの事務所(現在勤めている会社かどうかは分からない)から東京駅に戻ろうとしている。ペットボトルなどの荷物を抱えて大変である(現状を反映しているのだろう)。先輩らしき方とようやく東京駅に着き新幹線の切符を購入する。それで改札を出てホームに下りる(どうも上下関係が現実の東京駅と違う)と、東北新幹線で東海道新幹線ではない。そして正しいホームに着いたが今度は車輌に乗れない。そんな内容の夢である。カウンセラーcounselorやセラピストtherapistなら夢の内容を分析して貰えるのだろう(当然だがコストcostはかかる)。しかしあまり有意義な結果は出ないかもしれない。よく無意識のものが夢に現れてくると言うけど、そもそも自身の無意識の内容を知らなくてもヒトは生きていけることは、頭の片隅に目でも置いておきたいものである。

「生きる力」と教科書問題(戦後日本教育史第13回)

槇原敬之は「世界に一つだけの花」を作ったことで後々まで語り継がれることになるのではと考える。

 

貝塚茂樹。生きる力と教科書問題。80年代の改革の制度的側面。臨時教育審議会の4つの答申。自由化と生涯学習に焦点を当てて。80年代以降の教育改革は教育内容の改革も焦点。70年代後半からの教育荒廃は80年代以降深刻に。対応であった平成元年版学習指導要領と平成10年版学習指導要領が掲げた理念と内容。新しい学力観と生きる力。教科書問題の整理と課題。
教育荒廃は深刻に。家庭内暴力。80年に予備校生が両親を金属バットで撲殺。受験競争の激化が背景。浪人生は84年には全国で20万人を越える。テレビ新聞の報道は受験競争を結びつける。両親の殺害の事件性より、受験競争がもたらした悲劇であると。過酷さを共有。非行年齢の低年齢化。81年に検挙されたもののうち半数は中学生が。82年の意識調査。学校の先生に殴られたことがある生徒は30%以上。殴ったことがあるのも1%以降。殴りたいと思った高校生は30%以上。暴走族の関与。校内暴力の背後に組織が関与しているケースがあると警察白書が。暴走族の数は4万人以上に。文部省は83年3月に全国の中学校の総点検をするなどをする。校内暴力の沈静化。反比例するようにいじめ問題がクローズアップに。深刻な状態に。86年2月に中野富士見中学校のイジメ自殺。このままでは生き地獄に。教師までもが加わって葬式ごっこを。いじめ問題の根の深さが。イジメにより自殺に追い込まれる状況であることが社会に認知。いじめ問題は90年代に入っても深刻さを増す。93年1月には山形県新庄市で体育館のマットに包まれ窒息死。94年6月には愛知県西尾市の中学生が自殺。実態把握が非常に困難、いじめ問題が表面化したときは自殺に結びつく場合がほとんど。イジメを苦にして命が絶つ問題が。
80年代以降に不登校と高校生の中途退学。適応出来ない生徒の増加。滝川和博。偶発的な要因ではなく営みの中の何らかの要素との関連の中で長期欠席が生じて葛藤や悩みが。70年代までは登校拒否と。意図的に学校を拒否、学校に行けない病理的な。無気力型情緒混乱型など多様。登校しないきっかけも学校生活や親子関係など複合的なのが殆ど。80年代以降は不登校という言葉を。全国における長期欠席者。80年代に急上昇。急激に増加した不登校は90年代も増加。不登校の児童生徒は90年には5万人を超える。かつて登校拒否とされたときは個人的要因の解決が求められていたが、充分な説明が出来ずに批判は学校教師に。受験競争の加熱化。病んでいるのは学校では?学校教育に問題が。むしろ正当な反応であると。92年。協力者会議。誰にでも不登校は起こりうると。不登校を個人的病理や社会的逸脱とする考えは鳴りを潜める。95年からスクールカウンセラーの配置の事業。99年からは教職経験者や大学生が不登校などの生徒の相談に。小規模校を除く全ての学校で。どの程度効果を及ぼしたかの検証は充分ではない。
教育荒廃が社会の関心を。教育内容にも影響を。人間化やゆとり路線。背景には教育荒廃の原因が受験競争の激化に。教育課程改革の基調は個性教育の推進などに重点が。教育課程審議会答申。自ら学ぶ意欲などの育成を。基礎的基本的内容の重視。自ら学ぶ意欲や個性を活かす教育。89年3月に学習指導要領が改定。自ら学ぶ意欲や新しい学力観。児童生徒の関心意欲態度を重視して思考力などの自己学力観。平成元年版学習指導要領のポイント。学校教育が生涯学習の基礎を培うもの。体験的学習や問題解決学習を。国旗国家の取り扱いを明確に。小学校低学年で生活科の新設。中学校で選択科目の履修幅を拡張して習熟度別のクラスを。高校の家庭科を男女必修に。中核となる新しい学力観。表現力や自己教育力を。個性化や意欲を重視する教育が。児童生徒が自ら主体的に学ぶ自己教育力のある人間を。支援が求められる。ひとりひとりに合わせた授業を。やる気を前提して。多くの学ばない児童を生み出す要因に。平成元年版学習指導要領の掲げた方向性は教育の本質と関係性を問い直す論点を提供。
95年4月に中央教育審議会に対して我が国の教育のあり方についてを諮問。96年8月の答申。ゆとりの確保と生きる力の要請。自ら学び主体的に判断する資質や能力。他人を思いやる心など豊かな人間性。ゆとりの中での生きる力の養成を。中教審が示したゆとりなどの。教育課程審議会は答申を。豊かな人間性や社会性。日本人としての自覚。自ら学ぶ力。ゆとりある教育活動。基礎基本の定着。各学校が創意工夫して。98年12月の学習指導要領の改定。平成10年版学習指導要領。高等学校については03年から全面実施。総合的な学習の時間の新設。授業時間や教育内容の削減。弾力的運用。高等学校の普通教科に情報を新設。総合的な学習の時間の設置は平成10年版学習指導要領の目玉。従来の知識体系の縦割り型学力に対し課題解決型の学力を。教育理念の象徴。時代の雰囲気。教育の動向にマッチ。03年の「世界に一つだけの花」。元々特別なオンリーワン。咲かせることに一生懸命に。個性重視の世代に魅力を。個性が無いことの反作用。少なくともこれまでの教育に個性が無かったという雰囲気が社会に。ナンバーワンにならなくてもいい。人間は比べたがる。一番になりたがる。1人ひとり違う種を持つ。それぞれの花を咲かせることに一生懸命に。多くの共感があったことは事実。ありのままの自分を肯定する癒やし。競争社会にコミットしない若者。個性的であることに高い価値を。平凡な自分には救われない。平成10年版学習指導要領。ゆとりの中で生きる力を育成。総合的な学習の時間の設置や教育内容の削減。歴史的に77年の学習指導要領以降、教育課程はゆとり路線へと。より徹底。内容。完全学校週二日制。児童生徒に生きるチカラを。各学校が創意工夫して自由に編成できる部分を拡大。学力低下を招くという批判が活発に。ゆとりか学力か。論議は学力自体の捉え方に。
教育改革が進む中で、教科書検定問題。様々な論争が。家永教科書裁判。80年代には大きな外交問題に。82年に起きた教科書誤報事件。6月26日に高等学校の教科書の検定結果が。多くのマスコミが歴史教科書の検定に付き。侵略が進出に書き改めたと。中国政府の批判。しかし修正した事例は無かった。文部省の担当官も繰り返し答弁。中国からの批判が止まらず韓国も批判、政府や外務省文部省で折衝が。総理の判断で官房長官談話、宮沢談話。政府の責任で是正すると。検定基準の改定を。官房長官談話を受けて教科書検定基準が一部改定。歴史的事象の扱いに必要な配慮が為されているとの。近隣諸国条項。教科書検定において事実はなく後に誤報とされたにも関わらず措置をしたことで議論に。教科書問題は続く。86年に合格した教科書の内容に異論があり。「新編日本史」。歴史教科書の記述は元来は国内問題だが外交問題に。87年の臨時教育審議会の第3次答申は、教科書の質的向上や個性豊かな教科書に。検定の簡素化などを。89年4月に検定の教科用図書検定基準などが全面的に改定。検定基準の大幅な簡素化などを。それにも関わらず教科書問題は継続。01年には「新しい歴史教科書」が検定に合格。従来の教科書が自虐的であると。中国韓国は近隣諸国条項に反すると対応を求める。教科書採択にも混乱を。教科書採択に至る手続は複雑化と乖離を表面化。問題点と課題を浮き彫りに。基本的には今日にも引き継がれる。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)

 

 

 

 

無意識。

いわゆる四輪の自動車運転免許を持たない方は今でも少数派だと思われる。マイナンバーカードがまだ無かった頃では本人証明に使うために取得した人間も多かっただろう(というか私もそうだった)。免許取得の最終段階では運転免許試験場と呼ばれるところでの学科試験があるのだが、道路交通法につき問われる。勉強範囲は他の試験に比較して少ない方だと思われるが、キチンと覚えていて無意識に条件反射で出てくるまでにしないとなかなか合格しない。まあ大抵の人間は合格する。なので無意識になるまで覚えるという作業はそれほどの難易度は無いと言えるだろう。後は他の試験では勉強範囲が広いというのが問題になるが。

可動式祝日の弊害。

仕事で伝票を明日の日付で書いていると、明日9月15日は敬老の日だったのだなあと思ってしまう。今世紀初頭に敬老の日が9月の第3月曜日になってから久しいけど、子供の頃から9月15日を敬老の日としてきた(そして休みになっていた)人間は未だに慣れない方もいらっしゃるかもしれない。老人を敬愛するという精神は変わることはないだろうが、年により日付が変わってしまうので、単に休みが増えただけと感じる人間も増えてきているのではないかと思う。

それは他の祝日にも言えることである。書いたと思うが、体育の日、もといスポーツの日をなぜ10月10日のままにしなかったのか私は理解に苦しむ。1964年の東京オリンピックの開会式の日なんて、今年の東京オリンピックの陰になってしまうのかもしれない。ううみゅ。

ケアプロセスの管理(看護管理と医療安全第7回)

コミュニケーションの仕方には頷けるものがあると感じる。

 

大西麻未。ケアプロセスの管理。質の高い医療の提供。つながりを構築。ケアの継続性を高める方法。看護の提供を支える看護提供方式。勤務体制。ケアの標準化。チーム医療における連携や協働。
看護提供方式。入院病棟を持つ医療施設で切れ目なく看護するための組織化の仕組み。誰が何をするか、業務分担の方法。24時間のケアの仕組みなので、能力や経験で差がないように。代表的な基本となる方式が幾つかある。日本で活用されている代表的なもの。それぞれのメリット・デメリットについて。それぞれについて提供する看護師自身は、患者は、双方の視点で。機能別看護方式。看護師一人ひとりのやることは明確。費やす時間を短く。看護師は特定の技術を繰り返すので機能向上に。断片的になり専門職として満足度が低くなる。作業時間は短くでも患者からの情報は統合されづらい。患者にとりケア毎に担当者が変わると誰に相談するか明確でなかったり安心感が持てなかったり。患者受け持ち方式とプライマリーケア。2つの違いは患者受け持ち方式が。特定の看護師が。プライマリーナーシングは入院から退院まで。看護師にとり患者への関わりが密になる。満足感を得る。患者にとっても自分の担当が明確に。プライマリーナーシングでは入院期間にわたるので更に看護の継続性が高まる。一方で看護師の能力でケアの質の差が大きくなる。負担感が増す。看護師がチームを作り支援し合う。看護師の能力に因る差を補う。チームワークを作るコミュニケーション。リーダーの能力やチームワークが機能しているかにより看護の質に差が。看護方式にはそれぞれメリットデメリットがある。デメリットにどう対応するかが重要。プライマリーナーシングでは質の高い看護計画が必要。研修を行ったりカンファレンスで複数の視点で適切に修正したり。チームで活動する方式ではリーダーの役割を明確にするなど。情報共有や業務量の調整を。異なる看護方式を組み合わせるのもデメリットを補うのに適切。具体的な例について。
勤務体制。適切な看護ケアを提供するために勤務時間毎に割り当てられる勤務表。交代制勤務の方法。2交代制か3交代制か。看護の質や継続性や働きやすいか。基盤になるのが日本看護協会が13年に出したガイドライン。看護職が生涯を通して安心して働き続けられる為の環境を。現場の実態と労働科学の最近の知見を踏まえて。多くの病院で満たすための工夫が。現在はまだその途上。例えば14年の調査で2交代制の病院で実施率が低いのが、拘束時間について13時間以内とすると。初期の頃は夜勤は準夜勤と夜勤を含めるので16時間以上の長期間に。後半になるとヒヤリ・ハットが増える。日勤の時間を長くしたり遅番を作り夜勤の時間を短縮する取り組みも。基準を満たすための取り組みはホームページでも。3交代制の病院で実施率が低いのが、夜勤の時の仮眠時間の設定。仮眠は夜勤後の疲労感の低減にもなる。共通理解を図り業務の整理を。近年はワーク・ライフ・バランスの向上を図るために多様な勤務体制が。複数の勤務時間の選択や2交代制3交代制の選択を可能に。各勤務帯の看護師の構成も検討が必要。入院病棟の場合は必要な人員を配置。配置基準は様々。7対1。看護職員の人数。35床で3交代制なら15名。日勤と夜勤への配置や職員構成。経験年数や能力をバランス良く。看護方式との関連も。チームナーシングでリーダーがそれぞれのグループで必要。最近は看護補助者の活用が進み夜勤にも。看護師の業務内容や勤務体制に影響。ケア提供体制の検討を。
看護業務の標準化。看護師の経験や能力に因る看護の質の差がないように。自由に放置すれば無秩序化することを秩序化。個人の認識に任せると看護のケアの差が大きく異る。業務基準手順やガイドライン。看護業務基準は行動の基準に。基盤として日本看護協会の看護業務基準集。看護実践の基準と。看護実践の組織化。看護実践の基準には責務内容方法が。看護師は何をどのように行うか。通常各医療施設でも業務基準が。その施設の特性に応じ必要な内容が。看護師が担っている役割に応じたものが。看護師長の責務や業務内容を。主任など役職者にも。これらの基準により仕事が何であるかを理解し他の立場の仕事についても理解。看護補助者の業務を勝手に認識して齟齬があると関係性を損なう。抽象的な内容で具体的方法は示されていない。必要なのは手順。日本看護協会の看護実践の内容の意思決定を支援。どのような場面で?医師から説明し同意するか。説明の場に同席して反応を把握し理解度はどうかなどをアセスメント。患者の何を観察するかなどを。マニュアルと呼ばれることが多い。医療安全対策マニュアル。患者確認。リストバンドで確認するなど。医療事故の対応としてどこに連絡するか。手順やマニュアルを作成するために指針やガイドラインが。物事を進める手引。医療安全推進のための標準テキストなど。日本看護協会や学会研究機関から医療機関共通の問題について公表。標準看護計画も一例。疾患別検査治療別、看護診断別など一般的な。敬虔の浅い看護師でもどのようなものか一定のレベルまでは理解できる。多くの標準化のツールがある。しかし標準化を進めることが個別的ケアを妨げるものではない。そのまま用いるのではなく患者の状態に基づき修正する。対象に合わせた看護ケアを提供することで一定の水準を保つ。看護管理者にとってはツールを管理することや作成修正すること双方が重要。日常の看護実践を確認するのが必要。書類でしかないのなら意味はない。確認可能な状態に。手に取れる場所に置くだけではなく。ゴミ箱に処理方法を。看護師がよく見る場所にポイントを提示。その内容を定期的に見直すことも。心肺蘇生法は頻繁に改定される。情報収集を行い古い知識に基づくものではないように。導入するだけではなく活用できるように基準化手順化を。
多職種を含む医療のプロセスで。医療は本来多職種で提供するので職種間の協働はケアプロセスの管理に。近年では協働するだけでなく地域の専門職などの協働も。多くの場合は異なる職種間の協働は努力が必要。医療において異なる職種が協働するのはチーム医療と呼ばれる。従事するスタッフが専門性を前提に協働して医療を提供。それぞれが専門性を持つので専門用語やアセスメントの方法に独自の知識を。医師や看護師でもすべてに共通理解があるわけではない。医学診断と看護診断の視点は異なる。患者状態についての多様な見方はより良いケアのために活用が必要。背景知識が異なるとコミュニケーションなどに努力が必要。互いに理解する機会が日常的ではない。意図的に互いを知る機会を持つ必要が。仕組みづくりが必要。連携協働を推進する取り組み。教育的取り組み。連携教育やアサーティブ・トレーニング。ツールが大切。クリニカルパスは一例。標準的な計画表。行うべきことが行われるように。それぞれの職種の関わりの記録。1つの記録媒体に一元化されるのが望ましい。カルテなどに。記録の形式もSOAPなどで共通認識を。職種間の日常的コミュニケーションにルールを。コミュニケーションエラーが医療事故では多い。薬で略称を使い異なるものに。聞き違いで修正の機会がなかった。発言内容を確認するルールを作り互いに守るのは有効。チームステップス。ヒューマンエラー防止のための。チェックバック。再確認。正確な情報伝達のために発信受領再発信を決まりとして行う。医師がアシックス20グラム静注。復唱して確認。正しいか返さなければならない。ルールとして定まっていなければ忙しかったり遠慮したりして確実ではないかも。ツーチャレンジルール。看護師が患者の状態に気にかかることがあり医師に。一度では気を止めないかもしれない。2回は伝える。もう一度伝えてみる努力をする。2回めの努力。2回伝えられた場合は医師も真剣に受け止め対応を考えなければ。トレーニングの一部だが双方で同じルールに基づき行動することで患者の安全が保障される。
組織間での連携や協働。日頃からの機会が少なく仕事の進め方が異なる。同じ職種でも視点が異なる。地域連携クリティカルパス。患者が退院して訪問看護を。そのサービスを提供する担当者がどんな情報を必要としているか理解を。入院中の経過や患者の希望などを記録に確認できるように。退院前のカンファレンスにケアマネジャーなどを。伝える機会やコミュニケーションを。実際の患者の事例への対応以外にも地域で携われる専門職が交流する機会を。切れ目のないケアを提供する努力を。
自分の組織内や関係ある人への協働についてツールを適用してみる。

 

看護管理と医療安全 (放送大学教材)

看護管理と医療安全 (放送大学教材)

 

 

不純。

俗に会社という組織の上司も様々な動機で働いている(私は会社員の経験しかないので行政組織などは省く)。温厚篤実な人間も居れば俗人のような人間も居る。その俗人でも自身の不純な動機を隠さないタイプも。通信工事の会社で営業部門のTOPを拝命していた人間もその中に入る。出世欲を隠さないし異性をゲットしたいと語っているし煙草をスパスパと吸うし酒も強い。こう書いていて私自身が好きになれない人種なのだが意外と話が合った。恐らく煙草を会社の近所で買いに行かされたのに関係があるのかもしれない。差し当たり喫煙を強制されないのも私が好感を持った理由だろう。

休刊日についての雑感。

何回か取り上げているけど、今日は新聞休刊日である。厳密に言うと前の日に新聞制作を休み、当該日の朝刊を発行しないということである。夕刊は発行される(最近は出さない新聞社もあるが)。新聞制作を休むと銘打っているけど、新聞各社のHPはずっと更新されている。なので機能を停止している訳では無いし、データベースdatabaseを提供している社では記事も配給される。印刷はしないが、系列のスポーツ紙は駅売のものが発刊されるのが多い。なので印刷関連の方もあまり休めないかもしれない。定期購読をされている方には朝刊が来ないので、新聞配達人は休んでいると思われる。まあ2ヶ月に1回程度だけど。それに近頃は新聞を購読しない方も少なくない。Internetで充分だということであろう。だからといって新聞社の影響力が無くなったということでもない。ネタ元は新聞社が提供していることも多いから。

まとめると印刷された新聞が朝にポストに届いていないと淋しいということになるのだろう。ただ購読料がかかるので無くても充分な人は多いと考えられる。