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「生きる力」と教科書問題(戦後日本教育史第13回)

槇原敬之は「世界に一つだけの花」を作ったことで後々まで語り継がれることになるのではと考える。

 

貝塚茂樹。生きる力と教科書問題。80年代の改革の制度的側面。臨時教育審議会の4つの答申。自由化と生涯学習に焦点を当てて。80年代以降の教育改革は教育内容の改革も焦点。70年代後半からの教育荒廃は80年代以降深刻に。対応であった平成元年版学習指導要領と平成10年版学習指導要領が掲げた理念と内容。新しい学力観と生きる力。教科書問題の整理と課題。
教育荒廃は深刻に。家庭内暴力。80年に予備校生が両親を金属バットで撲殺。受験競争の激化が背景。浪人生は84年には全国で20万人を越える。テレビ新聞の報道は受験競争を結びつける。両親の殺害の事件性より、受験競争がもたらした悲劇であると。過酷さを共有。非行年齢の低年齢化。81年に検挙されたもののうち半数は中学生が。82年の意識調査。学校の先生に殴られたことがある生徒は30%以上。殴ったことがあるのも1%以降。殴りたいと思った高校生は30%以上。暴走族の関与。校内暴力の背後に組織が関与しているケースがあると警察白書が。暴走族の数は4万人以上に。文部省は83年3月に全国の中学校の総点検をするなどをする。校内暴力の沈静化。反比例するようにいじめ問題がクローズアップに。深刻な状態に。86年2月に中野富士見中学校のイジメ自殺。このままでは生き地獄に。教師までもが加わって葬式ごっこを。いじめ問題の根の深さが。イジメにより自殺に追い込まれる状況であることが社会に認知。いじめ問題は90年代に入っても深刻さを増す。93年1月には山形県新庄市で体育館のマットに包まれ窒息死。94年6月には愛知県西尾市の中学生が自殺。実態把握が非常に困難、いじめ問題が表面化したときは自殺に結びつく場合がほとんど。イジメを苦にして命が絶つ問題が。
80年代以降に不登校と高校生の中途退学。適応出来ない生徒の増加。滝川和博。偶発的な要因ではなく営みの中の何らかの要素との関連の中で長期欠席が生じて葛藤や悩みが。70年代までは登校拒否と。意図的に学校を拒否、学校に行けない病理的な。無気力型情緒混乱型など多様。登校しないきっかけも学校生活や親子関係など複合的なのが殆ど。80年代以降は不登校という言葉を。全国における長期欠席者。80年代に急上昇。急激に増加した不登校は90年代も増加。不登校の児童生徒は90年には5万人を超える。かつて登校拒否とされたときは個人的要因の解決が求められていたが、充分な説明が出来ずに批判は学校教師に。受験競争の加熱化。病んでいるのは学校では?学校教育に問題が。むしろ正当な反応であると。92年。協力者会議。誰にでも不登校は起こりうると。不登校を個人的病理や社会的逸脱とする考えは鳴りを潜める。95年からスクールカウンセラーの配置の事業。99年からは教職経験者や大学生が不登校などの生徒の相談に。小規模校を除く全ての学校で。どの程度効果を及ぼしたかの検証は充分ではない。
教育荒廃が社会の関心を。教育内容にも影響を。人間化やゆとり路線。背景には教育荒廃の原因が受験競争の激化に。教育課程改革の基調は個性教育の推進などに重点が。教育課程審議会答申。自ら学ぶ意欲などの育成を。基礎的基本的内容の重視。自ら学ぶ意欲や個性を活かす教育。89年3月に学習指導要領が改定。自ら学ぶ意欲や新しい学力観。児童生徒の関心意欲態度を重視して思考力などの自己学力観。平成元年版学習指導要領のポイント。学校教育が生涯学習の基礎を培うもの。体験的学習や問題解決学習を。国旗国家の取り扱いを明確に。小学校低学年で生活科の新設。中学校で選択科目の履修幅を拡張して習熟度別のクラスを。高校の家庭科を男女必修に。中核となる新しい学力観。表現力や自己教育力を。個性化や意欲を重視する教育が。児童生徒が自ら主体的に学ぶ自己教育力のある人間を。支援が求められる。ひとりひとりに合わせた授業を。やる気を前提して。多くの学ばない児童を生み出す要因に。平成元年版学習指導要領の掲げた方向性は教育の本質と関係性を問い直す論点を提供。
95年4月に中央教育審議会に対して我が国の教育のあり方についてを諮問。96年8月の答申。ゆとりの確保と生きる力の要請。自ら学び主体的に判断する資質や能力。他人を思いやる心など豊かな人間性。ゆとりの中での生きる力の養成を。中教審が示したゆとりなどの。教育課程審議会は答申を。豊かな人間性や社会性。日本人としての自覚。自ら学ぶ力。ゆとりある教育活動。基礎基本の定着。各学校が創意工夫して。98年12月の学習指導要領の改定。平成10年版学習指導要領。高等学校については03年から全面実施。総合的な学習の時間の新設。授業時間や教育内容の削減。弾力的運用。高等学校の普通教科に情報を新設。総合的な学習の時間の設置は平成10年版学習指導要領の目玉。従来の知識体系の縦割り型学力に対し課題解決型の学力を。教育理念の象徴。時代の雰囲気。教育の動向にマッチ。03年の「世界に一つだけの花」。元々特別なオンリーワン。咲かせることに一生懸命に。個性重視の世代に魅力を。個性が無いことの反作用。少なくともこれまでの教育に個性が無かったという雰囲気が社会に。ナンバーワンにならなくてもいい。人間は比べたがる。一番になりたがる。1人ひとり違う種を持つ。それぞれの花を咲かせることに一生懸命に。多くの共感があったことは事実。ありのままの自分を肯定する癒やし。競争社会にコミットしない若者。個性的であることに高い価値を。平凡な自分には救われない。平成10年版学習指導要領。ゆとりの中で生きる力を育成。総合的な学習の時間の設置や教育内容の削減。歴史的に77年の学習指導要領以降、教育課程はゆとり路線へと。より徹底。内容。完全学校週二日制。児童生徒に生きるチカラを。各学校が創意工夫して自由に編成できる部分を拡大。学力低下を招くという批判が活発に。ゆとりか学力か。論議は学力自体の捉え方に。
教育改革が進む中で、教科書検定問題。様々な論争が。家永教科書裁判。80年代には大きな外交問題に。82年に起きた教科書誤報事件。6月26日に高等学校の教科書の検定結果が。多くのマスコミが歴史教科書の検定に付き。侵略が進出に書き改めたと。中国政府の批判。しかし修正した事例は無かった。文部省の担当官も繰り返し答弁。中国からの批判が止まらず韓国も批判、政府や外務省文部省で折衝が。総理の判断で官房長官談話、宮沢談話。政府の責任で是正すると。検定基準の改定を。官房長官談話を受けて教科書検定基準が一部改定。歴史的事象の扱いに必要な配慮が為されているとの。近隣諸国条項。教科書検定において事実はなく後に誤報とされたにも関わらず措置をしたことで議論に。教科書問題は続く。86年に合格した教科書の内容に異論があり。「新編日本史」。歴史教科書の記述は元来は国内問題だが外交問題に。87年の臨時教育審議会の第3次答申は、教科書の質的向上や個性豊かな教科書に。検定の簡素化などを。89年4月に検定の教科用図書検定基準などが全面的に改定。検定基準の大幅な簡素化などを。それにも関わらず教科書問題は継続。01年には「新しい歴史教科書」が検定に合格。従来の教科書が自虐的であると。中国韓国は近隣諸国条項に反すると対応を求める。教科書採択にも混乱を。教科書採択に至る手続は複雑化と乖離を表面化。問題点と課題を浮き彫りに。基本的には今日にも引き継がれる。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)