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昭和 束の間の充実の東京(政治学へのいざない第3回)

今回の講義は東京が題材だけど、阪神間モダニズムという文化が大阪にもあったことは協調しておきたい。東京の山の手文化とかなりの部分が共通だと思うけれど。

 

自然災害。関東震災。東京を破壊。絆を変える。23年の大震災。ハードもソフトも破壊し尽くす。馬場恒吾。9月1日は赤い日だった。申し合わせたように赤い旗。他の色を忘れた。印象は極めて強烈。昭和という時代は震災と共に始まった。記憶しているような錯覚。絶えず大震災の話を。遥かに多くのことの終わりを。天皇の治世が終わったというより。山の手への移動は既に始まっていたが、震災で加速した。下町の衰微と山の手の興隆。明治維新で首都が東京に。旧江戸の中心から発展しつつあった。郡部の人口は増加していた。行政区画の変更は行わていなかった。東京府と東京市の二重行政。永井荷風。帝都荒廃の光景。灰燼に。天罰。自業自得。震災の天罰論。流行に。芥川龍之介。不公平なるもの。公平な感覚を与えない。菊池寛。天啓はない。震災後は人間が悪くなったような気がする。享楽的な気分が。震災は1つの社会革命。社会革命とは?伝統がメチャクチャに。実力本位に。東京の復興は素早かった。バラックや露天が。バラック3万戸。たくましい東京市民。競争心が生まれて都市化の進行が加速。東京市民も享楽的に。震災復興。内閣が代わるときだった。内務大臣に就任したのが後藤新平。半年前までは東京市長だった。国政と市政を行き来する。ニューヨーク市政調査会に指導を仰ぎ、ドラスティックな大改造を。復興院の総裁に。40億円が5億円に縮小。首都改造計画を恐れた。政党論者ではなかった。個人的努力では多数の政党を納得させられなかった。しかしかなりの成果を。復興計画や東京市民の努力がマッチングした。昭和通り。水辺の公園。小学校の不燃化など。震災復興の過程で西への拡大を促進。軌道は寸断されたが、東京市の内側で外は大丈夫だった。郊外電車交通の復興も早かった。多くの東京人が郡部に移動し定住を始めた。復興のプロセスで東京の拡大を。東京一極集中はこの時期から。昭和東京史は膨張史。人口による都市膨張。私鉄の普及。全ての私鉄が出揃うのは30年。山手線の開通で有機的に繋がる。文化住宅や郊外の住宅。通勤電車でのサラリーマン。人口増が郡部でどんどん進む。西に伸びる原動力となったのは私鉄各社。スローガン。職住の分離革命。サラリーマンの生態が見えてくる。創成期の私鉄には政党政治が影を落とす。政治のプライド論。田園都市会社のキャンペーン。安全地帯。広々とした大公園。大学などは宅地開発の促進を。自動車の導入。軌道をずたずたにされて回復が遅い。待ってはいられないので応急の交通手段として。電気局はT型フォードを。乗合自動車の始まり。荷物の運搬にトラック輸送が普及を。昭和初年の東京は自動車時代に。道路は同じだったので走りづらい、インフラの隘路に。戦後に発展。都市化の進展。消費生活を開けたもの。デパート。震災までは下足を預ける方式だったが、履物のままで。土足革命。靴革命。脱がなくて済むのは小売店にも。陳列の仕方にも影響を。大量消費時代を予測させる。戦後になって出てきたものではないのか?大衆社会論や都市化といった社会事象はこの辺りから先駆的に出揃っていた。復興の記念祭は30年に。震災復興から、32年には五・一五事件。国政の政党政治の終わり。興隆する山の手は神奈川県へも。是正してくれという話が。府市合併。郡部の行政区画の変更を。郡部はなんとしても東京市に昇格したかった。東京人への憧れ。32年。五郡部の編入で大東京に。文化的側面も。巨大な東京市。ずるい行為でニューヨークに拮抗しようとしている?編入先の東京市民も。旧十五区。市内とは見なかった。一種の差別意識。山の手の住民は。官吏や軍人、サラリーマン。職住分離に相応しい。新興の東京人との文化的差異。山の手族。それぞれの故郷を背負っても、下町の人のように東京に根付いてはいなかった。あまり親しみを感じなかった。東京人に憧れていたが、伝統的東京人ではなかった。生活の為に東京に住んでいた。子どもたちは元来東京人のはずだが、両親たちによって美化された故郷を住まわした。私鉄会社の沿線開発により消極的な東京イメージに尽きた?別の東京イメージを活かせなかった?昭和10年代。山の手文化という地殻変動が起こりつつあった。回顧談を色々と読んで見る。点が線になっていく。自己完結した文化の形態。外との接点も。本間千枝子。戦前の昭和、東京には落ち着いた文化、生活のパターンがあった。束の間の充実。中産階級に。少なくとも日米戦争が始まる前までは。具体的には?生活を機能化しようという試みなど。戦後40年の高度成長期にあったものは、既に戦前の東京に存在していた。家族を取り仕切る父親の姿だけは違うが。家族一緒に食事を。家長としてのお父さん。山の手文化にはあったもの。子供部屋があてがわれた。向田邦子。昭和戦前の状況を描いたものが多数。家長として君臨していたお父さんなどがよくドラマ化されている。子供の生活ぶり。江戸川乱歩。少年倶楽部の少年探偵団。文化住宅に住んでいる。家があって電車で通い、子供部屋がある。点在して線になったが、面にはならなかった。東京大空襲によって。戦後に西側への拡大が。田園調布線の沿線開発を。戦前に花開いた。銀座によく食事に行ってごちそうを食べる。昭和20年代は食べるのもままならなかった。後半でも食えない日本とした。可視的に変わったのは高度成長期に。東京オリンピック。山の手文化が蘇る。古いものが。公団住宅。戦後に復活しなかったのは家長としての父親。全ての情報は父親から。父親の肖像は消えた。何処へ行ったのだろう。家庭の居場所が無い。戦前が懐かしい感じがする。

 

政治学へのいざない (放送大学教材)

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