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日本バレエの歴史と文化的根付きを探る。アンナ・パヴロワから始まり、少女漫画としてのバレエの影響、帝国劇場での初演から現代への発展まで。(舞台芸術の魅力第5回)#放送大学講義録

-----講義録始め-----

 

日本でバレエを根付かせたのはアンナ・パヴロワです。日本では慣例的に「エリアナ・パブロバ」と呼ばれてきました。彼女は日本バレエの母とされ、彼女の弟子たちが戦後に日本のバレエ界をリードすることになります。戦前はバレエよりもむしろモダンダンスの方が盛んでしたが、終戦後、まだ東京が焼け野原だった1946年(昭和21年)、帝国劇場で『白鳥の湖』が日本で初めて上演され、大成功を収めました。何と2ヶ月間毎日上映されたのです。現在、白鳥の湖を2ヶ月間毎日上演できるバレエ団は存在しません。それ以来、日本のバレエは着実に発展を続け、バレエ大国となりました。ただ、我が国では舞台芸術や娯楽としてよりも、むしろ習い事として普及したというのが日本のバレエの大きな特徴です。

また、少女漫画の歴史を見てみると、1950年代からバレエは少女漫画のお気に入りのジャンルでした。半世紀以上前から、バレリーナは少女たちの憧れの的でした。バレエを扱った少女漫画はおびただしい数ありますが、その中でも特に傑出した作品が山岸涼子さんの『アラベスク』です。1970年代に少女漫画雑誌に連載されました。山岸涼子さんはその後21世紀に入ってからも『ダヴィンチ』雑誌に『テレプシコーラ』というバレエ漫画を連載し、漫画界最高の賞の一つである手塚治虫賞を受賞しています。『アラベスク』は旧ソ連時代のバレエ界を舞台にしており、『テレプシコーラ』は現代日本のバレエ学校を舞台にしています。

今回は実際のバレエレッスンの風景をご覧いただき、またゲストを交えて日本のバレエについて考えてみました。バレエが日本に紹介されてから約100年、その間に日本のバレエは大きく成長しました。今ではもう、海外のものを日本人がやっているというだけではなく、日本の芸術文化の一部にしっかりと根付いたと思います。今後、さまざまな問題点、例えばバレエは非常にお金がかかるという問題がありますが、それを乗り越えて日本のバレエがこれからどのような発展をしていくか、皆さんと一緒に見ていきたいと思います。