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日本はバレエ大国で、多くの国際的なバレエ団が訪れ、国内のバレエ人口も多い。明治時代に帝国劇場建設と共にバレエが導入されました。(舞台芸術の魅力第5回)#放送大学講義録

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レッスン風景、いかがだったでしょうか。私もやってみたいと思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。さて、日本はご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、バレエ大国と呼ばれています。これには二つの意味があります。一つは、世界の超一流の有名バレエ団が毎年いくつも日本を訪れて、私たちはその場にいながらにして世界の様々なバレエを見ることができるということです。もう一つは、実際にバレエを習っている人たちの数が非常に多いということです。昭和音楽大学バレエ研究所が調査したところによると、ざっと日本のバレエ人口は40万人と言われています。こんなに多くの子供たち、大人の方もいらっしゃるわけですが、それだけの人数がバレエをしていることは世界広しといえども珍しいことです。また、バレエ教室の数、バレエ学校の数、そしてバレエ団の数も非常に多いわけです。

しかし、もちろんバレエというのは元々日本にあったわけではありません。ヨーロッパで生まれ、ヨーロッパで育ったものです。では、それがどうやって日本に伝わってきたのでしょうか。話は明治時代にさかのぼります。明治時代には、西洋のオペラやバレエができるような劇場を作るべきだという話が盛り上がり、政界、財界の人々が集まって、1911年に帝国劇場が建設されます。そして、その翌年、オペラとバレエの指導のために、ロンドンからジョバンニ・ビットリロシという人が招かれました。この人が日本に初めて本格的にバレエを紹介した人物です。話が少し前後しますが、この帝国劇場はその後、松竹のものになったり、東宝のものになり、一時は映画館として使われていましたが、現在は新しい建物に建て替えられて、同じ場所に演劇の劇場として現存しています。明治の終わり頃からこのバレエが紹介されて、当時はトウダンスやつま先舞踊と呼ばれていましたが、1916年、大正5年には朝日新聞に連載された夏目漱石の作品の中にも「バレエ」という言葉が出てきます。つまり、その頃にはすでにバレエを教える教室が1つや2つではなく、何箇所かあったと想像されます。このことはまだ詳しいことはわかりませんが、この時代にいきなりバレエが日本に定着したわけではありません。