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各論11・戦後のソ連化(日本政治思想史第14回)

中央線や西武線や東急線の比較は面白かった。関西圏も似たような分析が可能かもしれない。

 

原武史。戦後のソ連化。戦後の冷戦自体の超大国。日本は西側陣営の一角に。アメリカ化だけで考察は出来ない。ソ連の体制イデオロギーだった社会主義、マルクス・レーニン主義が。下部構造にあたる住宅や鉄道などのインフラがソ連と似た形で整備される。ソ連は戦勝国でありながら、ナチスドイツにより国土を蹂躙される。深刻な住宅不足。集合住宅で賄う。作られた時期。ほぼ日本と同じ。東京や大阪の郊外、モスクワとサンクトペテルブルク。3階から5階の団地。東欧諸国でも。アメリカでは集合住宅はない。モスクワでは地下鉄の建設が。フルシチョフ時代に一層進む。郊外に団地の建設も進む。モスクワの郊外。57年から団地の建設が。62年には地下鉄の駅が開業。ソ連では自動車の所有が認められていなかった。労働者は地下鉄で都心に。東京や大阪に似ている。東京のひばりヶ丘や大阪の枚方市。鉄道で都心に。都心のターミナル駅の乗降客の数が激増。明治以来鉄道が発達して自動車の普及が遅れる。高速道路は60年代まで出来なかった。アメリカとは対照的。日本はソ連に近い。55年。翌年に日ソ共同宣言を。日本住宅公団が出来る。鉄筋コンクリート製の大量の集合住宅を。団地。団地の先進国のソ連に視察させる。ソ連を意識する。団地は2DKが主体。水洗トイレやガス風呂、シリンダー錠などが完備。最新鋭の住宅。非常に人気が高く殺到して抽選に。運良く入れた人は憧れの眼差しで。団地族。プラスの意味が。奇妙なことに。アメリカは団地がなかったにも関わらず。最もアメリカ的なものとして。家電整備が完備していた占領軍の家族用住宅の記憶が。団地はコンクリートの壁でプライベートが確保し家電の普及率も高かった。60年の9月に皇太子夫妻が東京のひばりヶ丘団地と武蔵野緑町団地を視察。アメリカに行く前に最もアメリカ的な住宅を。団地住民は自由民主党より日本社会党の支持をする傾向が。住民が何千何万人も同じところで。団地は血縁や地縁が薄い。新しい勢力の支持基盤となるのに有利。非常に意識したのが日本共産党。60年代になると団地に細胞や支部を作る。支持基盤になる。インフラだけでなく、中に住む人々もソ連に近くなる。団地の生活。59年に東京都の北多摩郡に秋山駿が団地に入居。暮らしが一律の光景を。他の部屋にも適合。水声や人の声が。掃除洗濯買い物夕餉の団らん。洗濯機の置き方も同様。似ている24の同じような人が同じような生活の光景を。飽き飽きする。団地というのはどの世帯も同じ間取りで同じライフスタイルが。非常に恐ろしいほどに平等主義的。社会主義との親和性が。
ソ連の歴史。12年に分裂してボリシェヴィキが。レーニンが指導して17年にロシア革命が。19年に共産党と。ソビエト社会主義共和国連邦が成立。その後、スターリンの下で連合国の一員として戦う。戦後は超大国になる。東側陣営の中心に。冷戦体制が続く。ソビエト共産党による一党独裁が91年まで続く。戦前から無産政党と日本共産党があった。戦後は日本社会党に受け継がれる。日本共産党も合法化。長い社会主義の伝統があり、一定の支持を得る。日本社会党。47年に第一党。党内では右派と左派の対立を抱える。社会民主主義をモデルに。議会で社会変革を。議会主義を否定して革命を。水と油。51年からは右派社会党と左派社会党に。55年に合同する。自由民主党のきっかけに。日本共産党。戦前の弾圧から。徳田球一をメインに。綱領は社会党より急進的。46年の5月にはメーデーが開かれ、徳田球一が天皇の住む近くで天皇制廃止を。35議席を獲得して社会党に迫る。翌年の50年には所感派と国際派に分裂。徳田球一や野坂参三が所感派に。武装闘争路線に。暴力革命を目指す危険な政党というイメージに。52年には議席が0に。55年に国際派の宮本顕治らが和解。極左冒険主義として否定。平和革命路線への転換。六全協。党のイメージの革新を図る。赤旗の日曜版や赤旗まつり。手塚治虫が連載をしてまつりでも講座を。新日本婦人の会が結成される。60年代になると支持を飛躍的に拡大。72年になると39議席に増加する。党員数も66年には28万人に。70年には30万人を突破。赤旗も300万部を突破。統一地方選挙でも社会党との共闘で革新自治体が次々と。70年代には保革伯仲の時代に。
新左翼。55年の六全協での方針に反発して新左翼が。革命的共産主義者同盟。大学生が中心となり58年には共産主義者同盟、ブントを結成する。暴力革命を。共産党はトロツキストと非難。極左団体と。60年安保闘争では新左翼は実力行使で社会的注目を。しかし敗北で四分五裂に。革命的共産主義者同盟を母体として新たに中核派と革マル派などのセクトが。社会党から離れたセクトも。日本共産党や社会党を既成左翼と呼び非難する。大学生は山手線の内側の木造賃貸アパートに1人で住んでいることが多かった。そうすると核家族を対象とするようなコンクリート製の団地に住むことは勿論出来ない。新左翼の学習の多くは大学に通い木賃ベルト地帯に住む傾向。学生闘争。68年になるとセクトを越えた運動として全学共闘会議、全共闘が結成。山本義隆が東大では議長に。丸山眞男を批判。定年前に東大を退職する。中央線沿線の。東京の郊外に団地が多く建築された鉄道として西武鉄道を。池袋や新宿から埼玉県などを。中央線と比べ開発が遅れたが、ソ連的な風景が。新所沢などの駅が。西武グループの総帥が堤康次郎。60年安保闘争では安保改定を進める岸内閣を賛成する。西武沿線に新団体が相次いで生まれる。中央線との共通。単なる安保反対ではなく、同族経営を続ける堤康次郎への反対運動でもあった。西武という巨大資本に搾取されるという構図があった。社会主義的民主主義を。2DKの賃貸が中心。定住は考えられなかった。しかし68年から建設された滝山団地は違った。西武沿線でも大規模。3DKや3LDK。持ち家として購入。流動性が低い。共産党が着目。重点地区として支部を作っていく。住宅公団の団地。初期は画一的でないものもあった。道路もカーブさせたり。景観も変わる。滝山団地が5階建ての中層フラット住宅に。極めて同質的に。西武バスに乗らないと西武の駅に行けない。運賃値上げに反発。都心に行くサラリーマンと専業主婦。小学校が地域の中核に。75年まで住む。07年の「滝山コミューン1974」。ソ連の教育学者の集団主義教育から影響を受けた教育運動が主流に。主婦も積極的に支持。74年が1つの頂点に。ソ連的住宅に住む子どもたちがソ連的な教育を受ける。ソ連化の極北に。
15年からのSEALDsの奥田愛基。一橋のある国立の雰囲気。西武線について。そもそも西武線には?あまり乗ったことがなくイメージもない人が多い?西武沿線の光景が浮かばない。JRの方が太く書かれている。地図的に目立たない。かなり近いところを走りながら風景はかなり近い。団地と親和性がある。団地の名前が駅に。今の団地の光景。団地の時代は長続きしなかった。70年代前半にピークが。段々と下がる。残るのは老夫婦だけという世帯が増える。団地の人口が減っていき共産党の勢力も弱まる。創価学会が団地部を作り進出するのが70年代以降。都営住宅が中心だが支持を拡大。今やどの団地も深刻なのは住民の高齢化や建て替えの問題が。西武沿線もひばりが丘団地が建て替えられ別の名前に。例外的なのは滝山団地。現在もほぼそっくり出来た風景が。商店街や小学校も。60年代後半の光景のそのままの貴重な風景。西武沿線っぽい。変化を拒否する。東急沿線は日々新に変わる。政治風土も違ってくる。田園都市線。一戸建て主体。丘陵地をならしキレイな住宅街に。未だに人口が増え続ける。新保守。自民党では無いが。住宅がどのようなものかにより政治も違ってくる。

 

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