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市民の政治活動(ロシアの政治と外交第10回)

ソ連時代と様変わりしたことがよく分かる。

 

横手慎二。何処の国でも市民の政治に対する影響力は限られる。通常は政治家や官僚などに。選挙がきちんと機能していれば、政策の実現を政治のプロに委ねる。多くの場合は関わりは終わり。後はマスコミをフォローする程度。しかし市民は自分の出来る範囲で政治に関わるか、一切関わらないことを。積極的に現状を変えようとするか。自覚しなくても重要な部分を断念する。日本の多くはソ連時代の人々について信用していないので政治に関わることを断念してきたと?半分正しくて半分間違い。ソ連時代では選挙などで公然な反対は殆ど不可能だった。まったくなかった訳ではないが。逮捕されたり。ソ連共産党などの批判は許されなかった。逆の行動はあったが。指導的人物に言われて。ときには自発的だったが。政治に関わる人も選択できなかった。しかし言われて義務的に参加していたことは多く、時には自発的だった。モロゾフという政治家の墓に感謝の手紙が。86年か87年。非人間的事件に。驚く。ソ連社会の中には尊敬する人も。ソ連市民が全ての指導者を信頼していなかった訳ではない。適切な政策をしてくれると信じていた。政治のプロに委ねて充分だと考えていた。日本の市民と同じ。ソ連市民は公然と批判は許されなかった。憲法に規定。社会主義体制を強化する限りで言論の自由が。そうでないと認められていなかった。ソ連共産党で一定の枠内で議論を。コムソモールに入れてくれて枠の中で語り合う。大規模な組織だったので多くの人が入っていた。政治的関心も持っていて少しだけ自由も広がった。70年代に成ると非公式の集団が活動を。政治活動とは無縁だった物が多かった。環境問題や宗教問題などに関心を。ソ連共産党の意向を無視。非公式集団の若者は後を絶たなかった。ゴルバチョフは少しずつ自由を。86年位から読書会などが自然発生的に。多くの人は手探りで許容範囲を探っていたが。選挙として機能していない、政治のプロを信頼しない人も。一部の市民は政治に関わる。若者や市民は一度も経験がなかったので社会問題に時間がかかることを理解していなかった。たちまち解決できると素朴に。87年に転機が。明確に政治的目的を。87年には非公式集団が3万も。そのままメモリアルのように活動するのは稀だったが。政治的活動の制限は過去のものに。社会主義を一緒に考える。イデオロギー状況。ソ連体制の革新を。硬直的でないと表明すると。ロシアナショナリズムなど。共産党内部にはゴルバチョフの解釈についていけないものも。少民族の問題。89年。人民代議員大会を。選挙戦が。一般の人々の関心が高まる。5月から人民代議員大会。非公式集団は数百万人までに。最初こそ単純な論点だったが、次第に論点は複雑に。多様なイデオロギーが絡み合い一般の市民にはついていけない。政党らしきものを作って政治のプロに。あくまで普通の生活を続けて出来る範囲で政治的活動を。仲間たちと社会的問題に絞り活動を。政党を。宗教問題環境問題人権問題性差別問題など。社会生活の混乱が。87年に比べて犯罪件数は10%増大。様々な理由から政治運動への参加は減少傾向に。市民の活動を見るか。ゴルバチョフの観点では政治的自由化を。しかし市民の立場では目覚ましいものではなかった。市民運動の組織性は乏しく。活動的市民の側も組織化出来るだけの力量がなかった。非公式集団は分散的に。流動的な状態であった時にクーデタが。
91年以降の政治活動。世論調査。モスクワ以外では比較は出来ない要素もあるが。政治への市民の関心は90年に大きく低下。91年には33%の人が大いに関心が。93年には8.8%に。大部分の人は政治に関心を抱かない。理由としては信頼の喪失、生活の悪化など。エリツィンに大きな期待をしてインフレを。政治への幻滅感。ソ連時代の極度の制限。妥協はつきものという思想がなかった。国民にわかるほどの成果が上がるのは時間がかかることを理解していなかった。反面、市民の政治活動だけではなく社会活動も含めると。00年までに342の市民グループを。全体の57%は92年以降に設立。地域別に。ロシア地域で活動したものだけを集計。設立時期は92年以降に。一般的な政治活動は全般的に低下。人権問題や環境問題などの市民の活動は退潮期ではない。市民団体。環境運動に関わる団体。ロシアの環境運動は昏迷状態になったが、90年代なかばまでに団体は増加。89年にアルメニア人とアゼルバイジャン人が対立した時に避難民の支援を。90年代は組織が全国化。女性問題の団体も。ゴルバチョフの改革が進むと抗議運動などを。家庭内暴力などに取り組む活動を。90年代は市民の社会活動まで含むと退潮期とは言えない。90年代は市民活動が。市民組織は様々なレベルの行政機関と協力して。資金の不足や協力の経緯から。外国の財団などから資金援助を。女性を主体とする運動では顕著。92年から00年までに環境問題を巡り住民投票の要請が。86年にチェルノブイリがあるのと無関係ではない。原発の住民投票で反対が多数に。ロシアの場合は司法的解決より好まれる。89年に学生の徴兵に反対する団体。ロシアの家庭には子供は少ない。兵士の母委員会。94年のチェチェン問題。軍隊内でイジメにあった兵士に対し恩赦を要求。逃亡兵の内の3分の1が刑事罰を免除。マスメディアで好意的に取り上げられて影響力を。マスメディアでよる増幅効果が生じる。市民の活動を支えるために諸外国から募金を。95年に設立した支援センター。団体の中には米国国際開発庁なども。オープンロシアという慈善団体。社会的イニシアティブ支援センター。コンクールを行い資金を供与。外国からの援助金を受け取る。プーチンは慈善活動に関心を。センターの活動は潜在的回路に。
ウクライナ問題。ロシアに編入。ナショナリズムの高揚。政権と距離を取る市民活動は困難に。外国との対立。ロシアの市民は簡単には動かない?不透明なまま。

 

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

  • 作者:横手 慎二
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2015/03/01
  • メディア: 単行本