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変動後の社会と政治文化(ロシアの政治と外交第15回)

世論調査を根拠にして政治論議はできていないように感じられる。まあ日本についても為されていないけれど。

 

政治文化。政治的態度や結果に影響を。政治意識。持続的ではない。政治に関わる価値観など。政治意識で長く続いているもの。政治文化は変化しないものではない。歴史的事件などで変わる。国民性という不変のものが代用に。ここでは違うと。過去30年余りの変動。変わっていく価値観を想定する議論の方が説明力が高い。政治制度の変化。社会が安定するかどうか。
肝心の政治文化。どのように把握するか。ロシアの場合には世論調査が実施されなかった。選挙への態度も額面通りに受け取れなかった。まともな議論ができない。長い間ソ連国民の政治文化。文学作品等の表現されたものから。外交官や特派員の経験。85年にゴルバチョフが書記長に。政治に関わる度合いが高まる。静態的になる。世論調査を専門とする学者が登場。91年のソ連崩壊後は懐疑的な人が多かった。露になっても政治権力が操作している?意識調査が権力に抗しつつ行われてきていることが明らかになった。60年代から意識について専門的研究を。80年代になってから注目を。ロシアには沢山の世論調査をする機関が。独立して活動するのは欧米では珍しくない。欧米の世論調査会社も調査している。調査会社の調査を利用して比較的持続している要素を。歴史学的思想論的な?それだけでも理解を深めることが出来る。
政治制度への信頼。ロシアへの移行期に注目。ロシア人は新たに登場した西側の政治制度をどう考えている?94年の調査結果。大統領。最高ソビエトなど。信頼しないと答える回答が多かった。国民が選挙で選んだ代表や政党に不信感を。ロシアに政治制度が根付くかが疑問に。98年から00年代にかけての連続した調査。04年以降では大統領を信頼すると答えた人が多かった。政府への信頼度も上がった。間接的民主主義を受け入れた?全体的にアンバランス。制度に対する信頼でなくプーチンという個人への信頼?07年の調査。憲法の規定で08年にはプーチンは大統領を辞めるが、その後の選択肢は?プーチンの人気は高かった。続投を主張する識者も。ロシア国民の44%が自由な選挙に。制度は制度として守るべきという意見が多かった。この結果は民主主義が根付くと断言もできない。08年の選挙。後継のメドベージェフが勝利。制度は形ばかりのものに?政党への信頼の低さ。いつも極めて低いが。何処の国でも政党の評判は芳しくない?政党は多くの制度の中で最下位に。政党と聞くとソ連共産党を連想するから?否定的。統一ロシア。ペテン師の党と。現在のロシアでは議会に国民を繋げるものとして政党が理解されていない。
新しい政治制度についての態度。日本と異なる。関連する調査。エリツィン大統領。10年20年の単位で。01年と11年。国民は二分。改革に不安を抱く者と肯定的な者。支持者は増えているが不安を抱くものが多数派。改革のおかげでソ連体制という圧制から解放された?それほど単純ではない。誰が改革に肯定的で否定的か。ロシア社会の中で改革を支持しているのは、大都市に住む、若い世代の、高学歴の。民主主義的改革は資本主義化を支持。不満を持つのは、僻地、41歳以上、低学歴。社会的上昇の機会を掴みづらい。勝ち組と負け組。改革に不満を抱く人は?望ましいという方向を。基本的に市場主義を。中国型。チリ型。70年代から独裁が続き経済が成長。社会主義の体制を維持。2つはほぼ拮抗。欧米型の社会。その価値観の人は多数派になる?改革に意外と多くの人が不満を。社会層として存在。改革全体に対する国民の態度の分割。経済システムへの国民の意識。97年から12年まで、社会主義的経済システムと私的所有のシステム。どちらが正しいか。ずっと社会主義的の方が正しいと答えている人が多い。疑問を感じる人がかなり居る。貧富の差などの社会問題が。経済生活における国家の役割をどのように考えるか。経済面での国家の役割に特徴的な?ソ連自体の政権と国民に暗黙の約束が?就労の世話や無料の教育などの世話。忠誠や服従の態度を。エリツィン改革は国家依存を断ち切ろうとする。国民の半数以上は国家の関与を。行き過ぎと思っている人は殆ど居ない。99年から11年。半数の人が全ての市民の福祉的水準を維持すべき。ロシア国民は経済弱者に限るべきという意見を支持していない。今もなお国民のかなりの人が国家が深く関与すべきという考えに惹かれている。大きな役割を肯定的に。市場経済の導入のエリツィンの不人気と符合。プーチンは国家による社会的経済的保護を。00年から8年間に賃金の不払いはなくなり年金は2倍以上に。失業者は半分に。プーチンは上昇を公約。国家の役割を限定する意見は支持されない?政治文化を捨てていない。育まれた政治文化は維持されている。新たな体制との併存。社会の中の保守的多数派のとおりに支配を。
政治文化の。対外政策についての。外国に対するイメージの問題。頻繁になされる。何処の国と協力体制を?ドイツ・フランス、ウクライナベラルーシなどが上位を。中国インド日本はそれより下位。14年にウクライナ危機が。大きく変化しているはず。短期間に変化するもの。国民の意識に着目。大国という地位の意識。ロシアは古くからヨーロッパの大国として大きな役割を。過去に誇りを。軍事力で測ってよいのか、という疑問が60年代から。都市部では西側諸国へのあこがれが。国内生活を重視する。特にゴルバチョフ登場から。ソ連軍を送って動きを阻止はしなかった。社会問題の克服に集中。エリツィンの時代にも。90年代後半から変化。大国への意思を。ロシアは超大国の地位を回復すべき。圧倒的にYES。ロシアは大国かどうかの判断は微妙。自分たちの国は大国として復活した?石油価格の高騰より前から。超大国の地位、という質問。ロシア国民の多くはかなり拘っている。では軍事大国を目指している?03年から11年。どのようなロシアが望ましいか。高い生活水準の国、という回答が多い。大国は軍事強国に非ず。国民の態度ははっきりと二分。この亀裂は簡単に解消されない。生活水準は低いという認識。軍事大国であるべきという意見も根強い。外交的に対立。武力回避を選択するかは微妙。悪化させない程度の強硬姿勢?対外政策と国内政策の双方。ロシアの未来。自由民主主義を受け入れていると言えるかは微妙。将来のロシア国家として望むものは?ソ連型。西側的国家。独自の体制。将来像として一定の意見があると想定した選択肢。政治的意味を持つ。3者の中ではソ連型が一番低く、4分の1以下。西側的な国家と独自的。各々3割以上。曖昧でも人気が高い。ロシアにはどのような民主主義が必要か。欧米の発展した国。昔ソ連にあった民主主義。民族的特殊性。ロシアには必要ない。05年から13年。民族的特殊性が一番高い。独自の体制。ロシアの未来が。プーチンが社会主義に戻ることを否定し、特殊な方向に。ロシアには第三の道が。政治や社会の転換期。転換前の社会の状況。政治指導者の意図。欧米的社会を目指す。社会の反応。多くの人がロシアには向かないと考えるように。ロシアの条件に合った民主主義を。どちらの説明が正しい?ないものねだり。欧米型が必要のように外国からは見えるが。

 

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

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