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政治と官僚(ロシアの政治と外交第9回)

行政組織への監督が上手くいかないのはロシア連邦も同じだと感じた。

 

横手慎二。政治と官僚。官僚についてはマスメディアでも活動の情報が手に入らない。正面から取り上げる事ができない。実態が今ひとつ不透明。しかし無視は出来ない。
官僚というと?一般的には行政に関わる。対応する範囲は国により異なる。国民の生活の何処まで関与するか。住居の提供まで?アメリカは守備範囲が狭い。アメリカでは日本やフランスの官僚ほどは大きくない。対応するように日本やフランスが優秀な学生が目指す。ロシアの場合は?ソ連体制の場合は国家は国民に対し就労の世話から無償の教育の世話など様々なserviceを。忠誠心や服従を求める。ソ連は経済を管理してserviceを。ソ連の行政は大きく、官僚の役割も大きかった。国家の活動は市民生活の多様な。少なくとも管轄領域で実施する段階で大きな影響力を。意図的に目的を歪曲して実施した?資料は手に入らない。現在も情報が不足している。活動はしていただろうが。全体としてプロセスが不明確。国民は内部の議論が何も分からない。30年代以降は政治の内幕が明らかでなく。最高政治指導グループの議論も分からなかった。現在でも官僚の活動の資料の開示は遅れている。別の側面。官僚批判の問題。ソ連時代には官僚の批判がマスメディアで取り上げられていた。ロシア革命から30年代のソ連。官僚はボスからも一般大衆からも批判された。介在する官僚の愚かさなどで適切に政策が実施されていないと。一般大衆は官僚の身勝手で横柄な対応で苦労させられていると。当時のソ連の風刺雑誌には頻繁に批判が。市民たちは賄賂を持っているとか私服を肥やしているとか手紙を書いて善処を。批判の的だったにも関わらず役割が増大。福祉国家は官僚の役割が。官僚批判は事実という立場。管理権を乱用していた?官僚をスケープゴートにしていて根拠が無かった?時期によっても領域によっても異なる。多くの研究者は両方とも事実と。職域で権限を濫用。しかし身代わりにも。官僚の資料は乏しい。更にソ連時代の官僚の問題。ソ連体制ではソ連共産党も独自のヒエラルキー的組織を。行政に携わっていた党組織。正規の国家機関などと並行する形で共産党の組織が全国に。共産党中央委員会には20の下部組織が。機構で働く人だけで数千人。地方の党組織でも。党官僚の重み。通常は党組織で出世したが、党組織と国家組織を渡り歩いてキャリアを積む人も。党組織と国家組織は深い関係があった。それでは国家官僚と党官僚の関係は?具体的には国際部の党官僚と外務省の関係。簡単ではない。制作決定のプロセスが不透明。両者の関係が明瞭になればプロセスも明瞭になるが、それが不完全。崩壊後に回想が幾つか公開されている。50年代以降では党官僚が国家官僚を一方的に指導していた訳ではない。全てを党官僚が決めているのは表向きらしい。協力関係やライバル関係にも。党官僚が監督役だったのはあるが。中央委員会機構。経済分野で部局が組織。平行業務などがあって国家官僚の動きが分かるように。党官僚については説明責任が。目を意識せざるを得ない。協力関係。同じ政策の実現を図る。国際部と外務省はライバル。人事面ではノーメンクラトゥーラという職務の一覧表が。重要な国家機関の業務の一覧表。国家機関を支配しようとした。重要な職務を定めておいてこれという人材を任命。ノーメンクラトゥーラというのは特権的な地位に居る者とも。全体として共産党指導部は優位。国家を支配する組織であったが国家官僚を通して支配。共産党の理念はあくまで社会主義の発展に関わる。ユニークな党官僚を意識して働かざるを得ない。共産党の一党支配から脱する状態。ある者は経済部門で副業を。官僚としての専門知識を利用して実業家に。大金持ちは官僚出身も少なくなかった。
90年代初頭から官僚組織は如何に再生されたか。連続性の問題。全く異なる人々が?ソ連時代の官僚が残った?国家統計局の資料。官僚の職歴をまとめる。ロシアの官僚は5段階に。大臣次官局長次長。官僚の職歴を見る。01年の時点で15年以上勤務した者が48%。官僚としてとどまる続ける連続性。何よりもゴルバチョフ時代の官僚は自身の日常業務について国民に情報を開示する意識はなかった。国民を指導する意識を持つ。そこで大きな問題は、官僚の行動を誰がチェックしていたか。党官僚の監督下から、監督者が消えていった。イデオロギーに囚われることなく説明をしなければとは思わなかった。ゴルバチョフは党から距離を置くよう求めたが。官僚の振舞へのcheck。マスコミが世論を。90年代の状態ではその力はない。議会の議員も同様。監視する役割の人が何処に居る?給料の遅配。副収入を。ハスキーは勝手に権限を強めていたと。収益源の確保に。一般に非公開なので論証は不充分。規律が乱れていたことは疑いがない。エリツィンも官僚に不信感を。指導部は国家建設委員会を。行政改革へ。プログラムの策定の為に学者グループが。91年9月に文書を。画期的内容。公務員は効率性を。市民のために働くように。官僚と国民の関係を改める。エリツィンも理解を示して教書の中で競争的雇用の導入などを。この時点では改革を実施する力は無かった。98年には経済危機が。戦略研究センターでは検討の作業が。ゲルマングレフ。経済的混乱を考えると古い官僚機構をそのままにしていては経済発展はないと。01年の大統領教書に規則を止めるように。規則の削除を。この時期にはプーチンだけではなく。汚職防止メカニズムを。国家勤務改革の概念。一連の措置を。官僚の汚職の問題を認識。03年の法律。職務の構造。公開の選抜試験など。改革は一定の成果を。オボレンスキー。改革は実質的に終了と。03年から05年の改革。官僚たちを批判。予定表を定める。しかし骨抜きに。官僚たちの舞台裏の抵抗。官僚を国民の公僕にするという目標は実現したとは考えられない。官僚組織に国民への説明は実現しなかった。元々官僚と国民の関係まで踏み込んだ改革をしなかった。経済改革が先。03年になると国家財政に好転の兆し。待遇を改善して懐柔することが出来た。政策への協力を。08年までに官僚の総数は増大。汚職の減少も見受けられない。07年の夏までに停滞。仕事のstyleに変化を見出すことは困難。官僚は150万人に。自尊心の増大。新たな階層を。そのまま事実とは断定できないが、
メドベージェフの改革。11年12月の時点で世論調査の結果が。過去数年で国家に勤務するものにserviceを期待されたか。圧倒的に良くない結果。極東地域やモスクワなどが悪い。収賄が広がっているというより住民の考え。政治指導者が撲滅を出来るか?大きな関心を。08年8月には国家計画を。汚職対策法を。家族などの収入を公開。勤務態度監督委員会などが点検。10年の点検の結果として法律違反が。6000人が責任を。資産の没収のメカニズムも検討されたが。汚職撲滅には大した効果が無かった。09年には警察組織の腐敗の問題を。12年春までにさしたる成果を上げなかった。名称の変化だけ?収入の申告。名誉毀損と訴える官僚も。申告書を審査する側の負担は相当。毎年のように外国の銀行に送金。官僚との汚職の問題への取り組みは不充分だったと。大統領といえども強権だけで撲滅は出来ない。経済面で支援を。在任中の改革で見るべき成果が無かった。一時的に受けが良くても他の政策が出来ない。官僚制度とはなにか。自由に調査報道出来るマスコミが必要。官僚の活動のcheckを。一朝一夕では根付かない。12年にプーチンが大統領に。外資の導入。官僚の腐敗があっては難しい。

 

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

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