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戦後中国への道程(東アジア近世近代史研究第13回)

アメリカが何故に国民党の支援を無くしていったかがいまいち良く分からない。中国市場はそれほど魅力的ではなかったのだろうか。

 

川島真。戦後中国への道程。日中戦争が第二次世界大戦と繋がり国共内戦に。盧溝橋事件で。4ヶ月かかって南京に。国民政府は重慶に。重慶国民政府。華北全域などを押さえていく。占領地域に傀儡政権協力政権を。華北や長江流域など。日本は旺政権を。大東亜共栄圏の中心的な位置づけを。ハノイなどからイギリスアメリカソ連の援助を。四川省は模範省。総動員体制で。強い軍隊。ソ連の支援。戦いの構図は様々な可能性があった。39年5月からノモンハン事件が。日ソの戦争?独ソ不可侵条約で第二次世界大戦へ。日中戦争と第二次世界大戦がどのように結びついたかが問題。ドイツがフランス占領に基づき北部仏印進駐を。仏印を日本が押さえたことは英米を刺激して三国同盟へ。理由はハノイからの援蒋ルートを絶つ。アメリカは日本に経済制裁を。太平洋戦争に。蒋介石は戦争に勝った意識を。12月9日に日本に宣戦布告。日本の側は重慶政府に宣戦布告していない。四大国の1つに中国が。連合国も沢山あるが。蒋介石は中国軍区の最高司令官に。ビルマルートやアッサム方面からの支援を。連合国の首脳だが、アヘン戦争からの1942年に不平等条約の改正に。43年には治外法権を撤廃。イギリスが積極的ではなかった。香港の植民地やチベットには妥協はしなかった。日本は42年にミッドウェイの敗北。しかし中国前線では優位に。共産党もゲリラ戦を。43年頃に成ると戦後構想を。対日戦争の勝利を確信して賠償などの検討を。1件毎に立案。賠償については戦後は現物の賠償をするが、最終的には放棄。四大国の1つだが一定の役割を。カイロ会談に。国際連合の形成に。ルースベルトが何故四大国に?日本はアジアのための戦争と。大東亜共栄圏は中国のためにならないと。南の方から日本を攻め上げる、中国から日本を攻撃することが可能なら有利に成る。戦争をする上で重要。43年の11月にカイロ会談を。戦後の東アジアの構想が練られる。ソ連についてはスターリンは参加をせず。蒋介石はインドに立ち寄り独立を支援。チャーチルは不満だったが妥協する。プレスリリース。サインがあるような形式ではない。条約協定でもない。ポツダム宣言にも入るしサンフランシスコ講和条約にも引用。中国などは講和条約に加入していないので、中国はカイロ宣言が基準に。日本が日中戦争などで得た領土を返す。台湾澎湖島のような領土が盗んだとされる。朝鮮の人民の奴隷状態に着目。朝鮮の独立を。カイロ宣言。台湾は中華民国の一部。台湾に尖閣諸島が含まれる根拠にカイロ宣言が。日中戦争。8年に渡る。31年に戦争が始まったから15年戦争と。33年で満州事変は終わっているが。対日協力政権の存在。満州国。日本の占領地で協力政権を介して間接統治。当時は反植民地主義の風潮が世界に。間接統治の方がコストが下がる。傀儡政権はコントロール下にあるが。日本の実質的統治。銀行を設立して預合という制度を使い楽に戦費を。アヘンなどで利益を。日本語教育も結構行われた。神社の参拝も。文化人の訪問。西洋的な科学や文明を西洋人が使うと覇権に結びつく?担い手は日本精神が必要。科学性や文明性、日本精神で日本に接近するのを是とする。大東亜共栄圏の一員として包摂しながら境界線を引く。日本人であるが故の優位性。労働徴用も。統治に大きな問題を。植民地でも皇民化の強化。徴兵制。労働者の徴用。広島でも多くの朝鮮人が被爆。慰安婦問題。明らかになっていないこともあり歴史的検証が必要。軍属になり被害にあう。軍人恩給の問題や郵便貯金の補償など。国籍の問題。宗主国の責任。44年になるとドイツも敗色が。日本も戦争継続が難しく。中国はダンバートンオックス会議に参加。45年4月のサンフランシスコの会議。国連を作っていく。そのまま戦後の連合国に。UNITEDnation。常任理事国に。椅子は四大国の証。戦争が終わりに近づくと戦後をにらみながら戦争の終わらせ方を考える。共産党との争い。アメリカとの関係の悪化。戦争で米軍の展開が。戦略的に中国の価値が下がる。大陸打通作戦。ヤルタ会談には中国はなかった。戦後の東アジアの議論は合ったが蒋介石は居なかった。モンゴルの議論を。ソ連の参戦は決まっていたが、原爆投下を。満州侵攻は大変な問題。ポツダム宣言。4つの国が。ソ連が満州を占領して無条件降伏に。台湾でも流れる。モンゴルの独立などの問題。中ソ友好同盟条約。満州の処理権も一旦はソ連に。帰結としてはモンゴルの独立に。満州も共産党に明け渡す。しかしソ連は中国の主権を認める。中国は戦勝国家に。国家建設の礎に。新疆やモンゴルはソ連の影響下に。重慶政府は疲弊。共産党も力を蓄え地方軍閥も。アメリカも国民党は腐敗していると認識。援助を減らす。台湾は国民党の幹部が統治を。満州にはソ連軍。日本人が退いて権力の空白に他国が。統一を回復したいが共産党の勢力を削ぎたい。日本軍の早期接収を求める。一部の人間には中国に残ってもらう。台湾接収だが日本の50年の統治。奴隷化しているとみて厳しい統治を。専売制。厳しい政策が台湾にも。228事件。台湾において外省人と本省人の亀裂に。日本人のBC級戦犯。裏切り者として裁く。日本の戦後構想にも。憲法にも。戦争を目的としない軍隊を持つと危惧。戦後の中国。国民党は厳しい統治を。統一が為されない。援助がなく軍事的にも厳しい。国共対立は満州が鍵。満州を巡る争いが戦争を生む。46年に争いが。国共間では調整が。中国において独裁を止めるべき。憲政に移行を。様々な政党を。中華民国は憲法を作る。憲政段階への移行。しかし共産党は同意せず。憲法は出来たが大きな問題が。どう実施するか。47年12月に施行されたはずだが実行が滞る。一応選挙はやったが機能しない状態に。国民党は独裁政権ではないかと。48年にかけて戦争での面でも共産党が優位に。経済の問題。国民党は経済のインフレを止められず大混乱に。徴兵制。若い男性が逃げていく。共産党は階級闘争を理由に土地の解放を。華北や華中で優位に。49年に入ると蒋介石は下野して。交渉は決裂して南京も陥落。10月1日に中華人民共和国が。北京に政府が出来たのでソ連やインドなどが承認。49年12月に台北に逃れる。中華民国政府。2つの中国政府。現在に至るまで北京か台北か。朝鮮戦争を通してアメリカは台北を。共産党は全国統一に乗り出す。まだチベットにしても西南部にしても国民党の勢力があったが。チベットも統治領域に。まだまだ国民党の勢力は残っていたが。国共内戦は続いていた。金門島の争い。50年代後半になると固定化。内戦がいつまで続いたのかは議論があるが。国共内戦について勝因と敗因を。共産党が劣勢であったはず。清廉潔白と腐敗?戦争である以上、遂行する軍事力が。アメリカの軍事支援が減少、ソ連の援助は続く。武器の面での優位性。国民党の経済政策の問題。インフレで失望。華北においては大地主の土地を貧農に。多くの支持を。宣伝や言説の形成に成功。民主的であり自由であるという印象を作ることに成功。蒋介石は独裁者と。当時は共産党は様々な政党を取り込むことに成功。当初は連合政権だった。その他に国民党の腐敗や共産党の清廉潔白が。憲法の機能が出来ないのが問題。共和制を取らない状態で台湾統治。

 

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