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中国(3):改革開放前期(東アジアの政治社会と国際関係第5回)

六四天安門事件の事実関係は冷静に調べた方が良さそうな気がする。

 

華国鋒が四人組逮捕。党と政治と軍。毛沢東の指示は断固守る。改革開放の鄧小平は?文革批判が華国鋒批判に。鄧小平。講話。好成績を上げた場合、より良い生活を。周囲に影響を与える。他の職場の人も見習おうとする。先駆論。格差を生み出す原因に。改革。乱れた政策を立て直す。共産党の一党支配を堅持。4つの基本原則。現在でも。社会主義の道。独裁、など。人民民主独裁。マルクス・レーニン主義。労働者階級。前衛。鄧小平。開放。出入りを許す。対外開放。貿易や投資。
改革開放による社会の変化。人口政策や教育政策。脱毛沢東化。79年1月29日。計画出産。一人っ子政策。マルサス人口論に。賞罰制度。奨励金など。罰金など。推定で1300万人。女の子が産まれても戸籍に入れない。84年から第二次出産。少数民族は2人まで。一人っ子政策は都市の漢民族についてのみ。9年制義務教育。私立学校。高等教育の立て直し。77年8月。知識人の地位の回復。全国統一試験。義務教育は資本主義を維持発展させる為。国家の発展に寄与する。画一的義務教育。ブルジョアのもの。勉学や労働を結合。脱社会主義化。現代化建設。鍵は教育。
政治の変化は?民主化は?知識人の多くは期待を。78年春頃から大字報。民主の壁。鄧小平は当初容認。過激化。北京の春。民主化運動を沈静化に。胡耀邦。ブルジョア自由化思想。89年北京大学に壁新聞が。民主化と政治体制改革。天安門にテントを。趙紫陽は理解を。天安門広場。第二次天安門事件。反革命暴乱。89年6月4日。政治改革、民主化。北京の春。政治的民主化。88年。インフレ。社会変動が?89年4月に胡耀邦が亡くなる。民主化を積極的に。動乱。5月4日。五四運動70周年。ソ連のゴルバチョフ。多くのジャーナリストが北京に。軍による運動の弾圧。経済発展が政治的民主化をもたらす?複雑な問題。6月4日。天安門広場では誰も死んでいない。それ以外では多くの犠牲者が出たが。報道の姿勢も問題。二者択一的。民主派対政府、など。大きな欠陥。中国が民主化?中国の共産党政権も崩壊?経済の成長が止まる?見方が間違っていたのでは。政治の動向を見る時は、あまりに倫理的思想的な面に偏ると見誤る。政権や反政権、力関係を冷静に認識を。党や軍は存在、農民や労働者も参加していない。軍も動揺しない。学生知識人。対抗していくだけの力を欠く。改革は上からの。安定第一。単に共産党の問題でなく、近代中国の政治構造。主要な政治勢力は全て独自の軍隊、支配地域を持つ。共産党の軍隊。政治的対立は軍事的対立に転化しうる。議会のような共通の政治機構で扱うことに慣れていない。近代中国の問題。現代でも。歴史の連続体の理解を。民主化運動の可能性は?色々ある。地域における民主化。欧米型に限定されない。民主化とは?人民の自発的な政治参加を制度的に認める。政府の上に共産党。人民の政治参加は制度的に認められていない。共産党は最大の利益集団。共産党が独裁を維持。自由化は進んでいる。批判する場はある。反対につながると色々な弾圧。複合的な要因によって。正統性が問われる場合が。経済成長の鈍化。格差。少数民族。簡単に覆らないけれど、共産党の後に市民的民主主義がとって変わる。大きな国の統治に適合的か?政治的安定をもたらすとは必ずしも言えない。簡単に民主化はしない。政治を語ることは危険、経済活動に。拝金主義。

 

東アジアの政治社会と国際関係 (放送大学教材)

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