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中国(2):経済調整から文化大革命(東アジアの政治社会と国際関係第4回)

2つの路線があった、(今もある?)ことが改めて理解出来る。

 

大躍進政策。鉄は粗悪で使い物にならなかった。餓死者が3000万人。
58年秋から大論争。人民公社化。11月28日。人民公社の行き過ぎを是正。毛沢東には受け入れられない。誰も引き止めてくれなかった。劉少奇が国家主席に。大躍進政策の混乱を収束。中ソ論争。チベット。ダライ・ラマの亡命。中印国境紛争。調整政策。劉少奇と鄧小平、周恩来。経済調整政策。食糧生産の回復。共産党の改革。62年。七千人大会。七分の人災。毛沢東の自己批判。
一部の土地所有が許される。農民は現金収入を得られるように。工場長責任制。62年7月白猫黒猫論。ネズミを取れば良い猫。社会主義市場経済の原点。人工抑制政策も。63年。4つの現代化。多くの知識人の名誉回復。戸籍制度の確立。61年、都市人口の削減を。農村戸籍の者は都市に出てくることを許可されない。身分社会の出現。都市においては単位。何れかの単位に所属。末端まで共産党の支配。人民。社会主義を担う。国民という言葉は使わない。アメリカソ連超大国との対立。周恩来外交。国連において支持国を増やす。五大国の地位を。アジア・アフリカ外交。日本との外交関係の正常化を。貿易三原則。62年11月。LT貿易。高碕達之助。日本は最大の貿易国に。
毛沢東は軍を掌握。林彪。毛主席の思想。軍内部で権威を回復。64年6月。政治批判を。江青。文革。四人組で毛沢東の後継者になろうとした。66年4月18日。文化大革命に参加しよう。文革派。紅衛兵。高校生が中心。知識人を批判。文化遺産を破壊し尽くす。8月18日。紅衛兵を容認。全国的な運動に。人口は1億2千万人が純増。教育。大学を含む全ての学校は閉鎖。政治学習と軍事訓練。大学の募集も停止。教育破壊。人民公社内部に学校が。就学率は8割を超えるように。中等教育が農村にも。革命委員会。

 

東アジアの政治社会と国際関係 (放送大学教材)

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