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ロシアの対外経済関係(ロシアの政治と外交第14回)

ロシアの動向については知っておかなければ。歴史的背景も理解したい。

 

横手慎二。ロシア経済は課題ではない。政治と外交に関わる程度の。ソ連時代までの体外経済関係。長い間、穀物などを輸出し工業製品を輸入。19世紀後半。鉄道建設を勧めていたのでその資材。30年代は機械類。欧米諸国からの輸入。49年には対共産圏輸出統制委員会。ココムを組織。工業水準が低いことに着目。冷戦期の西側同盟で大きな役割。70年代に。輸出する原材料の中でエネルギー資源が圧倒的に。石油ショックが大きな意味を。非常に大きな貿易黒字を。貿易額を飛躍的に拡大。過大に評価出来ない?アラン・スミスの算定。エネルギー資源の割合は30%から79.8%に。交換可能な外貨を稼ぐ。輸出量の増大。石油については72年から84年には2倍に。輸出額は20倍に。天然ガスの輸出額は166倍に。棚ぼた的恵み。民生用の工業製品の輸入が可能に。様々な商談を。70年代のソ連は自国の経済規模の拡大が出来た。当時のソ連は国民生活の拡大を勧め軍拡が出来る。大きな問題。ソ連の算出する石油は次々に生産地を変える必要があった。東シベリアは80年がピーク。パイプラインなどの建設に資材が必要。新規の油田は簡単に開発できない。90年には急落。80年代の初めには天然ガスの増大を。エネルギー資源の国際価格の落ち込み。85年の石油の価格は6割に。ゴールドマン。80年の1バレルあたりの価格は急激に下落。あくまでも目安に過ぎないが。政治と外交面で興味深いのは、86年の急激な落ち込み。ゴルバチョフが書記長になった頃には深刻に。まず西側からの機械類の輸入を取りやめるべきだった。経済の停滞に責任を感じていたので、急激な経済成長を企図。ソ連経済の復活の期待。経済政策は最悪に。石油価格の急落。新型の工業設備の輸入の促進に。更に輸出の増加を企図。帳尻を合わせるのは難しかった。対外債務。91年には85年の約2倍に。輸入の抑制を。経済システムの抜本的改革やアフガニスタンの撤退に。ゴルバチョフの視野の広さから説明。深刻な経済状況も。ソ連末期までの。対外経済関係の意味。
91年以降のロシアの場合。政治と外交への影響。経済システムの転換。ソ連時代には国家が経済を厳しく管理。企業も個人も自由な貿易の禁止を。ロシアでは自由に貿易業務を。西側の製品がロシアに。ありとあらゆる品物が出回る。貿易業務は外貨の交換の自由を。インフレが進んでいたので外貨で財産を保有することに。外国市場で売れる品物をあつかっていた人間は、外国の銀行口座にお金を。充分に行動を捕捉できず。ロシア政府が貿易業務を捕捉できず。膨大な額の資本が流出。経済援助を求めていた現状では異常。外国の銀行には民衆は無縁。エネルギー資源の価格。90年代になると更に低下。何処までが理由かは分からないが。経済改革の影響?エリツィン時代には影響力が低下した?ロシアの産業の中では非常に大きな位置を占め続けた。競争力のある企業は殆どなかった。品質面で外国と競争できなかった。東欧諸国に輸出していた企業。冷戦が終わると東欧諸国の市場からも閉め出される。ロシアの経済は鉱物資源の企業に支配。ガスプロムなど。政治と経済に大きな役割。金属資源の企業も。オリガルヒの一部に。全体的に低迷する中で資源を管理していたから。鉱物資源の管理する企業は力を強める。
90年代のロシアの貿易相手国の変化。社会主義国。ドイツを中心とする西ヨーロッパ諸国に。EUとの貿易額の拡大。輸入したのは石油や天然ガス。EUが最大の貿易パートナーに。旧ソ連各国の登場。中国の台頭。10位以内に。ロシアと中国の国境地帯で担ぎ屋貿易を。シベリアと中国の間で拡大。90年代の極東地域では中国人が密入国?ロシアの主要貿易相手国は冷戦時に疎遠であった国々に。ロシアが必要とした外貨を。アメリカとの関係も。外交路線と一致。00年代には変化も。石油価格が上昇してロシア経済が再生。00年までに武器輸出国に。穀物の輸出も可能に。00年以降の貿易の拡大。価格の回復と高騰。グスタフソン。石油価格は4倍に。ロシアは巨額の対外債務を急速に返済。金と外貨の保有高を拡大。世界第3位に。プーチンの指導力に因る。元々はそういう考えだった。企業の統制を。オリガルヒが介入することのないよう。民衆はプーチンの登場を歓迎。オリガルヒの影響力の低下。03年の逮捕拘禁も。イーゴリ・セーチン。ガスプロムの経営陣にもプーチンの息のかかった者を。ミゲル。市場経済を維持しつつエネルギー企業に影響力を。対応の後の大統領教書。エネルギー資源大国としてのロシア。パイプラインの拡充を。ヨーロッパ諸国やトルコに確実な供給を。北欧ガスパイプライン。11年に稼働。ウクライナへの依存度を下げる。07年にはイタリアまでのパイプライン。サウス・ストリーム。石油も。00年代になるとEUの加盟国が増える。ロシアの貿易に対するEUの重要性。ウクライナの問題。貿易額の後退は確実。ロシアの人々の印象を。ロシアにしてもEUに代わるものは見当たらない。ロシアとアジア太平洋諸国の関係。21世紀になって中ソ関係は深まる。ロシアとAPEC諸国との、10年では23%に増大。シベリア極東経済の拡大を。APEC会議。極東重視政策など。13年以降、EUとの関係は悪化する絡みで。日本韓国ASEANインドとの。ロシアの人々の期待は日本と韓国に。極東地域では韓国は日中を凌ぐ。ASEANとも。CIS諸国。10年には14%に低下。絶対額が減少したわけではないが。他地域ほどには伸びていない。15年にはユーラシア経済連合を。同名の先行きは楽観できない。参加国の経済が相補的かどうかの問題。様子見の国も多い。分裂の度合いを持つかもしれない。
ロシアがエネルギー資源依存の脱却を目指す?

 

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

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