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地方からの産業革命(日本の近現代第5回)

今の時代は地方分散が要請されるのではないかと考える。参考になればと。

 

中村尚史。日本経済史の研究を。地方からの産業革命。少し奇異な印象を?高校の日本史。産業関係は。大阪紡績の都市型立地型や三大財閥や中央政府の都市主導の産業革命像。都市の経済主体が大きく寄与したが、明治中期の急速な工業化の担い手は中央だけでは無かった。地方にも紡績業が。1899年時点で全国に69社の紡績会社のうち45社が18府県の地方に。資本金でも50%程度に。当時都市立地の傾向が強かった紡績業でも地方分散。地方の会社企業を支えていたのが地方資産家、地主などの出身。銀行家や資本家たち。地域社会での。中小の起業家たち。人的ネットワークを活用。紡績や鉄道など資本がかかる産業も。会社制度を利用して共同出資。都市資本や中央政府だけでなく地方主体で。地方政府からの産業革命を。この点を踏まえつつ産業革命の全体像を概観。90年代から00年代にかけて、全国的規模の地方工業化の動きを中心的の担い手の地方財閥に注目して。
産業革命の主導。2つのポイント。明治23年恐慌。第一次企業勃興。日本において産業革命の現象。86年後半から鉄道紡績鉱山業を中心に起業設立ブームに。会社起業や資本金は2倍に。工業生産額も繊維など大幅に伸びた。鉄道紡績が勃興し産業革命の時代に。松方デフレ期から一変して。85年を境にしたマクロ経済環境の変化。松方正義の緊縮財政と資本償却、物価の下落。不況下での預貯金の増加と低金利政策。金融緩慢が。86年に入ると生糸米石炭などの輸出が。貿易収支が出超に。米の豊作により国内市場の拡大。ビジネスチャンスに。松方デフレの過程で資産家層が出現。会社制度の知識の普及。明治23年恐慌。89年にかけての企業設立ブームが陰りを。90年初頭に崩壊。この恐慌は鉄道会社の追加払込の集中に米国輸入増加に因る決裁の増加で金融逼迫が。同時に農家所得の減少が国内市場の縮小を招く。生産が消費を追い抜いて発展したことで過剰生産恐慌にも。日本における産業資本確立に。日銀は90年に資金供給を開始して緩和を。綿棒企業で紡績連合会が体中国輸出などで調整。一連の経済動向は近代資本主義の本格的展開が始まったことを。産業革命の幕開け。
産業革命の展開。経済成長率。産業構造。貿易構造。地域構造。産業革命の経済の成長。マクロ的に。GDPの成長。28年間に名目値で6倍以上。実質にも2倍に。年2.6%。86年から99年までの平均成長率が実質的に3%以上。人口増加率も増加。00年から13年までは0.5%。99年までの14年間が産業革命の中心の時期。産業革命の過程で企業勃興の期間。第1次が5%。後の2回は2%前後。産業構造。産業別の構成比の推移。85年の7億5千万円から13年で34億円に。産業革命開始直前に4割の農林水産業が35%に比重の低下。米の生産は国内市場の急拡大に対応できず輸入額が輸出額を上回る。鉱工業は急拡大。寄与率では農林水産部門を越える。鉱工業部門を中心に成長。軽工業が中心。従業者の158万人の20%以上。14%の鉱業。13%の食品など。運輸通信業。寄与率の増大。鉄道の国有化や電力業の勃興。商業は一貫して35%に。銀行や商社の設立。産業構造は次第に農業中心から鉱工業商業サービス業に。産業別の生産。25%の綿糸紡績業を中心に高い成長率を。日清戦後の第2次企業勃興まで。生糸が10%以上の成長。早期に近代化を導入。一方で在来的な産業は低く10%未満に。貿易構造。後発国として技術移転で産業革命を。機械や資材の輸入や外貨獲得は重要。貿易収支の推移。90年から94年に貿易黒字を。輸入増により輸入超過が深刻化。年1億円以上。一貫して貿易赤字を計上。輸入超過の原因。消費財輸入の増加。人口増で消費の拡大。産業革命の綿紡績業。海外から綿花や紡績機械を輸入して綿糸を輸出。貿易収支上は輸入超過。輸出製品として絹織物の存在。重工業の未成熟を補う。貿易赤字の深刻。日露戦争後は未成熟な産業の保護に。産業革命の地域構造。東京大阪という中央だけではなく地方で企業設立ブームが進展。近代産業の会社企業の地域分布。1886年末で東京に集中。資本金格差は977倍。以後は第1次第2時と企業勃興の過程で地域間格差の縮小を。00年末には100倍前後に。地域分散。東京の比重が10%近く下降。会社企業分布の上位。資本金額は東京大阪兵庫福岡。東京の地位は高いが比重は46%から90年末の37%。00年末の31%に。兵庫や福岡は炭鉱業などが発達。北海道も急伸。地方でも観察される。会社企業の地方拡散の状態。増加幅の上位府県。青森茨城兵庫。兵庫県を除くと会社企業が未発達だった地域。86年の段階で東京大阪に集中していた状態から地方分散に。工業化が大都市の資産家起業家だけではなく地方の資産家企業家に。
工業と商業の厚みに伍して担い手になれたのは?安川敬一郎の福岡県の実業家の事例に即して。地方からの産業革命。安川敬一郎の生い立ちから地方財閥への道。1849年に福岡藩士の4男として。養子に入る。次男が養子に入った家は経済官僚の家。石炭を含む藩の専売制度にも関わる。炭鉱業の進出に資金調達など重要な役割を。71年。筑豊炭田で炭鉱経営を。74年の佐賀の乱で戦死。当時は慶應義塾で学んでいたが戻る。炭鉱業に参加。77年に開業して石炭販売を。引退まで炭鉱業と石炭流通業に従事。有力炭鉱業者に。炭鉱業で成功するきっかけは87年の退場炭鉱。神戸の石炭商からの出資。主力炭鉱に。89年には筑豊炭田に進出した直後の三菱から融資を受けて赤池炭鉱を起業。屈指の大炭鉱に。事業は明治23年恐慌の影響で営業不振になるが、94年の日清戦争で石炭ブームが。96年には松本重太郎など有力な大阪の資本家とともに会社を設立。明治炭鉱。大乗炭鉱を現物出資して。97年に倍額増資。鉱区を現物出資し30%に。発言力を強める。地域内外のネットワークを駆使した資金を。明治炭鉱の設立では株式会社制度を用いて中央から。炭鉱業の。明治炭鉱の資本金利益率。5.7%から16%になったことも。好不調の波が大きかったが、配当率は15%から20%に。00年上期でも10%の配当。株式会社制度。資金の導入の面で寄与。一方で利益の多くが社外に流出。自社株買いを。全権の掌握を。徐々に買収を進めて全株式を。任意解散して同族経営に戻す。平岡浩太郎の持ち分を引き受ける。炭鉱業で閉鎖的所有が確立。巨額の資金を積立金などの自己資金や外部市場から調達。安川松本財閥の基礎を。地方財閥に成長する過程。04年の日露戦争に伴う石炭ブーム。同族経営にして好機に。莫大な利益で負債を一層して鉄道業などの有価証券投資を。07年の鉄道国有化に際して高値で売却して莫大な利益を。九州鉄道株からの一部で私設の高等学校を。明治専門学校。地元に高等教育機関を。優秀な技術者を確保し名望を高める。残された資金は多角化に。本業では07年に報告炭鉱を買収。明治鉱業の全力をかけて短期間で復旧。事業の多角化。当時の織物合資会社などを設立。安川松本家は家族同族で所有する有力な地方財閥に。
起業勃興や地方企業家に即してまとめ。産業革命の重要な担い手は地方も。その要因について安川敬一郎の事例に。4つの人的ネットワーク。同族を含む旧福岡藩の官僚。鉄道関係者。阪神地域の資本家。中央の財閥や政治家。炭鉱業進出をサポートし。鉄道会社などを通してインフラ整備に。資金の出し手として貢献。資金調達に加えて貴重な情報源に。外部ネットワークを上手く使い分けながらビジネスチャンスを生かして地方財閥に成長。明治期の日本は地域間の知識の流通に限界を。匿名的な関係に対し優位性を持つことが。顔の見える関係を元にした信頼関係。取引費用の縮減で競争力の源に。

 

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