高度経済成長には光と影の部分があったことは記憶するべきであろう。
中村尚史。高度経済成長と地域経済。日本経済史。経済成長率が年10%以上の高度経済成長。世代により印象は異なる。50年代以前に産まれた人にとっては青春そのもの。66年産まれ。世代にとり物心がついた頃には終わっていた。大阪万博が記憶の片隅に。平成生まれの人には歴史上の出来事であり、昔の良い時代という醒めた印象が。高度経済成長はある意味で特異な時代。市場環境や企業や政府の役割など、前後の時代と様相が異なる。経済が短期間に急速な拡張を。社会構造が変化。現代の発展途上国にも共通。高度経済成長の要因と影響を明らかにするのは普遍的な経済メカニズムの解明にも。地域経済の観点で。産業政策。工業地帯。社会移動。
高度経済成長期の日本経済。概観を行い産業貿易金融の経済構造の変化を。過程をマクロ経済的に。日本経済は50年の朝鮮戦争の特需で立ち直る。53年には一人あたり国民総生産が戦前期の到達期の34年の水準に。55年から73年にかけてGDPの成長率が平均10%以上に。この19年間を高度経済成長と。高度経済成長の要因。民間設備投資の主導。国民総支出の。55年から70年の15年間で民間設備投資は平均15%以上の上昇が。投資が投資を呼ぶ。電力や機械鉄鋼化学が70%以上に。三重の技術革新、設備投資。産業界では科学技術の重要性の認識が。欧米からの技術移転が。鉄鋼や造船業では老朽化した設備の更新に合わせて最新技術が。自動車や家電。自主技術開発などで60年代に産業として確立。家電作業は三種の神器。消費革命の主導に。更に欧米と並行して発達した新産業の。石油化学。石油の値段が徐々に低下して天然素材の代替で急速に発達。太平洋ベルト地帯を中心として臨海コンビナートが。もう一つの要因として石炭から石油へのエネルギー革命。中東地域で石油の開発が。原油価格の低下。58年以降は日本でも石炭より低く。主要なエネルギー源の転換。石炭産業は斜陽化。60年代には閉山と人員整備が。地域経済の崩壊が始まる。
高度経済成長の過程における経済構造の変化。産業構造。高度経済成長期における産業別従業者。第一次産業の比重が50年の48%から半分以下に。鉱工業の第二次産業の従事者とサービス金融の第三次産業の従事者の急増。両部門は絶対的にも倍以上に増加。農林水産業からの大規模な労働力の移動。70年時点の貿易構造。戦前以来赤字基調だった貿易収支が黒字に。機械の出超がカバー。黒字基調で。貿易相手国も変化。対アジア貿易。中近東貿易の入超を東南アジアがカバー。金融構造。世界銀行からの借款などが重要になっていた。政策金融が重要な。60年代前半では銀行貸出が中心に。包括的なセーフティネット。関節金融システムが。企業と金融機関のメインバンクシステム。60年代後半になると大企業では自己金融の。企業間関係。財閥解体や集中排除政策。しかし財閥系は系列融資などで再結集。都市銀行を中心に6大企業集団が。再結集の理由。系列融資。安定株主を作り出す。若い経営層によりメリット。株式相互持ち合い。経営の自由度の高まり。配当も少なく出来る。審査コストを引き下げてコストを削減。安心感も。松下などの製造業大企業。50年代に企業系列を形成。内部化して取引コストの削減。繊維工業などの中小企業は戦後は重化学工業が中心に。大企業が雇用条件の格差を利用して系列化。中小企業は最大の就業人口を抱えて労働力移動の受け皿に。二重構造問題が。
高度経済成長を支えた諸要因。政府の役割。所得倍増計画。インフラ整備。国土総合開発政策。所得倍増計画。豊富な労働力と安価なエネルギーや外部環境が。長期間に及んだ背景は政策的要因も。池田勇人内閣の国民所得倍増計画。鉱工業主導の。産業構造の高度化や二重構造問題の改善を。想定された成長率を上回る。計画通りでは無かったが社会契約として明るい将来展望を。政策面では財政投融資などに方向性を。自社のシェアを引き上げる計画を。希望の共有で持続的経済成長が。社会的なインフラストラクチャーの形成。産業基盤。電力の供給。電源開発促進法。火主水従の。発電所の資金は協調融資に。運輸部門。内航海運と自動車。鉄道では貨物輸送が停滞し自動車への代替が。旅客輸送に鉄道は特化。自動車輸送は道路整備が進展。長距離トラック輸送が。海運業。貨物船の大型化。通信業。電話拡張計画。電話積帯の解消。情報インフラの一環。産業政策。産業組織政策と産業構造政策。産業組織。寡占化して規模の経済を実現。概ね失敗に。政策金融を元に産業構造の変化を。開発銀行融資。2つの側面で有効に機能。低利融資など。成長の基盤を。衰退産業の生産量を減らして産業構造を効率化。非効率的な結果に。石炭繊維肥料工業。過大な規模で維持することに。地域関係間格差。国土総合開発。太平洋ベルト地帯への重点配分。世論から二重構造問題が。地域間格差を。62年には全国総合開発計画を策定。産業基盤整備を。並行して62年に新産業都市建設促進法。公共投資の重点は明らかに太平洋ベルト地帯に。地方都市でも充分な開発実績は無かった。69年には全国総合開発計画。交通体系の整備など。72年に発表された。大都市圏中心から地方中心に。地方における公共投資は再配置には成功せず。苫小牧などの大規模工業開発では挫折を。列島改造論に基づき画一的な地域開発が。企業システム。経営的なシステム革新の連続。コスト的無駄を省く。トヨタ式生産方式。長期相対取引。製造業において下請け性の普及。流通業でもテリトリー制度などが。大量販売と系列化が。取引費用の削減。長期的な関係で累積的技術革新が。企業内の雇用システム。長期継続雇用の定着。年功賃金体型と企業別組合で労使関係の安定に。
社会的影響。社会移動と大衆消費社会、農村問題など。社会移動と大衆消費社会。進学率の拡大。70年には大学短大が25%。教育基本法などで機会均等と公教育の拡充。高学歴化と労働力不足で賃金是正が。絶対的貧困が54年の30%が70年には2%以下に。社会的不平等の縮小。所得分配のジニ係数。累進課税制度。60年代を通して少しずつ低下。国際的に極めて低い水準に。一億総中流の意識。社会階層の平準化などは均一化した消費パターンを。大量消費に。アメリカ型の。過程では食文化を変容させ流通革命が。団地など住環境も一変。国内市場の拡大で生産の増大に。大量生産による価格の低下で循環的な。農業と地域経済。農業では機械化などの技術革新が。61年の農業基本法で助長。50年代後半から生産力の増大と省力化に。若年労働力が都会に。第二種兼業農家が急増。農山村を中心に過疎問題が深刻に。70年にはインフラ整備や産業誘致が意図されたが過疎化は止まらず。環境への負荷。公害問題など。鉱工業政策を中心に。自然破壊と大気汚染などを。水俣病などの被害の拡大。68年に公害補償交渉が始まる。四大公害訴訟。社会問題化。公害対策基本法などの制定。71年には環境庁が設置。
経済現象は良質で豊富な労働力と安価なエネルギーに技術革新や世界経済拡大が。政府が産業政策や経済計画を用いて方向づけを。戦時期から戦後復興期の計画経済が培う。市場メカニズムに加えて。強制は成長に寄与したことも。産業構造調整計画。あまり多くない。国土総合開発計画は広範な地方に分配を狙う。太平洋ベルト地帯への集中が進み格差が拡大。石炭産業や繊維産業が衰退産業に指定。農村から都市への人口移動で疲弊が進む。学歴別の賃金格差の是正。絶対的貧困が現象。所得再分配政策で社会的不平等の縮小。社会階層の平準化や均一化で個人消費の増大。循環的な経済拡大。