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資本主義の導入と地域経済(日本の近現代第3回)

明治初期の日本経済は危ない橋を渡っていたことが感じられる。植民地になっていた可能性もあったと思える。

 

中村尚史。日本経済史。資本主義の導入と地域経済。鉄道史や地域経済史。近代作業や経済制度の導入。戦後は経済大国とされて、GDP世界第3位。150年前には植民地化の危機に。後進国の1つ。明治新政府は対外自立のための強兵と富国に。特に富国は欧米列強との格差を短期間で縮めるために高い水準のキャッチアップが。近代産業の技術などを導入。海外から技術の導入。輸出産業を振興して財貨を。単に技術導入だけでなく経済の仕組みを作り変える必要が。近代資本主義の導入と制度の導入。殖産興業政策と地域的展開。国立銀行、松方デフレ。
近代資本主義の導入。殖産興業政策の概要。通貨供給体制の整備。殖産興業政策。明治3年、官営事業の推進。工部省の設立。70年。当時の日本は太陰暦。閏月が設けられていた。太陽暦への移行は73年。イギリス人などのお雇い外国人を雇用し技術の移植を。鉄道部門。72年末の時点で多くの外国人が雇用。賃金は極めて高額。政府の財政を圧迫。殖産興業政策の担当者により課題に。大久保利通が岩倉使節団から帰国。明治6年の政変により実権を。官営事業を限定して他は民間資本の模範工場に。74年以降、民間海運業への助成を。鉱山業では重点は金銀銅鉱山から鉄鋼炭鉱に。73年に内務省では、輸入を防ぎ輸出を。試験的な農牧業。毛織物工場など。通貨供給体制の整備。新貨条例と国立銀行。71年。新貨条例の発布。金本位制を。銀貨も発行し貿易では対等に。円を単位とする。72年には国立銀行条例を発布。完全な民間の株式会社。不換紙幣の兌換紙幣への切り替えと銀行制度の導入を。実際には財政難から不換紙幣が発行され信頼が図れなかった。国立銀行条例は兌換銀行券の発行という面だけでなく、銀行制度の導入の面でも失敗。76年に国立銀行条例を改正。金禄公債を。資金供給の拡大と公債価格の維持を。地租改正による貨幣需要の増大。市場価格維持の必要性。成功して76年以降は続発。79年までに153の国立銀行が設立。政策基調の変化。殖産興業政策。技術移転の初期リスクを政府が。短期的には技術習得の困難に。資材輸入により貿易赤字の巨額化。財政負担の増加も。事業継続の困難。80年代には大きな政策変更を。大幅な経営赤字が問題に。過大なコストが。輸出奨励のための資金が貸し倒れに。全国各地で発券銀行が。深刻なインフレーション。銀行券の多発などで78年頃から。紙幣価値が下落。紙幣の直接償却により流通量の縮小をする?大隈重信は輸出奨励に傾いたが、財政難が深刻化して、80年5月に外債発行を。奥の手。しかし挫折。80年9月に、増税と勧業払い下げによる案を。殖産興業政策の縮小と増税。81年4月に農商務省の設置。合わせて工場払い下げを。農商務省時代に。勧業政策の中心は在来産業の技術改良指導に。勧業払い下げ。多くの事業は高額での引き受け手がなかった。大きなビジネスチャンスに。政府と強いコネクションを持つ。政商。その中から三井三菱などの財閥が台頭。
松方デフレと地域経済。松方正義。財政政策と日本銀行設立。松方財政の内容。明治14年の政変。クーデタ。松方財政の開始。緊縮財政。準備金の運用による。中央銀行の設立。経費を3カ年間据え置きにして増税を。醤油税などの新設や酒税などの増税。82年度から85年度の3000万近い財政余剰を。直接紙幣償却や準備金。横浜正金銀行に投資。85年までの正価所有高が増加。紙幣整理。予備紙幣を全額回収。日本銀行の創設。兌換銀行券の発行が目的。政府が半分を出資し、三井岩崎などの民間資本家も出資。通貨制度の安定と産業振興を。当面は銀行間の資金移動を促進。市中銀行や会社への融資。貸付資本の不足を補う。金融の全国平準化。市中銀行の資金力を。事業投資の活性化。84年に兌換銀行条例を公布。デフレ政策の影響。紙幣価値は下げ止まった。82年度以降の緊縮財政。デフレーションという物価と金利の下落に。近代日本史上意図的にデフレをやったのは松方デフレのみ。農民への打撃。農家所得の減少。税金が重く。84年以降に負債の累積などで農地の売却が。農民層の分解を加速。土地から切り離し賃労働者の供給源を作り出す。一部は地方都市や大都市に流入。農村において高利貸しなどが土地を。土地担保金融により大規模な土地集積を。大地主が全国的に。銀行経営にも。大都市だけでなく地方都市にも。地方資産家層を形成。無産者と地方資産家層の形成。地域経済における資本と労働の蓄積。産業革命の前提として意味が。
会社制度の普及。導入と普及。制度導入の経緯。鉄道なの近代産業や銀行の主な担い手が会社企業であったのが特徴。短期間に巨額な資金を融通できる。早期に普及。71年、大蔵省は2つの小冊子を。会社伝。銀行設立の概説書。会社制度の概説書。商法や会社法として。渋沢栄一の著書。幕臣だが新政府に仕官。府県では会社設立の奨励を。72年4月に大阪府は株式会社設立を奨励。国立銀行条例を。株式会社制度の移植を。有限責任。確定資本金制度などの要件を。株式募集の方法などを具体的に。各国立銀行は本格的な株式会社に。全国各地で150を超える。通貨供給と制度紹介のモデルに。普及と地方政府。80年代初頭までには東京株式取引所などが政府の特許を得て設立。公共性の強い業種。官許の会社。他の業種では府県の認可を。インフレが進んでおり会社設立のブームが。要件を満たしていない会社が多く。82年から会社破綻が多発。有限責任制は把握が困難。株主の負担のトラブル。社会的信用の回復のためには統一的な会社法が必要。しかし制定は大幅に遅れる。各府県は規制を。86年2月に出された大阪府の取締規則。府の認可を受けることを求める。東京府でも。会社規制の強化は泡沫企業の多発を防ぐ。
殖産興業政策や松方デフレ。資本主義成立の条件が整う。株式会社の普及。産業革命の時代を迎える。

 

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

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