F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

基本的社会経済状況(ロシアの政治と外交第1回)

80年代までのロシアが社会主義体制だったことは、近頃の状況を見ていると忘れがちだけど、理解しておかないと認識を誤ると思う。

 

ロシアは謎だ。何故?とっつきにくい。中身も外交も分かりづらい。よく調べれば謎などない?隣なので謎で済ませる訳にはいかない。現状の理解を。他の国の政治や外交と何処が違うのか。ロシアにも特色がある。ソ連の一部だった。社会主義経済。外交でも西洋諸国と真っ向から対立。ソ連からロシアに変わる。特色は無くなった?ソ連共産党が権力を独占していた。選挙で負けることがないシステム。経済でも計画経済というシステム。失業が無くなった。ロシアに変わるとそうした特色は消えた。政治の仕組みなどを大幅に変える。経済の仕組みまで変える。幕末日本より変化は大きかった?議会選挙で政党間の競争。大統領も選挙で。ソ連時代は商品が非常に少なかったが、今はそんなことはない。現在のロシアの政治と外交の特色は?簡単な理解は誤解を生み出す。ソ連という国からロシアという国への変化。変化が起こる前。跡形も無くなる訳ではない。連続している面が目立つようになる。変換を図った人の意図。意図通りになることはめったにないが。転換の過程で生じる社会の。革命家の意図とは異なる変化が起こるのが普通。革命で社会が混乱すると、治安の強化を図る必要があり、警察国家に。財政の立て直しを目指していたのに、上手くいかないことも。政策への社会が示す反応。転換が起こる社会の前の状況を把握すること。
ソ連からロシアに変わった時の社会的変化は?重大な変化。何処から始めたら良いか?経済的な面。80年代後半から。市場経済メカニズムの導入。品物を手に入れることが出来るようになった。家具も自由に変える。車やハンバーガー。物価は1年で10倍に。92年1月からの小売価格と卸売価格の自由化。外国貿易の自由化。国有財産の大胆な私有化。国鉄民営化をもっと大規模に。殆どは協同組合など。経営に責任を持ったりすることが出来ない。私有化して。国民に平等に分ける。小切手を配布。国営事業の株式化で、株式会社に。企業は市場原理に基づいて行動。ソ連時代では計画に沿って必要なものしか作らなかった。私有化のプロセスはその後も続いた。安値で国有財産を売り渡すことも。貧富の差や失業者も。人々の受け止め方は色々。
経済システムの転換は政治にも大きな影響が。多くの人はもらった小切手をすぐに商品に変えた。失業や給料の遅配。不公平感が。50年代以降のソ連は、国家から便宜を受けており、政治権力に忠誠心が。便宜が与えられないと抗議の姿勢。双方が利害を交換する。暗黙の社会契約。国家による情報の管理が厳しかったので、抗議活動を見ることが出来なかった。国家権力に従順?問題は無かった?ヘドミックスミス「ロシア人」。ロシアの内情を。諦めこそ特権階級への姿勢。宿命として受け入れられてきた。諦めが定着。しかし抗議活動をしていた場合もあった。分からなかっただけど。国家の側からの国民への便宜。完全雇用。企業は市場競争に晒されなかったので。初等中等教育は無料に。大学でも奨学金があった。生活一般を支えるサービスの提供。食料品や交通機関。住宅もある程度真面目だと住めるアパートが。歴代の政権が安価な住宅を提供。医療も基本的に無料。利益の一部を国民に還元。国民の面倒を。パターナリズム。選択の自由を制限。提供される便宜を受ける為に、国家権力に従順。国家に対する反抗。便宜を与えないという制裁。住宅を取り上げて移住させる。犯行を考えなくなる。国家のサービスは素晴らしいと考えた。ソ連経済の成長テンポが遅くなり、段々と困難になる。80年代の半ば。ゴルバチョフが改革を。市場経済のメカニズムを少し与え、経済に活気を。しかしなかなか上手くいかなかった。政治改革に。財政難で価格を引き上がる。契約を守れない?従順に服従する必要はなくなった。89年の炭鉱ストライキ。衝撃的。社会に混乱を。経済状態が悪化。91年にソ連の崩壊。民族問題などの問題もあったが。社会的混乱で社会主義経済への信頼が無くなる。経済システムの変更でパターナリズムを維持出来なくなった。特権階級が足を引っ張った?暗黙の社会契約。国民は90年代になっても強い不満を表明。90年代は混乱の時代。00年代は経済が安定する。暗黙の社会契約説は現在に至るまでの国家と国民の関係も説明できる。
経済中心から離れて、都市部と農村部の変化。改革は支持されない状況が?現在への変化はもっと複雑。元に戻すかそうでないか?経済の安定。経済システムの変化が一定の成果?石油の値段が高騰して国民へのサービスの給付が一部復活した?それと異なる社会の変化。生活スタイルの変化。都市部。都市の生活に触れる。マクドナルドのようなファーストフード。外国企業。街の景観は大きく変わった。社会主義経済を目指すよう言われてきた。お説教を聴く必要がなくなった。個人の生活を優先できる。ソ連時代は外国人をアパートに招けば、管理人に注意された。後でとばっちりを。この種の制限は殆ど感じられなくなった。喫茶店でロシア人と話を聴くのは簡単になった。若者などに受け入れられる。欧米の大衆文化に同調。ハリウッドのアクション映画も見られる。外国の最先端の音楽やファッションも。25年前には当たり前でなかった。ソ連時代と全く異なる社会。外国へ大きく開く。満足感。生活スタイルの変化は決定的で急速的。都市部の住民の意識は後戻りしない。社会の後戻りも選択しない。政治で無視は出来ない。生活スタイルの変化で、価値観が欧米人と同じ?歴史観などで形作られる。同じではないと考えるべき。別の変化。ロシア社会が外国に開かれた、経済が安定した。非ロシア人がモスクワに流入。ロシア語を話せるので良き労働者になれる。ロシア社会も人口が減り続けているので、需要が。多くの人がロシアに入国。非合法的にロシアに入国する人が、400万人から600万人。安い労働力でロシア人が失業。社会対立。ロシアの民族問題や外交問題に影響を。ソ連の辺境部に住んでいた人が都市部に。シベリア鉄道の沿線部に集まり、都市部へ。辺境地域に住む人に様々な便宜を与えていたが、実行されなくなった。辺境の過疎化。大きな社会関係に。地域間の経済格差。農村部の変化。90年代の農村部の経済の停滞。都市部の住民には伝えられなかった。制度の変更。コルホーズ。株式会社などとして再変化。個人化の規模は主要なものではない。21世紀になると農民に財政支援策を。国際競争力の維持を。穀物の輸出国になる。財政支援を頼りにする姿勢は続いている。
80年代からの変化は多様で複雑なので全体像は掴めない。社会の底流で流れているものも重要。

 

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)