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清朝の動揺と社会変動 -一九世紀の中国(東アジア近世近代史研究第10回)

清王朝が変わりつつあったのは事実だろうと思う。なぜ日清戦争で弱小日本に負けたのかは謎の部分が大きいけれど。

 

川島真。清朝の動揺と社会変動。どう変動に向かっていくか。アヘン戦争など19世紀を俯瞰。滅びていく超大国?近代への対応。
18世紀。清の場合は多くの人口が伸びた。開発が進む。山間部などで。とうもろこしやさつまいも。人口の増加は一定の限界に。土地が不足したり自然災害が起こると新しい地域は脆弱なので社会不安に。人口成長の鈍化。1800年代の中国は人口で世界最大。経済規模もトップクラス。18世紀の初期に四川などの山間地で。白蓮教徒の乱。18世紀の末に。新開発の地のみならず江南なども。治安の悪化。八旗や緑営はあるが、地域の集団が秩序を保とうとする。次第に自衛のために武装を。村々で武器を持って。軍事化が進む。軍事力が重要な政治資源に。貿易。1700年代半ばから貿易を。マカオに居住して。お茶や銀。安定した銀の含有量があれば便利。メキシコの銀が。円銀が段々と東アジアで信用ある通貨として。通貨の単位に関連。銀が多く中国に流れる。とはいっても供給量が限界に。銀は頭打ちに。銀を払わずにお茶や陶器を。三角貿易。インドからアヘンを清に。イギリスとインドの間に衣料類を。ロンドンのシティによる決済網を。アヘン。麻薬なので常用すると心身に問題。社会問題に。1800年代前半でも経済大国だったが苦しめられる。100年間にわたりアヘンに苦しめられる。自ら生産するまでに。アヘン貿易を。東インド会社から
商人が。清王朝の側も座視していなかった。科挙には現状の問題についての解決案を。多くの官僚が提案をする。アヘンというものの習慣は変わらないので王朝で管理を。アヘン貿易や流通を管理して緩やかに減らす。厳禁論も台頭する。清にアヘンがもたらされて産品も出るが国内の銀も減っていく。銀の価格が上昇。農民の税の負担が重くなる。アヘンを巡る問題で厳禁論。林則徐。採用されて漢人の官僚を欽差大臣にして広州に派遣。アヘンを没収して燃やす。戦争に。イギリスの議会には反対論もあったが自由貿易を守ることを理由にして僅差で議会を通過。武力の違い。ナポレオン戦争を経て圧倒的に優位。蒸気船の海軍がジャンク船の清と差が。アヘン戦争の図。多くの蒸気船は砲を持っている船を引いて攻撃。蒸気船が攻撃している訳ではない。戦争はイギリス優位に。艦隊を天津方面に。林則徐を首にして妥協しようとしたが戦争は終わらない。南京条約を。清の敗北。アヘン戦争で清が負けたことで大きくは変わらなかったが、大きな衝撃を与えたことは間違いない。近隣の国々にとり大きなこと。イギリスへの関心も。世界地理書が日本でも多くの知識人に。日本周辺にも外国船が。開国すべきかの論争が。南京条約の他の条約も結び、フランスやアメリカとも。不平等条約。内容も不平等だが。治外法権。関税自主権の喪失など。オスマン帝国などのフォーマットにも。清は沿岸部の5港を開港し租借地を。香港をイギリスに割譲。北京に公使館をおいて清と外交関係を持つのではなく、領事を置いて清の地方官と交渉するに過ぎない。香港島の部分が。割譲なので返還の義務はない。新開がイギリスに租借されていたが返還。条約改定の勝利。清とイギリスはあくまでも清王朝とイギリスが貿易する。関税などの問題を巡り争う。アヘン戦争の後も冊封関係は継続。一部の国は離脱もしたが。50年には清が混乱したので。
不平等条約の持つ意味。特徴は欧米の国々とオスマン帝国などのフォーマットにも。日本にも伝わる。望厦条約で認められる。南京条約の締結。清の側は不平等条約と認識していなかった。外国人が外国人を裁く。治外法権と言われるが元々東アジアで見られたもの。そもそも清という王朝は自国民の海外渡航を認めていなかった。清の版図内でのトラブルを想定。関税。多くの朝貢国より不利。清王朝が条約改定に乗り出すのは日清戦争後。
太平天国の乱。アヘン戦争後になり社会の変容が。銀の高騰で農民が苦しめられる。沿岸部の開港で販路が拡大するのは上手くいかなかった。運河や陸路の交易に一定の限界が。各地で治安維持能力も下がってきた。宗教などを媒介とする反乱が。太平天国も。宗教に結びつく。洪秀全。51年に反乱を起こし太平天国を。北上して53年に南京を首都に。清王朝は何とか反乱の鎮圧に成功するが依然として強い混乱に。制圧したのは各地の自衛集団が。まとまって出来る郷勇が。軍事化が背景。太平天国は64年に滅亡。清王朝自身も対外戦争に。外国と戦争をしていた。阿片戦争以後は期待していた以上に貿易は伸びなかった。アロー号の事件を。イギリスが戦争を。フランスも誘い。アロー号戦争。天津に迫り天津条約を。中国における諸外国の地位を総括的に。批准が上手くいかずに戦争が再開。北京に。外交関係が始まる。11港の開港など。領土の面では割譲も。ロシアと清がアイグン条約を。沿海州を割譲。ウラジオストクなど。61年に清は欧米の公使館に対応する組織を。清と朝貢関係にあるのと違い、外交関係に。
同治中興。70年代には多くの反乱も鎮圧。統治の再建を。富国強兵。軍事技術を導入。近代化政策。政治も変化させていく。都市に工場が。電信網も整備。西洋式の軍隊が。洋務運動。李鴻章など漢人の有力官僚。当時も政治制度などを変えようとする動きが。商品を作るより時間がかかる。問題提起はあったが変わるのは日清戦争から。技術や工業に前提。中体西用。便宜的に西洋のものを。多くの制度も輸入する場合。もともとあった中国的考えに結びつけて。80年代に新疆省を置こうとする。中国内部の説明は、皇帝の徳が及ぶという説明を。キリスト教の布教。教会の庇護下に入り宣教師の元に。税金や賦役から逃れられると考えて。既存の秩序を乱すと教会が敵視。後に義和団として。
国境の明確化。70年代末に成るとロシアの進出。琉球処分。沖縄県の設置。台湾出兵。清の側が台湾については。清は日本の存在に警戒を。沿岸部の防衛を。海防論。それに対して陸部を。清仏戦争。清はベトナムが植民地に成ることを認めてしまう。冊封関係にあったはずの国が植民地に。台湾内部は統治が難しい。台湾はフロンティアだったが。80年代に成ると近代国家に。艦隊を。外国への理解も広まる。洋務運動も。強国としての姿を。日本は西南戦争で疲弊を。明治維新は失敗?というイメージ。朝鮮半島でも優位に。清王朝は朝鮮半島の覇権を。朝鮮と清は不平等に。租界を持つなど。清王朝は袁世凱を朝鮮に派遣して保護国化を。天津条約。福沢諭吉の脱亜論もそのような文脈で。80年代の半ばでは優勢。何故日清戦争は生じて日本が勝利するか。西太后への評価も肯定的に。

 

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