F-nameのブログ

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崇敬。

アランによると、昨日書いた讃嘆とは違うものであるとする。崇敬についてこのように書く。「崇敬においては崇敬された者は同胞を超越していて、崇敬された者に似るなど考えられない。」確かに自分が崇敬している人を持たないことは考えられないだろう。誰でも両親にその種の感情を持つのでは?では自然についてはどうか?1人の人間が自然環境全体に似るのは不可能だから、自然な用法である。しかし、人体は自然環境と同様に精緻な存在である。このことは医学などの進歩で明らかになっている。ただそのことは、自然への崇拝を無くすことに繋がらないのだろうか?カタストロフィcatastropheの路を疾走していることにもなりかねない。