私が出身高校に入学したのは昭和の末期になる。今と違いやたらと校舎は古かった。そして俗に言う左派がまだ蠢動していた。某政党の青年組織のアジトに連れて行かれてアジ演説を拝聴したこともあるし、成田空港拡張阻止の運動への派遣メンバーになりかけたこともある。ただリアリティはどちらにも欠けていたように感じられたので日和見に徹していた。今にして思えば、コンピュータが流通していたアメリカや日本と違い、ソ連など東側にコンピュータの欠片もないように感じられたのが理由になっているだろうか。計画経済とコンピュータには親和性は無いのかもしれない。