F-nameのブログ

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はしか。

1月30日にインフルエンザinfluenzaについて書いた。感染するかもと危惧していたけれど、幸い免れたようだ。休めない日々が続いたので安堵している。相変わらずインフルエンザinfluenzaは流行しているようだけど、阿倍野の商業施設では、はしかが流行しているとの報道。現時点で7人罹患しているのが判明しているので、かなり広がっているのかもしれない。私は阿倍野には行ってないけれど、他の人からうつされてしまう可能性はあるのかも。万一そうなったら自宅で大人しくしているしかない。初期ではなかなか症状から判断できないかもしれないが。

議院内閣制と官僚制(現代の行政と公共政策第6回)

政治については実地で学んでいかないといけないかも。

 

議院内閣制。政治家が主役。政党の中から首相が。衆議院の多数派の政党の党首が。国民は間接的に。信任。国会で指名。内閣は国会に連帯責任。不信任決議。立法府と行政府の融合。三権分立。衆議院の与党議員と内閣とは。衆議院の野党議員と参議院。与党と内閣が一体。強いリーダーシップ。運用の問題。与党が内閣に協力しないことが。二重権力。内閣と与党の対立。自民党の中でcheck。政務調査会と総務会。敵は身内。政党としてまとまるのが難しいこともある。国会議員は自営業者。政治の多元性。与党や個々の与党を無視して良いのではない。内閣のもとに政策が集約されない。政策の優先順位。行政府。内閣は政治と行政、政治家と行政官を繋ぐ。エグゼクティブ。政官関係。専門知識や政策。公務員が政策を立案。示された選択肢から一つの案を決定。説明責任は政治家。首相と大統領とはどちらが強い?アメリカ大統領制。議会との関係。議院内閣制は内閣提出法案。大統領制。議会の多数派と同じ政党とは限らない。議会に法案を提出も出来ない。教書。一般教書演説。議会で。checkandbalanceを重視。政治家と公務員の役割関係。公務員が政治家のように活動。政策を作る。政策形成過程に参加。しかし政治家と行動は違う。政治家も公務員も政治。ある程度組織的な。70年代以降。官僚が利益団体から意見を聞いて政策を形成する。政治的官僚。80年代後半から政治家主導に。事務職員のような官僚が求められる。政治的リーダーシップ。コアエグゼクティブ論。横に広がっていく。首相を支える組織の調整。政府の権限は弱くなったので、networkで出来る限り補強を。
内閣制度。合議制。分担管理。首相指導。閣内不一致。合議制。内閣全体で意思決定。全員一致で閣議決定。出来なければ首相は大臣を罷免出来る。しかしするのは容易ではない。国務大臣。省庁の所掌義務について責任。公務員の任命も。副大臣と大臣政務官。政務三役。各省の公務員にとってはお客様のように映る。各省の公務員が自由に政策を操った?どのような役割分担を?経験の中で見つけていくしか無い。首相指導。内閣のリーダー。合議制や分担管理が優先されがち。国民には首相のリーダーシップへの期待が。内閣機能の強化。政策的な支援が必要。内閣官房と内閣府。対立するのを待つのではなく重要政策を担う。重要政策を各省から切り離して。財政問題や行政改革。首相のリーダーシップを個人のものと考える。対立を避けることで政策を進めることが多かった。調整型。牽引型。地方自治体のリーダーシップ。首長のリーダーシップと組織。議会との関係。大統領制に近い。首長制度。マニフェストの重要性。行政組織が如何に受け入れるか。限られた資源をいかに配分するか?組織の再編。行政組織を定められる。国より柔軟。名称の変更。新しい住民のニーズに。部や課を作る。政策推進組織。トップダウン型。ボトムアップ型。最初に目標を定める。価値体系を組織に浸透させる。首長のリーダーシップを支える人。副知事副市長の特別職。議会の影響を受ける。議決権。住民のニーズを基底に。
中央省庁。政務三役。事務次官。審議官や官房、局といった内部部局。法律事項。83年までは課まで。今でも官房や局の数は法律事項。2001年、中央省庁再編。関連する省庁をまとめる。独立行政法人。行政府をスリムに。庁や委員会の外部部局。ピラミッド型。階層制。官僚制。権限を明確にして専門性を強化。縦の意思決定を重視。効率的だがセクショナリズムが。逆機能。コインの裏表。形式主義や文書主義。公務員の意識改革。トップダウン型の意思決定を。

 

現代の行政と公共政策 (放送大学教材)

現代の行政と公共政策 (放送大学教材)

 

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上品。

主に女性について使われる言葉。だけど「上品な女性」ってどういう女性なのだろうか?身のこなしも重要だけど、知的なところがあるというのも外せない。何処かしら知的な会話のキャッチボールが出来ない方が居るが、そういう人は容姿端麗でも「上品」とは言わないように思う、どれほど容姿端麗で「可愛い」「綺麗」だと見えたとしても。少なくとも私自身は苦手である。最近は知的議論が出来る人とは出会いが無いけれど。どのようにしたら出逢えるのかはよく理解していない。ううみゅ。

 

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ネットカフェ。

朝から出掛けて、商店街にあるネットカフェに久し振りに入る。書類のプリントアウトprint outをしなければならなかった為である。Wordが入っていないPCで作業をしたのだけれど、フリーソフトfree softだとレイアウトが崩れるので気をつけたい。頻繁に通うのならプリンタに投資をした方が良いかも。諭吉が飛ぶけれど。

ネットカフェの後は読書をする。書店をうろついた後、やよい軒で肉野菜炒め定食を賞味する。店内が暑いので上着を脱いだら、冷房がかかっていたらしい。まだ2月だけど。

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ルネサンス後期と劇化する音楽(西洋音楽史第6回)

モンテベルディのオペラには衝撃を受けた。

 

16世紀。数々の科学的発見、大航海。地動説。宗教改革。激動の時代。激烈な情熱の表現、力の誇示。ダイナミックな運動感覚。爆発的な膨張。民族音楽の一つから脱し始める。西洋音楽が世界を支配する時代に。フランドル楽派から、各地から名のある音楽家が。得意としたジャンルも多岐にわたる。音楽における実験の精神。科学発見と同じく。前人未到の領域の開拓。対位法、旋律の次元で考える。複数の旋律。和声的。和音の次元を優先。縦の次元の上に横の旋律を乗せる。近代音楽は全て後者。対位法、幾つもの波。垂直の和音の柱。旋律は目立たない。リュート。和音をかきなでて。対位法は声楽的。和声的な音楽は楽器と分かち難い。楽器なら和音を一斉に弾くことが出来る。楽器が無ければ和声で音楽を考えることが難しかった。楽器は機械の一種。人間の拡張。強弱コントラスト。フォルテピアノ。響きの強弱。クラシックは器楽曲が圧倒的に多い。中世では声楽が中心だった。キリスト教は歓迎しなかった。無伴奏の合唱曲。ルネサンス後期は器楽曲が、世俗化。リュート、ヴァージナル。小型の鍵盤楽器。ルネサンス後期は世俗歌曲。器楽曲。マドリガーレ。バロック音楽への道を開く。モンテベルディ。表現する音楽を作り出す。不協和音。歌詞内容を表現する音楽。美しいものからドラマティックなもの。オペラの誕生を用意。バロック音楽への変化、オペラの有る無し。古代ギリシアの悲劇を復活。古代文明がルネサンスで劇的に復興。オペラ誕生も古代復活の潮流で。オペラ、音楽によるドラマ。決定的な要素が音楽である。音楽が主役のドラマ。強烈な感情表現を可能にする音楽形式。ドラマには美しさを犠牲にする側面も。音楽の中に感情の真実を。オルフェオ。1607年。新基軸の集大成。音楽は神への捧げ物ではない。

 

西洋音楽史 (放送大学教材)

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西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

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選挙。

日本の投票率は低い。少なくとも他国に比べ高くはない。確かに自分の一票が有る無しで、直に選挙結果に差が出る訳ではない。しかし政治のチャネルchannelを大事にしない人間に、何を論評する資格があるのだろうかと考える。日頃は政治に無関心でも困らないだろう。しかし「選良」を選ぶ時は慎重に選ばなければと思う。政治での世界の代理人を選ぶ、と言えば適切な比喩になるだろうか。いざとなれば自分の運命をその議員に委ねる訳なのだから。

 

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バイトテロ。

バイオテロならぬバイトテロが横行している。セブンイレブンやくら寿司などで。過去にも頻発した時期はあり、Twitterで投稿されることが多いのでバカッターなどとも言われていた。まあ昔にも、おふざけの行動はあったのだろうけれど、今はnetにupすることでどんどん広まっていくのだと思う。一旦internetに流れたら、拡大を防ぐ手段は無い。おまけにTV局もこの手の動画を紹介することが多い。過去の失敗が活かされていないらしい。ううみゅ。まあ個人間のmessageだけで流したとしても、その相手がnetに拡大するのを防ぐ手段もないから、当人には非がないと思ってしまうのかもしれない。バイトテロの被害にあった企業は厳正な対処をするのだろうけれど、何故に問題動画を流すに至ったのかを把しないことには、再発は防げないのではと思う。そもそも最低賃金のレベルで働かせるのもどうかと思うし、接客業に携わる者の自覚を養う教育も出来ていないのでは。バイトテロが皆無の企業もあるのだから。