F-nameのブログ

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無作法。

作法を無視していること。知りながら無視していることも、そもそも知らないことも、両方を含む。茶席などが典型例。そういう場では一種のプロトコルのような手順?を踏む必要があり、それをしないと野蛮人とみなされる。ある種の文明の産物。ただ、場所によって「作法」は様々で、不良や暴走族の世界にも守らなければならないものはある。そうしないと野蛮だと周囲にみなされてしまうのも同じである。最近は無作法という言葉を聞くのは少なくなったけれど、文明が退化しているのかもしれない。

「ハレ」としての10連休

10連休は一昨日で終わった。昨日の弊店も通常ムードだった。世間で言う休日でもないとこんなものかもしれないけれど。小売業は世間が休みの日こそ売上を出さなければいけない。それに24時間勤務をするよりも疲れは無い。働いたら分かると思うが、朝から朝までの仕事だとどうしても疲労はある。やれと言われても二度とやりたくはないのが正直なところ。

天皇の代替わりもあり、ある意味「ハレ」のムードが漂っていた。「ハレ」というのは、日本の日々の生活から柳田國男が見出した概念で、祭りや結婚式、年中行事などの非日常の時間の意味である。日常を表す「ケ」と区別される。確かにこの10連休は「ハレ」の雰囲気があった。5月1日が祝日となったので、天皇即位の奉納ムードがあり、世間で言う休日が続いたので特別なレジャーなどをする人も多かったのではないかと思う。弊店はもちろん休みではなかったが、「ハレ」の感覚があったのは事実で、売上も上がった模様。まあ祝日には国民統合の機能もあって、それは役割を充分果たしたようにも思う。現政権の目論見としては、内閣の支持率を上げたいということもあったのだろうけれど、効果があったのかは7月の参議院議員選挙で明らかになるだろう。

5月1日が祝日なのは、今の所は今年限定だけど、メーデーでもあるので祝日にしてしまえば、国民も長期間の休みを享受することが出来る。現在の祝日にはよく意義が分からないものもあるが、メーデーは一応労働者の権利擁護の為の日なので大義名分は立つ。現政権にしては労働者の権利を高揚するという国民統合の機能があってはまずいと考えているのだろうか。連合が支援した民主党主導政権という時期もあったけれど、メーデーを祝日にするという話は出てこなかったように思う。まあ祝日が多いというのは分かるが。

清水義弘:『試験』(発達科学の先人たち第13回)

50年前の分析が、そのまま現状にも有効である。喜ぶべきか嘆くべきか?

 

著者の社会観。教育現象を科学的に。教育社会学の創始者。17年生まれ。57年に「試験」。後書き。入学難の問題の実態は分かっていない。出来るだけ資料を基に。大家族に生まれる。明治時代いっぱいで義務教育が普及。学校を作らなければならなかった。小学校卒は学歴だった。行けたことが貴重だった。「おしん」。山形の貧農が舞台。小学校に行っていない。努力する。旧制中学に進学。将来の進路で進学する学校が変わる。旧制高校を経て大学へ。教育社会学の創始者として。元々は社会学者。東京学芸大学に着任。教育をやらざるを得ない。デュルケムの社会学を基に教育研究。デュルケムが社会学者であることが大きかった。生い立ちについて。体験的社会史。時代と照らし合わせながら分析。11月にはソビエト政権樹立。第一次大戦の終結。スペイン風邪。昭和13年に東京帝大に。フランス社会学を。自分の体験を対象化して、社会の動きと合わせて客観的に捉える。自分自身も客観的に。無意識に主観が入ってしまう。教育実践が教育のあるべき姿を。リソウというとべき論になってしまう。教育というのは投資である。高度経済成長時代には教育投資論。政治と教育。
「試験」の具体的説明。大きく3つに。機会均等。学閥。選抜制度の検討。機会均等への挑戦。試験制度が人間の歪みを生じさせている。如何にあるか。統計データで。文部省年報。受験地獄。入学難が深刻。高校4年。予備校。受験雑誌。夜遅くまで補習教育。一家を挙げての協力。受験ノイローゼ。大学は多すぎるという議論。すべての国民は等しく教育を受ける機会が与えられなければならない。大学定員を増やさなければならない?入学難の解消を。意見表明の前に実態を明らかにしなければ。地方高校の補習科の存在。旧制高校の競争。戦後の学制改革。大学進学希望者の激増。複線型は階級制度を反映し強化させる。戦後の学制改革。勧告に沿う。教育の機会均等を。中流以上の家庭のニーズを。新制大学。寛大な措置。試験を受けて進学。高校を出たらいっそ大学へ。東京へ。同じことなら有名校を。いざとなればどこかへと潜り込める。目的はより良い就職へ。就職問題。
試験地獄の実態。バロメーター?高校の予備校化。受験生の学力差を無くす。予備校の在り方。学校ではなく金儲け?教育の不備を補っている?矛盾に寄生。より大きく。存在悪を避難するよりも教育制度の矛盾の解決を。きちんと現実を捉えなければ。入試競争は中産階級にとり問題。下流階級は就職に駆り立てられる。何らの援助も与えられない。理想と現実のギャップ。フィルターの学閥。学歴の効用は?決して万能ではない。社会の上層部。マンハイム。大衆民主主義社会のエリート。血統や学歴。コネとカネ。財力は大きな力に。社会階層が知性を。
選抜制度。知識量の崇拝。学科試験や学力試験。覚えが良い子供。改革の必要。教育の均等。教育は立身出世。学校差の問題。学歴意識の現状。改革の提案の実現性は?選抜時期を早くする?卒業を難しくする?社会淘汰の選抜制度。現状制度を壊しても良い?現状の制度の充実が先決?現在の教育も社会淘汰に。50年前の著書だけど現状も大なり小なり同じ。あるべきを置いといて現状分析を。戦後の理念の追求を。教育評論家は沢山いる。何が問題か?教育について色々な議論はあったけれど、機会均等はあまり意識されなかった。実態を調べなければ。教育現象を実証科学として捉える。厳しい先生。研究するのは自分自身。戦争体験が大きかった。戦後教育への期待。駅弁大学?戦前からの大学が良い?科学的に教育現象を。現実の把握を。文献研究も含めて。

 

発達科学の先人たち (放送大学教材)

発達科学の先人たち (放送大学教材)

 

 

ストライキ。

労働者の権利、の筈。最近は港湾労働者のストがあった。ただ周囲からは、物流網が麻痺するなどと批判が強い。頻繁にやれとは言わないけれど、労働条件の向上の為には必要なこともあるのではと感じる。89年に連合が出来たが、その頃から鉄道などのストは鳴りを潜めている。特に鉄道事業では労働者の非正規化が進行し、労働条件が良いとは言えないのだけれど、正規労働者が中心の労組は改善をする必要性を認めないのだろうか?エゴイズムegoismの発露ではないのだろうか。鉄道業に限らず、一緒に働いている筈の非正規労働者や派遣労働者の待遇について、労組は驚く程無関心である。ある種の身分社会化が進行している。社会の分断化に繋がるのでは。経営側や行政との関係を維持する必要はあるのかもしれないが。

サザエさん症候群。

友人が教えてくれたのだが、昨日の日本経済新聞の一面コラムは、サザエさん症候群について書かれていたようだ。10連休の最終日に相応しい話題。何とか症候群という単語は短命のものが多いけれど、サザエさん症候群は息が長い。昭和の末期には既に使われていたと記憶している。日曜の晩の6時半からのアニメ番組が何十年も放映されているからだろう。そして一定の心理現象を的確に説明出来ているということも理由だろう。長い休みが終わり日常に戻らなければならないことを考えると、憂鬱になる人は多いのだろう。解決策としては長い休みを取らないことが考えられるが、そうすると人間が壊れる。憂鬱な気分を飼い慣らすしかないのだろう。

高等教育の量的拡大と大学紛争(戦後日本教育史第11回)

68年は私が生まれた年。

 

50年台からの政治的対立、産業構造の変化がもたらしたもの。初等中等教育。教育の荒廃。教育課程。ゆとり路線への転換。高等教育にも変化。大学紛争。量的拡大が背景。団塊の世代。
団塊の世代。敗戦直後の昭和22年から24年。800万人の出生。膨大な子供の誕生。第一次ベビーブーム。社会構造と教育に大きな影響。右肩上がりの成長を身体化。過酷な競争。社会への不満。戦争による窮乏や価値観の変化とは無縁。「戦争を知らない子供たち」。心象風景に共感。大学は大衆化。エリート意識は持ち得なかった?組織制度への帰属意識が無い。見つける意思もなかった。共同体の解体。戦後の日本は管理社会化。抑圧する体制の象徴。60年安保、戦争を起こさない。戦争経験が無い団塊の世代。国家や民族にリアリズムを感じられず。戦争体験の有無で徐々に断層が拡大。
学生運動。全学連。分裂を繰り返す。民青。64年12月に民青系全学連など、大きく3つの全学連に。三派系全学連。火炎瓶を用いた闘争。学費値上げ問題。左翼運動が代表的。民族派学生組織も。大学紛争へ。68年1月東大医学部。5月全共闘。127大学で。東大紛争。医学部。安田講堂の占拠。機動隊との衝突。入試の中止。多くの大学でバリケード。アジ演説。
日本だけのものではない大学紛争。フランスやアメリカ。日本の特有の特徴。共産主義の影響。中国の文化大革命。毛沢東はカリスマ的。造反有理。暴力を正当化。学生数の急激な増加と大学の大衆化。大学数の急激な増加。都市への人口集中。幼少期と青年期の生活のギャップや戸惑い。アイデンティティの不安。社会の激変がもたらした心理状態。戦後民主主義の理念の内面化。現実の学校や政治への不満。アンビバレンツ。受験戦争。体制への反感。学費値上げや学生会館の管理権問題は契機でしか無かった。教授陣は体制側の機動隊に対応を、欺瞞。
中央教育審議会。大学に関して検討。行政措置では無理として立法を。69年、臨時措置法。過激派学生への世間の厳しい目。警察の力を借りることに支持が。12月以降紛争の数は減少。高等教育の量的膨張。大学の教育研究体制は古い。大学紛争の拡大と長期化は、管理運営と無関係ではない。71年の答申。四六答申。高等教育への要請。高等学校にも紛争が。69年の学校封鎖は75件。受験体制に組み込まれる学生生活への不満。政治的教養の育成を。
新左翼の一部は武装化へ。赤軍派。70年3月にはよど号ハイジャック事件。7月に連合赤軍。山岳訓練。72年のあさま山荘事件。犯人逮捕時の視聴率は89%。学生運動に厳しい眼差し。仲間間でのリンチ殺人。中東での日本赤軍。
若者の文化。フォークゲリラ。団塊の世代の関心も政治から遠ざかる。虚無感。75年の「いちご白書をもう一度」。大学紛争後の心中。
新たな教育改革へ。臨時教育審議会。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)

 

 

感謝の気持ち。

生きているからには色々と感謝しなければならないものはあるが、まずは私を産んでくれた母親に感謝しなければ。あいにく私の母は亡くなってしまったけれど。正直言って私は相当手のかかる子供ではなかったかと思う。幼少は自閉症と言われ、言葉の発達が遅くて、高槻や大阪のセンターに幾度となく行かなければならなかった。おまけに偏食も酷かった。私の為だけに食事を別に作らなければならないことも多かったと思う。母に感謝の気持ちをあまり伝えられないままになってしまった。尽きせぬは親の恩、だろう。